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答えをずっと探している。

自分の人生を自分でコントロールしているという感覚がずっとなかった。そんな感覚が存在していること自体,知らなかった。

テレビやインターネット上では宗教二世やヤングケアラーについての特集を目にすることが多くなった。その特集の最後,10代の少女がこういった。

「将来は人のためになる仕事に就きたいです」

美談のように締め括られたその特集を見終わった後,鼓動が早まり、うまく息が吸えなくなった。フラッシュバックだった。

数年前に通院していた心療内科を卒業して,穏やかに過ごしているのに,こういうふとしたきっかけで心を乱されて過去に引き摺り込まれる。

母は私を支配して,罪悪感を植え込んで,コントロールする人だった。訳のわからないわからない宗教にのめり込んで,家族は不和になり,わかりやすく貧困になっていった。

私はヤングケアラーで宗教二世だった。

あのドキュメンタリーの少女のように,【人のためになる仕事】を選んだ。今もその仕事をしている。

母親のために,家族のために。誰かのために動いていないと,自分の存在価値はないと,そう思い込んでいた。それが愛されている,必要とされているということの証左だったから。

それが偽りだと気づいた。気づいてしまった。だから生き直すことにした。

自分の人生の舵を手にして,もう二度と誰にも渡さないと誓った日。その気づきに後悔はない。

でも気付いてからは地獄だ。気づいてからの方が辛い。

背負うものも守るものがある。気付いて人生を生き直すには,そういうものがあまりにも多く,そして私は気付くのが遅すぎた。

家庭を投げ出すわけにはいかない,仕事を辞めるわけにはいかない。わかってる。
今の生活はとても幸せで,守りたいという気持ちは正真正銘本物で,子供たちのことを心の底から愛している。全部嘘じゃない。

それでも心の奥の私が時々顔を出す。

本当は,本当は,本当は。

本当は大学に行きたかった。一人暮らしがしたかった。田舎を飛び出して,都会で自分を試したかった。人のためになる仕事なんて,選んでなかった。もっとクリエイティブな仕事がしたかった。

本当の私はどっちだろう。

身がちぎれそうになる。叫び出したくなる。

もしかしたら,全て投げ出してしまうかも知れない危うさ。そういうものを秘めた自分に気づいてしまったことへの恐怖。

だからあのドキュメンタリーの少女たちに伝えたい。

「人のためになる仕事に就きたい」は,呪いなんだよ。一回立ち止まって,後ろを振り返ってよく考えて。信頼できる大人にキチンと相談して。

あなたの人生はあなたのもの。誰かのために生きる必要は全くないんだよ。存在しているだけで価値があるんだよ。

私は私の人生を生き直せるだろうか。それはどういう選択肢のことを言うんだろうか。答えをずっと探している。

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