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ブック・マルシェ   (完結編)

                   おおくぼ系

つづくとした〈ブック・マルシェ〉を短編のエッセイ小説として完結しました。本好きなあなた! 読んでくだっせーっ!   ヨロピク !


 5月連休の3日と4日にブック・マルシエ(マーケット)なるものが開催された。
 本を持ち寄って販売するものであるが、中央で開催される文学フリマのように自作本の販売・宣伝もできるという。マネージャー女史が創作工房Kの屋号で登録し、彼女の指揮のもと勇んで初参加した。

 主催はかごしま近代文学館で、エントランスに180センチの長机を用意するので、それを利用して本の展示・販売を行ってくださいとのことである。ただ、信じられないことに参加料は1店舗1日50円で、2日で100円との格安である。思わずバンザイ! をさけんだ。
二週間前から準備に取り掛かったのだが、まずは展示用の本棚の作成とおおくぼ系の宣伝用チラシを製作することから始まった。これがなかなかで、外注すると費用もかさむ。結局、本棚もチラシも自作することになり、マネージャー嬢とああでもない・・・それへんだと、あれこれ激論しながら、四段の本棚と8頁にわたる自己紹介用の宣伝パンフが出来上がったが、残りは一週間となっていた。
宣伝パンフは、長編小説『カンガルーポーの絆』を出すときに新宿のアーテイスト、奥田鉄人(ロボット)氏に本の表紙と解説を丸投げしたのだが、その際に、氏が解説として描いてくれたのは、イラスト(まんが?)であり、「K氏について私が知っている2、3の事柄」であった。この5頁からなるイラストが、気に入っていたので再利用させてもらった(笑)。

主催者から店舗のPR文を作製してくださいとのことであったので、エイヤッとばかりに気合を入れて大見えを切った。このあたりはいつもの勢いであるが、切りすぎではなかったか?
 〈だれでも作家になれる時代、出会いと発進〉
 創作工房Kは、だれでも作家になれる時代に、地方から創作文化を発進することを願っています。創作文化に役立つようなステキな本を販売します。
 いろんな本との出会いを、楽しんでください。
1. 地方作家の出版本(同人作家もふくむ)、文学同人雑誌など
2. あつめてきた作家のサイン入り本(作家からの贈呈本もふくむ)
3. 小説、写真集、イラスト集、絵本など、すてきな出会いをあたえてくれた本、いままで収集した本を取りそろえています。
 SNSの浸透により、作家になろう系のように一億総作家時代といってもいいのかと考えていたし、本とも一つの貴重な出会いだと思っている。
 ここまでくると、盛り上がりもハンパなく構想は一人歩きしていく。小生もマネージャー女子もネームプレートを着けようとか、(コスプレまでは、さすがに引けたので、ボツになったが)コンセプトが〈出会い〉なのだから、出会いを生み出す陳列にせねばならないとなった。
 系どんが著作や古書を展示販売をするという案内文も作成し〈推し〉をしてくれる方や一部マスコミにも投げ込んだ。なんとしても作家おおくぼ系ブランドを吹きまくらねばならない。地方のハンディを克服する気概を持たねば、作家は消えていく。
苦慮したのが、販売本の値段シールの付け方である。ベストセラー作家の本が高額であり、必ずしも売れるとは限らない。かえって、発行部数の限定されたものが意外な高値をつけることもある。また、某古本量販店のごとく、新しい本はそれなりに、古い本もそれなりに二束三文では、本好きが高じて作家となったものには、味気なくつまらなすぎる。アマゾンでの販売価格を参考にしながら、できるだけ安く抑えねばとも思いつつも、もの書きとしては、苦労して書いたものが100円でしかないのには抵抗も覚える。さらに愛着のある本はどうしても高額をつけざるを得ない・・・結構面倒ながら、相反する気持ちをおしはかる、実に楽しい作業であった。本の価値を独断と偏見できめるのだから。

