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第四十七話「破壊」/ 長編:立入禁止区域を、あなたに

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「ああっ! トモさん、手錠で拘束されているのね。切らなきゃ!」

 美雨ちゃんは、バッグから刃渡りニ十センチ程度の鞘付き包丁を取り出し、包丁を鞘から抜いて私の手錠のチェーン部分に向け、カンカンと振り下ろしてきました。
 海外にいるはずの美雨ちゃんが何故今、自分の目の前にいるのか理解が出来ず、さらには先ほど美雨ちゃんの後ろに現れた白髪交じりの男性、それに十名くらいいるカジュアルな服装の若い男性達は一体誰なのかということも合わさって、今のこの状況が全く飲み込めず、私はもう混乱するしかありません。

「えっと、あの、美雨ちゃん、どうして?」
「ダメね。包丁じゃ切れないわ!! 柏木、バッグを貸して!!」

 私がやっとのことで、美雨ちゃんに言葉を向けられたのも束の間、彼女は白髪混じりの男性が持っていた大き目の手提げ鞄を男性から奪い取り、鞄を開け、そこから見たこともないペンチに似た特殊な工具を取り出しました。そして、それを使って手錠のチェーン部分を切断し、体が自由になった私の手を左手で引いて、
「トモさん、立って。行くわよ」
と鞘に戻した包丁を右手に持ったまま言いました。

「美雨ちゃん、何故ここに?」
「話は後ほど。とにかく行くわよ。トモさん、立って!!」
「えっ? 行くって? どこに?」

 なかなか立ち上がれなかった私は、美雨ちゃんに強く手を引かれてようやく立ち上がりましたが、寝起きでこの訳の分からない状況ですから、足に力が入りません。美雨ちゃん以外の人達は土足なんですが、この人達はどうやってここに入ってきたのでしょう? あと、ユヅルさんは?

「やってくれたねえ、お嬢様」

 洋室のドアのところに一・五リットル瓶の牛乳を三本と、大きめのマグカップを二個抱えたユヅルさんが現れました。あれ? 夕方にはつけていたピアスが外されている?

 洋室の中には美雨ちゃんと私、そして白髪交じりの男性、若い男性達がおり、元々ダブルベッドやソファーなどの家具が置いてあるため、ぎゅうぎゅう詰めになっています。ユヅルさんはそんなことも気にしないといった様子で、美雨ちゃんに微笑みかけます。

「珍しく俺の店に来て突然泣き出し『今夜は辛くて一人になりたくないから、あなたの部屋に連れて行って』なんて言い出すから何のつもりだと思いながら連れてきたら……まさかこんな大人数のお友達まで一緒についてくるとはな。それとお嬢様、君の育ったご家庭では、他人の家に入ったら勝手にドアを開けてまわるのがマナーだと教えられてきたのか?」

 勝手にドアを……? 

「え? じゃあ、さっきのバタンバタンって音は、美雨ちゃんが、ドアを開けてまわった音だったのですか?」
「そうよ、トモさん。マナーなんて忘れていたわ。あと、玄関のドアは破壊させていただきました。今、玄関口に男性を二人立たせていて、もしほかの住人さん達に怪しまれるようなことがあったら『DIY同好会の活動中の事故』だと説明するよう、彼らに指示してあります」
「玄関のドアを破壊!? ええっ、どういうことですか、美雨ちゃん?」 

 ユヅルさんは「ふーん」と言って、美雨ちゃんの右手にある包丁をチラッと見ました。
 人ん家のドアを破壊って! そしてドアを破壊されたほうが「ふーん」って!! 目の前で繰り広げられたツッコミどころ満載の会話に、さらに思考が追い付かなくなってきます。

「君の目的は、トモちゃんだろ? 俺を騙して俺の部屋に入り、トモちゃんの姿があると確認出来たら仲間を呼ぶ、そういう作戦?」
「ええ、そうよ。私のSNSアカウント宛に、明って人からDMが入ったの。トモさんがここにいて危ない状況かもって」
「えっ。明さん……? サリーさんのカフェで働いていた?」
「そこまでは知らないわ。……ねえ、ユヅルさん、あなたはトモさんを洗脳し、部屋に閉じ込め、そして変態行為に及ぼうとしていたのでしょう?」
「変態行為? 俺が?」
「そうよ。あなた変態でしょう? この手錠とか、その他よく分からない道具は何なのよ? それに、人をこんな場所に閉じ込めておくなんて、常識的におかしいわ。とにかくトモさんは返してもら――」
「お嬢様、一緒に牛乳飲まない?」

