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【掌編】毛玉取り器のある生活

(約3400字) 

 床に転がった電動毛玉取り器。佐倉さくらライワ優希ゆうきはベッドに座りながらそれを眺め、すうっと斜め下に右手を伸ばした。

「届かない」

 優希は一言だけ呟き、ベッドに寝転がった。毛玉取り器は床に転がったまま。勝手に宙に浮いて優希の手元までやってきたりしない。

「もし今、このベッドの上で生まれ変わって毛玉取り器になったらどうしよう。ふふっ」

 優希は右手をひたいに置き、はあっと息を吐いた。キィィイイイ……と、ルームのドアがひらいていく。パタパタパタパタ、とスリッパの音。入室してきたスクライト井口いぐちがベッドの前に立ち、目を閉じたままベッドに横たわっている優希に声をかける。

「優希、毛玉取り器が必要か?」

 優希は何も答えない。縦にも横にも首を振らず、スクライト井口の立つ方向に向け、またすうっと右手を伸ばした。

「優希、毛玉取り器が必要か?」

 スクライト井口は再度同じ言葉を優希に投げかけた。その言葉を耳に入れた優希は十秒ほど静かに呼吸をし、ベッドに横たわったままでゆっくりと目を開けた。

「いらない。そういえば僕達って服着てないんだよね。どうして毛玉取り器がこの部屋にあるんだろう? 井口君、分かる?」

 優希から質問されたスクライト井口は小さく「分からない」と答え、彼も優希の隣に静かに横たわった。優希はその様子をちらりと横目で見たあと、「ふふっ」と笑い、寝転がったままで顔だけをスクライト井口のほうに向けた。

「井口君、そしたらさ、生まれ変わったら毛玉取り器ってなかなかの恐怖だと思わない?」
「恐怖?」
「うん。ホラーだよ、ホラー。生まれ変わったら『必要無いもの』だったって……ねえ? あはははは!」

 スクライト井口は、突然笑いだした優希の隣で、ただ黙っていた。床に散らばるハンガー、ハンガー、ハンガー、ハンガー、そして毛玉取り器。ここに服は無い。一着も無い。

「優希、俺達には服が無いから、この部屋から出られない。ハンガーも毛玉取り器も必要無いけど、服が無いから外に行けない」
「うん。それで?」
「必要なものが無くて、不必要なものがある」
「うん。それで?」
「現実って感じがする」
「そっか。そしたら井口君、気晴らしにどこか旅行に行く? ローカル線で現実逃避旅行! 二人して風になびくふわっふわのシフォンワンピース着てさ」
「いや、だから、ここに服の存在は皆無だし、それ故に俺達は二人とも部屋の外に出られないんだよ」
「あはははは! 身にまとうものが無くて外に出られない! そりゃ何よりも現実って感じがするね!」

 キィィイイイ……と、ルームのドアがひらいた。

【Room neoteny: A】
【Room neoteny: B】

 ドアがひらいてもそこには誰もいない。ドアがひらいたすぐ外にある棚、その上にカードが添えられた食事が置いてあるだけ。カードの違いはAかBか、の一文字だけ。あとは同じ白地に黒文字。
 優希はベッドから起き上がり、廊下の棚に置かれた二人分の食事をベッド横にあるダイニングテーブルの上まで運んだ。

 キィィ……と音を立て、ドアが勝手に閉まっていく。

「井口君、ご飯が来たよ。これで明日も生きていけるね」

 テーブルの前に立ったままの優希から声をかけられたスクライト井口は、ベッドから体を起こさないままで少しだけ微笑んだ。

「そうだな。毛玉取り器を見ると服のほうが欲しくなるけど」
「僕達が外に出られない原因を分かっているはずなのに、敢えて毛玉取り器を床に転がしておくなんてね。ふふっ。ああ、おかしい」
「確かにおかしいな。優希、食事を運んでくれてありがとう」
「どういたしまして。ねえ、僕らって、どっちがAで、どっちがBだっけ?」
「さあ。俺も忘れた」
「あちゃー。二人して忘れちゃったか」
「うん。けど、どっちがどっちだったかは、そのうち天井から降ってくるだろう。幸い今運ばれてきた食事はAもBも同じだ」

 スクライト井口はようやくベッドから起き上がった。ダイニングテーブルの上に置かれた食事からは湯気が上がっている。すべての希望が失われたわけではない、ということを証明するように。
 テーブルの上には、バゲット、海藻サラダ、クラムチャウダー、白身魚のオーブン焼き、ジャーマンポテト、そして人参ゼリーと水。(豪華だ)。それらが二人分、同じ分量で、プラスチック製のトレーの上にそれぞれ同じ位置でセットされている。スクライト井口はテーブルの前に立つ優希のもとまでゆっくりと歩いた。

「優希、今夜はどんな話をしようか」
「井口君の好きな話をしてよ」
「じゃあ、最新の毛玉取り器の話をする」
「あはははは! それは面白そうだ! 今日も生きていて良かった」

 室内に優希の大きな笑い声が響く。響き続ける。毛玉取り器はずっと、同じ場所に転がったまま。今日もまた、昨日と同じように夜が近づいてくる。窓の無い部屋の外で、たった今、日が落ちた。