コロナも心配されるなか、当日になり、本を詰めこんだ十個ほどの段ボール箱を運び込んだが、これが重たくて、腰がきしみ大丈夫かなと不安もよぎった(笑)。
当日をむかえて、午前10時になり、何とかこぎつけた感で無事オープンとなりました。
四段の本棚を長机の中心にすえ、向かって右に、拙作、おおくぼ系の小説とパンフを置く。小説の価格は、マネージャー女史の「自身の作品だから定価で販売するプライドを持ちなさい」との一声できまった。
中央本棚の一番下には、同人雑誌や同人の個人本、二段目には今まで集めてきた作家のサイン入りの本、三段目には文学の全盛期であったひと昔前の単行本を中心に、歴史的ノスタルジアを呼び起こせるような本を配列し、四段目は各種文庫本である。左わきのカゴには、絵本や写真集などの大型本をとなった。

〈姶良市在住・アナログ作家の系どんです〉のネームプレートを着けて、ブースの横に立ち、20分ほどたったところに、中年の婦人が来店して、しばらく眺めておられたが、〈汚れちまった悲しみに〉の『中原中也詩集』を買い上げてくださった。
さいさきの良いスタートとなった。
かごしま近代文学館は、文学館とともにメルヘン館も併設しており、外壁は石ブロックを積み重ね、高台にそびえる塔をそなえており、おとぎ話の城がイメージとして浮かんでくるような、荘厳かつ洒落た造りとなっている。児童文学の振興・普及にも力を入れており、当日は連休でもあり、入口右側のメルヘン館では、アニメの上映が企画されており、上映時間が近づくと子供連れでにぎわいだしてきた。年少の男の子が、カゴにはいっている絵本『ウォーリーをさがせ』に目を留めて、買い求めてくれた。
そうこうしているうちに、案内状を出していた高校時代の同窓生が、かけつけてくれた。彼は、役所勤めでその中枢を走っているエリートであり、タフな精神を持ちながらも幅があり温和である。精神的にかたよっている作家と違って、堂々としながらも人当たりの良さは、できすぎているとまで思われる。人としてスゴイの一言で、こちらとしては、いつも一方的にお世話になりっぱなしである。
彼が拙作の、まだ読んでないもので、面白いものはないかという。それではと、『現代作家代表作選集2』に発表した、「アラベスク・西南の彼方で」と『おおくぼ系短編集1』をすすめた。他には、とのことであったので、幸田真音の『財務省の階段』をあげ、川柳を書いた文庫本、計4冊を購入いただいた。いつもながら感謝、感謝である。彼に最敬礼をしつつ送り出すと、聡明さを感じさせる、しっかりとした美人の館長さんが立ち寄られた。上棚の文庫本をみながら、「今野敏が、金子みすゞを書いている?」と声をあげられる。
ファンである今野敏が話題になることの嬉しさを感じながらも、ここぞとばかり、「この今野は、今野勉という別人で、みすゞをTV番組で紹介した方です」とのたまい、「この本で、みすゞのあれこれを書いているんです」と述べた。さらに「みすゞは、ダンナのことで大変苦労されたようですね(オトコはいつも悪人である?)」とつけたすと、館長さんが「そうだったようですね。そういう時代だったのですね」と返された。そして、「単に書かれた、みすゞの詩を味わうというより、その背景を知る本も面白いのかもしれませんね」といわれる。このような会話ができることは、たとえようもなく楽しくて、本を介した出会いであると思う。
みすゞについては、私なりのヒミツがあり、アナログ作家は、ノンフィクション、『金子みすゞ作品鑑賞事典』に評を描いていて、みすゞをかなり読み込んでいたのである。ひとつだけを紹介すると以下のようなものである。

   男の子なら(おとこのこなら)
〔初出〕『金子みすゞ全集』(JULA出版局、一九八四年)〔収録〕『金子みすゞ童謡集』((株)角川春樹事務所、一九九八年)・『さみしい王女・下 金子みすゞ童謡全集⑥』(JULA出版局、二〇〇四年)など。 
 みすゞの詩は童謡である。メロデイは定かでなくとも声に出して繰り返し読めば、そのまま、みすゞの世界に入りこんでいける。『男の子なら』で、みすゞは、海をお家とする海賊になる。やさしく遊び心をもった海賊である。そして、みすゞ海賊の「いちばん大事なお仕事」は、お噺(はなし)のなかの宝を取り返すのだ。それは「かくれ外套(マント)や、魔法の洋燈(ランプ)、歌をうたう木、七里靴(しちりぐつ)」、みすゞならずとも、子供の頃の我々にとって、心をいっぱいに満たしていた宝物である。無事にお宝を取り返した船は、青く染まった世界をとおくへと走っていく。最後の「もしもほんとに男の子なら、/私、ほんとにゆきたいの」で、現実のみすゞへと返るのだが、「ほんと」を繰り返して、さらに「ゆきたいの」と、やさしく語りかけて強い想いを、無限へと広げていくのである。(おおくぼ系)

