いつまでもそこにいてほしい
姉の家でトイレに入ったときにどきっとした。壁に日本気象協会がだしているカレンダーが貼ってあったから。
その日に起こった災害が書いてある。もちろん、3.11のことも。
私は8~9月に起こった紀南地方の水害は書かれているか、確認したけれど、表記がない。やっぱりなぁ。。。2011年、3.11と同じ年におこったからか、みんなの記憶から消されてるのかな?
私のすんでいる和歌山県は、海も山も川も近い。日本は島国だからこんな条件はどこでも同じかな?
ほかの県には大阪に少しの間住んだことがあるだけなのであまりわからない。大阪は和歌山より山は少ないかなぁと思った。
あの時は、雨がちっとも降りやまなかった。恐ろしいほどの豪雨が何日も何日も続いた。いつもと違うな、おかしいな、大丈夫かなと思っていたけどその時は大丈夫じゃなかった。
当時住んでいた近くのアパートの大きく蛇行する川沿いの道は、途中から陥落してしまった。夜中に近所の方がざわざわと話すのが聞こえた。
下の水門を閉めたらしい。閉めた外側にあったスーパーは水浸しになり、近くの山は土砂崩れをおこした。
どこも、かしこも土砂崩れがおきて、知り合いの知り合いのおこさんが亡くなったかもしれない話も聞いた。
恐ろしい水害で、近くのたくさんの方々の家も、床上浸水した。あちこちで川が氾濫して、土砂がくずれて、道がとおれなくなった。
私は途中から、恐ろしくてテレビを見るのをやめた。東北の大震災でさえ、つらかったのに、もう、持たない気がして、ニュースをみるのをやめた。
ちょうど、同じころに、おばあちゃんが入院してお母さんの病気も発覚した。
和歌山の人たち、みんなが経験して、乗り越えてきたこと。
ここ2日ほど雨が降って地震があちこちで起きたりしていて、なにかまた不安になる。
和歌山の自然は、きれいだ。けれど、それと隣り合わせの厳しい環境。台風が直撃するのは慣れっこだし、海が荒れるのも、波浪警報も慣れてしまったところがある。
なんでこんなに気分が落ちてるのかというと、始まりは坂の上のスーパーの中にある、魚屋さんが4月いっぱいで閉まること。
このお魚屋さんのお刺身の盛り合わせは398円でコンパクトにまとまっていて、大好きだった。いかもサーモンも、まぐろも、しろみも、入っている。
夕飯が決まらないときはあわてて買いに行って助けてもらっていたのに。また、ひとつ、閉まってしまうんだと寂しくなった。
おばあちゃんもお母さんもいなくなって、お世話になっていたお店もすでに何件か閉まってしまった。私だってもう半分は生きてしまったなぁ。
若いときはこんな風には感じなかったんだけど、お店が閉まるたびに人生を感じてしまうようになった。
一日中、ゲームをしているまるちゃんよ。時間はあっという間にすぎちゃうよ。
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