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「期待」が苦しかった私の背中を押した言葉

「期待している」が「期待していたのに」に変わった瞬間に、何度か立ち会ってきた。「期待しているからね」と言い、結果が振るわないと「がっかりした」とか、「残念だった」とか、そういうネガティブな言葉を容赦なく投げつける。期待してくれと頼んだ覚えはない。勝手に期待して、勝手に裏切られたと嘆く。そして「次は頑張れ」とか「もっと頑張ればできる」と続く。100点を取らなければ、一番にならなければ、これはずっと続く。そんな学生時代だった。

私は学校の先生との良い思い出があまりない。それは、私自身の問題によるものも多分にあった。文武両道を目標とする進学校で、部活動をせずにアルバイトをする私を、高校の先生はあまりよく思っていなかった。成績が思わしくなかった事も影響していたと思う。

「部活も勉強もしないでチャラチャラしている」

「アルバイトなんかしてるから悪い」

ある日先生に呼び出されてこう注意された。私がなぜアルバイトをしているか、その理由を聞かない先生に酷く憤った。

「先生が定期代を払ってくれるなら、バイトを辞めて部活も入るし勉強もちゃんとやりますよ」

反抗的な私に、先生は激怒して、後日親が呼ばれた。

成績が悪かったのは私のせいだし、とても生意気な言い方をしたと、とても反省している。それでも、あの時は苦しかった。当たり前のように部活動に勤しむことが出来る同級生たち、お小遣いで遊びに行ける同級生たちが羨ましくて、そして憎かった。先生も大嫌いだった。

母と先生との三者面談では「頑張ります」と答えた。先生は「期待しているからな」と念を押して、成績を目の当たりにした母は、帰り道に「期待していたのに」とがっかりしていた。

これ以上期待しないでほしいと思っていた。元々身の丈に合ってなかった高校だったのだ。私はもう頑張れなかったし、頑張る意味も見失っていた。アルバイトは卒業まで辞められなかった。同級生たちが大学に進学する中、私は専門学校に進学した。母は、専門学校卒業後に就くであろう職業に満足したようだったから安心した。

専門学校で担任だったH先生は、厳しくもなく、かといって優しくもない、ベテランの先生だった。淡々と授業をして、淡々と注意する。笑わず、とっつきにくかった。でも、良く話を聞いてくれた。H先生と話すと、スルスルと本音が漏れた。

専門学校でもアルバイトをする学生は少数派だった。勉強に差し支えるから、と先生たちはアルバイトに対して否定的だった。成績はいつもギリギリ。それでもH先生は良いも悪いも、何も言わなかった。何も言わず、淡々と話を聞いて、指導した。

無事に国家試験を合格し、就職した。H先生と再会したのは、就職して3年ほど経った時だった。

「あなたには、実はずっと期待していました。いい仕事っぷりだと聞いています。今のあなたの姿が見れてよかった。」

この言葉は一言一句、今でも私の宝物なのだ。

私が就職して、専門職の技術者として“成る”まで、H先生は「期待していた」事を私に伝えなかった。期待している素振りなんて微塵も感じなかった。「先生、私の事覚えていたんですか?」と聞き返した程だ。(ちゃんと名前も私のエピソードも覚えていてくれて嬉しかった)

“期待している。”

そう言いながら、私を自分の思い通りの理想の人に仕立て上げたい。そういう気持ちがいつも見えていた。皆、“私”を褒めている訳じゃない、“期待に応えた私”を褒めていた。私はいつも誰かの為に頑張っていて、自分自身の為に頑張ってきたわけじゃなかった。

何も言わず、静かに見守ってくれた事。不出来な学生だった私を黙って見守りながら導く事が、どれほど途方もなく、そして気力と労力のいる事だったのか、どれほど難しいことなのか、後輩指導を担当することがある今なら想像に容易い。

H先生が期待を口にしなかったことは、“頑張るのか、頑張らないのか”を自分で選択する機会をくれたんだと思う。私はH先生のおかげで、自分の為に初めて頑張れた。初めて自分の足で立ったと思った。地に足がついて、根を張った。

「これからも期待していますよ」

最後に先生がいってくれた「期待」の言葉は、今まで言われてきたそれよりもずっと力強くて、今も私の背中を押してくれている。

頑張りたい。これからも“自分の為に”。

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