 ユヅルさんは美雨ちゃんの言葉を遮って室内に入り、ソファーに座ります。
「はい、お嬢様の分の牛乳。どうぞ」
「はあ? 牛乳ですって?」
「ねえ、お嬢様。美味しい牛乳飲みながら、座って話さない?」

 ユヅルさんから、牛乳の入ったマグカップを強引に渡された美雨ちゃんは怪訝な顔つきになりました。
 どうしよう。このままだと美雨ちゃんがユヅルさんのペースに巻き込まれてしまいそうなのに、私は混乱して何を言えばいいのか分からず、なかなか言葉が出てこない。
 私の横には、白髪交じりの男性が立っていて、彼は「初めまして、美雨様のお世話係の柏木と申します」と小声で私に告げてきました。

「あのね! 私は牛乳なんて――」
「お嬢様、俺にもっと言いたいことがあるんじゃない? でも俺は、こんな綺麗な女の子にいつまでも立ち話をさせていたくないんだ。それに、お嬢様は少々誤解をしている。誤解を生んだまま別れるっていうのは人生において非常にもったいないことだよ。だから……ねえ、座って話さない?」
「人生においてもったいない? ま、まあ、そういうことなら……」

 とうとう美雨ちゃんがユヅルさんの向かい側のソファーに座ってしまいました。柏木さんが小さく溜め息をつきます。

「そうだ、お嬢様。その手に持っている包丁でさっき金属を切ろうとしてただろ? 大丈夫? 刃こぼれとかしてない?」
「刃こぼれ? 刃こぼれって何かしら?」
「あははっ。お嬢様も料理しないんだったね。刃こぼれは包丁には大敵だから、もししてたら、めちゃくちゃ恐ろしいことになる。ちょっと貸して? プロの俺が見てあげる」
「めちゃくちゃ恐ろしい? じゃ、じゃあ、チェックお願いするわ……」
「美雨ちゃん、渡してはダメで……痛っ!!」

 ユヅルさんに包丁を渡そうとする美雨ちゃんに近づこうとした瞬間、柏木さんに腕を掴まれました。

「どうかこのまま、美雨様の好きにさせてやってください」
「え……? 柏木さん、どうして……?」
「どうかお願いします」
「わ、分かりました」
「ありがとうございます、荒島様。よろしければ、トモさんとお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「え? はい、どうぞ……」
 
 柏木さんは、そっと私の腕を掴んでいた手を離しました。
 この人、見た目は七十代くらいに見えるし細身なのに、腕を掴む力が凄く強かった。このまま黙って事の次第を見ておけってこと? 何か思惑があるってことですか?

 美雨ちゃんから包丁を手渡されたユヅルさんは、鞘から抜いて、刃が剥き出しになった包丁と鞘を別々にし、テーブルに置きました。その瞬間、美雨ちゃんのゴクっと唾を飲む音が聞こえてきました。

「お嬢様さあ、誰から何て聞いたのかは知らねえけど、俺が常識的に何だって?」
「だって……こんなの、常識的におかしいわよ……」
「お嬢様、急に声震え出したけど大丈夫? あのさ、俺は別にトモちゃんに対して無理矢理に変態行為は行っていないし、閉じ込めてなんていないし、何一つ強制したことはない。逆に好きなように生活をさせて、金銭的にも面倒をみてきたんだ。それにあの手錠だって、トモちゃんの意思でめて、トモちゃんの意思でいつでも外せる状態だよ」
「ええ!? そうなの、トモさん?」