昼も近くなり、開催の案内を出した一人の女性が訪ねてきた。
並べられた本をしげしげと眺められ、「随分と読んでおられるのですね」といわれる。小説を書くには、1000冊は(最低でも、であろう)読んでからという時代であったことや、ここに至るまでの想いなどを語り合うと、人生いろいろとありますよね、と述べられた。
「そうですね、いろいろと、ありすぎたのです」と、私は、つぶやいた。
半生を振り返ってみると、いろいろなことがありすぎた。ありすぎて、記録するというより、経験と苦悩を自身の外界へはき出すために書きだした。それにより病んだ精神の安定を得ようと考えたようだった。事件や事故の中でゆがめられる現実に対して、いかに生き抜いていくのか? 想いを(泣きごとを?)吐露して、その結果として傷ついた精神のバランスが得られたか? ・・・それはわからなかったが。病人の心情をあれやこれや述べても、他人はなかなか理解しがたい。
フィクションという架空世界を創り出してひとり悦に入り、虚空の世界に遊ぶ、結局は現実逃避か、そんなもんなんだと・・・自嘲するしかなかった。
こんな心情までは、口に出してはいえなかった。「いろいろと、ありすぎてですね・・・ハハ」と、私は再度、笑いだけを投げた。
「そうですか」 女性は、本を見渡しながら「これからも、がんばって書いてください」との言葉を残して辞去された。後姿を見送りながら、私は、作家、おおくぼ系という個が確立しつつあるのを感じた。

マネージャーと交代で昼食をとり、外食から帰ってくると、新たな客を迎えた。来店の彼女は高校の低学年生に思えた。ひとりで、古典的な著作を熱心にたどっている。案内にも慣れてきたので、小ざっぱりした服、おかっぱ頭に丸い眼鏡の様相、横顔をじっくり観察できた。
「そのへんは、高度成長時代の文学全盛期の作品をならべてあるんです」
さらに、ここの棚の本は、本の装丁が凝っているのですと、なかの一冊を取り出した。
「これは、昭和5年に出た春琴抄の復刻版ですが、それでも五〇年ほどたってます。なによりも黒ウルシの表紙が、忠実に再現されており、ぜいたくな一冊です」
私は、外箱をとりだし、さらにひもで結ばれた中箱の中から、黒光の本をとりだした。旧字は読みにくいですが、歴史を感じる重さがありますよ、読むより、手に取ってながめる本かもしれませんね、と頁をめくってみせた。旧仮名遣いの大きな字が並んでいる。本も、見てくれも重要なのかもしれない。紹介しながら頁をパラパラめくるとふくよかな異世界の面持ちが漂ってくる。
「好きな作家が、いますか」と、たずねた。彼女は、うなずきながら、
「え・ど・がわ・らんぽ」と小さな声で返事があった。
この、好きな作家はとの質問は難しい、と常に考えている。自身、これという作家はなかなか思い浮かばないし、好き(フアン)といえる作家はあまたいる。さらに、この作家はと思っても入れ込みすぎると、愛の告白ではないが、照れくさいものがあり、胸の内にしまっておきたいこともある。また、作品に対する情熱もうつり変わる。
「どちらかというと、ミステリーですか」と、江戸川乱歩全集の『化人幻戯』を棚からぬきだした。しかし、彼女に示しながらも何かしっくりしないものを感じた(この文学少女の表情は、耽美な面持ちではあるが、淫靡(マニアック)な雰囲気はなかった)。
「この子は、本が好きで、読書ばかりしているのですよ」
突如、彼女の後ろからきた年配者が声をかけてきた。彼女のお母さんであろう。
「私も本が好きで、自分でも書きたいとなったのです」軽やかに答えた。
「この子は本を読むのが好きで、本ばかり読んでいるんですよ」お母さんは、セリフを単調に繰り返した。
 何とはなくのちぐはぐに、どう対処したらいいのかわからずに、私はしばらく口ごもった。二、三分ほど、文学少女は陳列された背表紙をたんねんに眺めていたが、小声で、これをくださいと、先ほどの春琴抄を指さした。そうですかと、私が本を取り出すと、彼女は小さな小銭入れの財布を取り出した。
「いくらですか」と、小遣いから払うのであろう、開かれた小銭入れのなかに折りたたんであった千円札が見えた。谷崎の復刻本の裏には1000円のシールがはられている。せつな、私は、この本と彼女は、ベストマッチングに思えたのである。
隣でなりゆきを見ていたお母さんに顔を向けて、「半額にしましょうか」とつぶやいた。「いやそれでは、あんまりでは」と、目の前にいる女生徒は困惑したようであった。ただ、お母さんの目は、かるく瞬き、ウインクでサインを放ったかに見えた。
「じゃあ半額にします。大事にしてください」と、私はマネージャーにも聞こえる様に声を響かせて、本に別れを告げた。
 その後、私の作品コーナーを眺めていた方が九州文學の臨時増刊号などを購入、これには拙作「花吹雪の季節」が掲載されている。

