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その鍋は海の味がする

小学生の時に読む国語の教科書で、最も多くの人が覚えてる話のひとつは『ごんぎつね』だと思う。(「ごん、おまえだったのか。」しか覚えてない人、仲間です)

昨晩、夕食を囲む時に父からこんな話を聞いた。
「ごんぎつねには、貧しい暮らしをしている主人公が、自分の母親の葬式で村の人に鍋を振る舞わねばならないシーンがある。とある小学校で『その鍋の具材は何が入っているでしょう?』という問いを子どもに聞いたところ『お母さん』と答えた生徒がいたらしい。」と。しかも一人ではなく、複数人がケロッとした顔で答えたとのこと。

あまりの衝撃に我が家のディナータイムは激論の場へと発展してしまったのだけど、結論としては『感情を理解はできても共感はできない子が多いんじゃないか?』というところに落ち着いた。

愛したなにかを喪う辛さがわからないことは、人生の痛みを軽減するかもしれない。でもそれより、気づけなくなってしまった喜びのほうが圧倒的に多くなる気がする。

母親を鍋にすることになんのてらいもないこどもたちは、これから先何を愛するんだろう?

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