 振り向いた美雨ちゃんにそう言われ、初めて気づきました。まだ自分の左手首には、鎖を切断されたあと片方だけになった手錠の輪っかが、つけられたままだった……。

「そ、そうなんです……」
 美雨ちゃんに向かって首を縦に振り、手首の手錠を外します。ユヅルさんがチラッと私を見た気がする……。

「それでね、お嬢様。俺のことを常識的に何とかって言ってたけどさ、だったら君らが今やっていることは一体何なんだ? そこの男性達はいきなり他人の家に土足で侵入してきて、お嬢様にいたっては他人の私物を勝手に破壊し、その上、刃物を隠し持っていた。常識的におかしいと言うのなら、それはあなた方のほうではないですか?」
「え、ええ……。通報レベルのことを仕出かしたのは重々承知しております……」
「それで? 承知するだけで済まそうとしてんの?」
「い、いいえ……。そんなことはありません。ですから、柏木、アレを」

 美雨ちゃんから声を掛けられた柏木さんは、一度部屋を出て、再度また洋室に戻ってきました。何やら縦ニ十センチ、横二十五センチ、奥行き十センチくらいのトランクバスケットを持っています。麦わら帽子をかぶった女性に似合いそうなバスケット。何、あれ……?

「柏木さん、何ですか? そのバスケットは……」
「トモさんのために、こちらが用意してきたものです。美雨様、どうぞ」

 柏木さんはトランクバスケットを美雨ちゃんに渡し、受け取った美雨ちゃんはソファーテーブルにそれを置いて、中身をユヅルさんに見せました。私も背伸びしてその中身を見てみます。

「ええ!? 美雨ちゃん、これは!?」

 束になった現金が入ってる! それも一杯入ってる!! なんかグッチャグチャだけど!!
 でも、何でこんな可愛いバスケットに? それもこんな乱雑に。普通こういうのって、アタッシュケースに綺麗に敷き詰められてるものなんじゃ?
 これにはユヅルさんも驚いた表情を見せています。彼は今、どんな理由で驚いているのだろう?

「かわいいトランクバスケットですねえ。金で解決させてくれってこと? さすがだな、世の中大抵のことはこれで解決する」
「これで玄関のドアの修理代、床の掃除代、新しい手錠の購入費には十分足りると思います。残りの分は通報を見逃していただく代として……」
「お嬢様、さっきよりか冷静になったじゃないか。こうやって圧倒的な経済力を見せつけて、俺を脅してんのか? これ以上私達に関わるようなことがあれば、この経済力を使ってこっちはいくらでもほかの手段をとれる、とな」
「それは……。ええ、まあ、おっしゃる通りで、そういう思惑があったのは確かです。ですが、このお金は私の父が私のために与えてくれていたもので……」
「だったら、今日トモちゃんを助けるのはお嬢様じゃなくて、パパってわけだ」
「そっ、そんなこと……」
「お嬢様、声が小さくて聞こえない」

「わああ! ちょっとユヅルさん!!」

 美雨ちゃんが話終えるのを待たずに、ユヅルさんがテーブルにマグカップを打ちつけるようにして勢いよく置いたので、部屋中に大きな音が響き渡り、私は思わず大きな声を出してしまいました。
 しかし、彼はそんな私の大声にも一切反応せず落ち着いた様子で、テーブルの上に置かれた包丁をそっと撫でるようにして触っています。怖い。こんな人が目の前に座っていたら、私だったら絶対泣く。

 ユヅルさんは少し腰を浮かし、向かいに座る美雨ちゃんの隣に置かれた口が開いたままの彼女のバッグからスマホを取り出し、それをユヅルさんの前にあるマグカップの横に置きました。そして、そのマグカップに再度たっぷりと牛乳を注ぎます。

「お嬢様、こんな危ねえモン持ってウチの店にいたんだな? ほかのお客様もいるなかで……まったく、どこから警察に言えばいいのだろう? 俺は今、スマホをここに沈めるくらいに心を痛めているよ」
「ユヅルさん。必要であれば、お金は追加でお渡し出来ますので、そのマグカップの牛乳に私のスマートフォンを沈めるのは見逃していただけないでしょうか? 防水ではないので」
「常識がどうのこうのと言った次は、見逃してほしい、か。……なあ、お嬢様、パパのことは好きか?」
「父のことは今、関係無いでしょう?」
「何だ? 急にそんな怒ったような顔をして。パパのことは聞いちゃいけないのか?」
「……」