 スクライト井口は優希の大きな笑い声を聞き、心から安心したような顔を優希に向けた。そして、昨日の同じ時間と全く同じ顔をして、笑った。
 優希とスクライト井口は同じタイミングで椅子に座った。

「優希、温かくて有り難いこのご飯を食べ終わったら、ゆっくりと最新毛玉取り器の話をするよ。いただきます」

 キィィイイ……

 スクライト井口がグラスを手に持った瞬間、またルームのドアがひらいた。パタパタパタパタとスリッパの音をたてて、一名が裸の状態で入室してきた。その者の後方には、脱ぎ捨てられたシフォンワンピースが落ちている。

 キィィ……

 この部屋のドアは、昨日からも先月からも何ら変化はない。勝手にひらき、勝手に閉まる。そして窓は、もうずっと長いあいだ、一つも無い。風は一切通らない。

 バタン!! カチャ……ン…………

 ドアが閉まった。

 スクライト井口は音を立てないよう、グラスを静かに置き、向かいに座る優希の顔を見た。

「優希、一旦食事は後にしよう。挨拶が先だ」
「そうだね。後にしよう。ねえ、君。もうドアも閉まったんだし、喋ってもいいと思うよ」

 優希は椅子から立ち上がって、ドアのところに立つ者に声をかけた。声をかけられたその者はゆっくりと口を開いた。

「初めまして、Cです。僕の名前はそのうち天井から降ってくると思います。それと、あとからもう一名、Dが来るらしいです」

 Cはまず優希の顔、そのあとにスクライト井口の顔を見た。優希は「ふーん」と言い、Cに対し微笑みかけた。

「初めまして。俺は井口。よろしく」
「初めまして。僕は優希。ねえ、取り敢えず今から井口君の毛玉取り器の話を聞いてみない? それで、その話が終わったら……寝てくれる?」

<寝ルノハ大事ダ、寝ルノハ大事ダ、ソウダソウダ、寝テクレル?>

 優希が話し終えるとほぼ同時に、天井から声が降ってきた。その瞬間、Cは楽しそうに笑った。窓が無く、風が通らないこのルームで大声で笑い、しきりに体内から空気を吐き出した。

「分かりました、優希さん。あの、これは本当に本当のことなんですが、今凄く楽しい。本当に楽しいです。僕は、今になってようやく生きている実感を作れるようになりました」

<ナマエ……、Cノ、ナマエハ、モンジュロウ……>

 天井から再び声がり、Cの前にカードが一枚はらりと落ちてきた。
 カードには【浅野門寿郎秀勝あさのもんじゅろうひでかつ】と書かれている。Cはそのカードを拾い、ほんの少しだけ表情を強張こわばらせたあと、すぐに明るい表情になった。

「あ、僕、門寿郎らしいです。井口さん、ぜひ毛玉取り器のお話を聞かせてください」
「分かった。これから優希と門寿郎に、とっておきの毛玉取り器の話をする。だけど、ごめん。出来れば俺はその前に食事を済ませたい」
「君の名前は門寿郎かぁ。よろしくね、門寿郎。ご飯冷めちゃうから僕も食べよっと」
「はい。よろしくお願いします。あと、僕の好きな食べ物はカマンベールチーズです」

 キィィイイ……
 パタパタパタパタ、パタパタパタパタ、パタパタパタパタ……

 またしてもドアがひらき、スリッパの音が部屋に響いた。佐倉ライワ優希、スクライト井口、浅野門寿郎秀勝は一斉にドアのほうに顔を向けた。
 ドアの向こうには毛玉がつかなさそうな、そして風になびきそうなシフォンワンピースが複数枚、脱ぎ捨てられている。

 バタン! カチャ……ン……
 
 ドアが閉まった。

「初めまして、Dです。好きな食べ物はぬれ煎餅せんべいです。俺の名前はもうすぐ天井から降ってくるらしいっす」
「初めまして、EとFとGです。僕がEで、好きな食べ物は海老餃子、隣のFが梅干しで、その隣のGがピンクグレープフルーツです。僕達の名前はもうすぐ天井から……」

(終わり)

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↓ 以下、作り手の個人的なあとがきです。(約500字)



(あとがき)
こんにちは。何だか無性に丸亀製麺の親子丼を欲する今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
10か月くらい、毎日ちょっとずつですが長編を作っていて、それは本当に自分のなかでは良い人生経験になっています。しかし、それはそれとして、あまり深く考えず肩の力を抜いて短い創作文を作るのも良いですね。この話はめっちゃリラックスした状態で作りました。リラックスは良いよなぁ、リラックスは~。山も良いよ、山も。
リラックスすると素が出るのか何なのか、自分のなかで大切にしたい時間が見えてくるので、それが良いなと思ってます。自分はとにかく創作が好きなんだな、と思いました。毎日少しずつやっているので投稿頻度は今後もマイペースになると思いますが、来年も創作やります。noteは自分にとって日常を楽しんだり、知らなかった世界を知れる、とっておきの場所になりました。とにかく創作の時間は好きです(2回目)。絵も描きたいよ、絵も。

それでは。あなた様の貴重なお時間を使って読んでくださり、ありがとうございました。

(2023.3.30 加筆修正しました)

とても嬉しいです。ありがとうございます!!