 出店は午後三時までとなっていて、残り時間が二十分にせまっていた。
 アニメの上映がおわって、親子連れがドッとばかりに、エントランスにあふれ出てきた。そして、未就学児とおもわれる男の子が、カゴの前にポツンとたった。
男の子は、「じどうしゃ、ある?」と言うと、こちらを見据え、しばらくすると、また「じどうしゃ」といい、あちこち、おちつかないように見回す。発音から発達障害があるように見受けられた。あいにくと、自動車の絵本はなく、童話や花などの絵本だけであった。私は、微笑みながら対応しつつ、自身の趣味ともいえる飛行機のイラスト集があったことを思いだした。『フライングカラーズ』という、30センチをこえる大判のものである。
「じどうしゃは、ないけど飛行機はあるよ、みてみる」と、腰をかがめて彼を見つめた。コクッとかれはうなずいたので、外箱からイラスト集を取り出して、めくっていった。画面いっぱいに雲に乗る複葉機から、海面に浮かぶ戦闘機、空の究極を目指すジエット戦闘機などが、あふれ出した。華やかな空間が展開されていく。
男の子としばらくの間、飛行機で飛び回っていたところ、お父さんが、すみませんといって現れた。男の子は、お父さんを振り返ると、このイラスト集が欲しいと指さした。ここで、私は、はたと考えた。小池繁夫は航空イラストレーターの第一人者であり、この画集も定価7000円で購入したもので、中古品でもアマゾンでは、10000円を越している。それを、目玉品として3000円で提供したものであった。誰かの目に留まれば幸と思っていたのだが、男の子が大切にしてくれるだろうか・・・。
「お父さん、これはいいもので、申し訳ないですが、3000円ですよ」
 えっと、お父さんは、詰まったようであったが、しばらくして、いいですよ。今車から財布をとってきますから、と、即決であった。
 もどってきたお父さんが、財布から3000円を取り出し、差し出した。受け取りながら、いいお父さんだとおもいながらも複雑なものがよぎった。
「品物に間違いはない良いものですから、大切にしてください」
愛着のあったイラスト集へ、送る言葉であった・・・坊やを引き込んで楽しませてくれと。
いくばくかの出会いと、それにともなう本との別れがあって、今日のイベントは店じまいとなった。帰りの車を運転しながら助手席のマネージャー女史に話しかける。
「今日は楽しかったけど、もうすこし表に出て宣伝してよ」
「あらっ、あなたが楽しそうに説明しているから邪魔しないように後ろで、本を読んでたのよ。本を眺めていたら、ついつい読みだしてしまって」
「まあ、初めての出店にしては成功だったけど」ほどよい疲労に達成感が重なった。