 ユヅルさんは、一本だけ未開封だった牛乳の瓶を手に持ち、新たにそれの蓋も開けました。

「どうして黙るんだ? 今、お嬢様が提案してきた追加のお金ってのも、パパのお金だろう?」
「そ、そうですけど……」
「お嬢様、パパに頼りっきりじゃねえか。でもまあ、そのパパのお金を少しでも多く俺がもらえば、お嬢様を一日貸し切って調教することも出来たりする?」
「黙れ! この変態クズ野郎!!」

 室内に、美雨ちゃんの大きな声が響き渡りました。

「美雨……ちゃん?」
 彼女がこんなに大声を出すなんて信じられない。それに今、ユヅルさんをひっぱたこうとした……?

 彼女の右手は、ユヅルさんの頬にあたる寸でのところで柏木さんに止められており、美雨ちゃんは手首を持たれながらも柏木さんを睨みつけています。
  美雨ちゃんが物凄く感情的になっている。ユヅルさんはきっと、彼女の琴線に触れるようなことを言ったんだ。それも、わざと。 

「離せ、柏木! この男はパパと同じニオイがする!! 離せ!!」
「離しません。美雨様、この男に手を出してはなりません」
「うるさい! こいつはパパと同じ変態クズ野郎だ!! 柏木、離せ!!」
「あなたの本来の目的は何でしたか? 今は余計な感情を捨てなさい、美雨様! それに、本物の変態はこの男ではなく――」

「爺さん、それ何の話?」

 ユヅルさんは急にソファーから立ち上がり、柏木さんの腕を振り切ろうとしていた美雨ちゃんの頭を持って、テーブルに叩きつけ、彼女の頭上から何の躊躇もなく牛乳をかけました。一リットルは確実に頭から被ったでしょう。ポニーテールにされた美雨ちゃんの綺麗な黒髪が、ところどころ白く染まっていきます。
 感情的になったままの美雨ちゃんがテーブルに置かれた包丁を手に取ろうとしたとき、柏木さんがそれを止め、包丁を鞘に納めたあとに美雨ちゃんのバッグの中に戻し、それを見たユヅルさんはようやく、「牛乳さん、粗末にしてごめん」と言って、美雨ちゃんの頭から手を離しました。

「美雨ちゃん、大丈夫ですか!?」

 私は思わず美雨ちゃんのそばに駆け寄りました。頭から牛乳をかけるなんて! この男は美雨ちゃんになんてことを! 
 でも、どうしてユヅルさんはさっきから、こんなにも美雨ちゃんに挑発的な態度なんだろう? 

「ちょっと、ユヅルさん!! あなた美雨ちゃんに何して……」
「美雨様! こちらのハンカチをお使いください!!」

 ユヅルさんに詰め寄ろうとすると、突然、柏木さんが私を制すように大きな声を出し、私はその声に圧倒されて立ち止まってしまいました。

 柏木さんは、若い男性達に向け、「廊下に出ていなさい」と言い、彼らを部屋の外に出したあと、ドアを閉め、美雨ちゃんの隣に座りました。

「澤野君。お前さん、自分から弱みを作ったのか?」
 
 柏木さんは極めて冷静な口調で、ユヅルさんに話しかけました。

 え? 柏木さん、弱みって……?
 私はさっき柏木さんの大声に圧倒されたせいか、美雨ちゃんと柏木さんが座るソファーの隣に立って動けないまま、柏木さんの表情を改めて確認しました。柏木さんは、向かいに座るユヅルさんに対し、まったく感情を表に出さずに落ち着いた表情を保っています。

「何だ爺さん、怒ったのか? ところで、さっきまでいた若い男性陣は黙って立ってただけだったけど、あの子らは一体何なんだ? これだけ人数いて誰もお嬢様のこと守れてないって、君らコントのつもり?」
「あの人達のこと悪く言わないでよ、変態クズ野郎!!」
「美雨様、落ち着きなさい」

 まだ感情を抑えきれていない様子の美雨ちゃんに対し、柏木さんは諭すように声を掛け、またユヅルさんの顔を見て、ゆっくりと口を開きました。

「澤野弓弦……いや、誰よりも可愛い“イイ子”のユヅル君。今からは、私と大人同士の話をしよう」


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