 翌日になり、五月晴れの好天のなかで、2日目が始まった。
 開店後しばらくして、自動ドアの玄関から、杖を突いた足の不自由な壮年が、あらわれた。私が近かったので、いらっしゃい、ご用は何でしょうかと、うかがった。
来客は、首をかたむけながら、「おおつかさんは、おられますか」と、問いかけてきた。
「しばらくお待ちくださいと」言いつつ、フロントの案内嬢へむかい、大塚さんという職員の方はおられますかと、言葉をつないだ。制服の案内嬢が、名簿を見たり、問い合わせをしていたが、大塚というものはおりませんが、の回答を得た。来客者にその旨を伝えると、おかしいなとつぶやき、では携帯で確認してみますとなった。彼が杖を放すと不安定になったので、マネージャーが椅子を持ってきて掛けたらと言う。来客は腰かけて、しばし電話の主と話し合っていたが、こちらを振り向き、おおくぼさんという方です、と言った。えっ、意表を突いた展開に、スミマセンとわびつつ携帯をかわってもらった。おおつかではなくおおくぼ、つまり私だったのだ。相手は3日ほど前に電話にて、友人と一緒にイベントに訪れるからとの連絡をもらった旧友だったが、都合が悪くなり、急遽、友人の彼だけが来店することになったとのことだった。ああそういうことですか、と、納得がいくとともに、心遣いをありがたく感じた。
 そんなこんなで、その友人に自作の小説について丁寧かつ熱く語った。彼は頷きながら耳を傾けていたが、私が一息ついたときに、これを全部くださいと、いう。えっ、とまたもや驚きである。わかりました・・・私は、恐縮しながら『海豆紅の秋』と『花椿の伝言』の2冊分の代金をいただき、『短編集1』については進呈します、とした。さらに読んでみてオモシロければ、アマゾンのネットで最新作の販売をしてますのでよろしくと、『カンガルーポーの絆』などPOD出版の3冊についての案内パンフをさしあげた。しばらくの間、客と話し合ったが、彼は現在、52歳とのことで、5年ほどまえに脳溢血により右半身まひになったとのことである。なんとか仕事に復帰したいので、本日もリハビリを兼ねて、一人ででかけて来たという。なるほど、そういうことですか、話ながら、いまだ何とか健康を保っている自身をありがたく思った。が、いつかは・・・リハビリ頑張ってください、読まれたらぜひ感想を聞かせてくださいと言って見送った。
 2日目は、昨日より来店者が多くて次々にあらわれた。ただ、店自体が広くはないので、一人が本の前に立つとおのずから他人は制限される。
 やせ型、長身の中年者が、先ほどから熱心に背文字を追っている。集中している様子で声をかけづらかった。ひと通り見終わると、客は、まず石坂洋二郎『あいつと私』を手に取った。つぎに志村有弘先生の『とみ子発句集』を、そしてなかほどのサイン本である福元直之先生の岩波文庫の『狐物語』を手に取ると、こちらを振り向いて「これはどんな本ですか」と説明を求めてきた。選んだ本からして、彼は、何者なのかはわからないが、本についてはいわゆる〈目利き〉であると信じこませるものをにおわせていた。
「これは。フランス中世の狐物語を訳した学術書です。刊行の際にいただいたもので、なかに著者のサインが入っています。岩波が出しているので、著者は日本の知性のひとりであることがうかがえるでしょう」
こう述べると、彼はうなずいて手持ちの本のうえに重ねた。
なかほどの英語のペーパーバックに目を移しながら、「英語を読むのも好きなのです」と言う。それでは、これはどうですかと、私はいくぶんすれたペリカンのペーパーバックをとりだした。
「チャンドラーのプレイバックです。名セリフ、〈男は強くなくては生きていけない、優しくなくては生きる資格がない〉これを原文ではどうなっているのか知りたくて、苦労して手に入れたものです。付箋がはさんであるところが、その箇所です」 この説明できまり、長身の彼は、何者かは最期までわからなかったが、当然のように4冊の本を買っていった。
ポツポツと本が売れていき、マネージャー女史が対応にあたる。映画で有名になった、村上春樹の「ドライブ・マイ・カー」が掲載されている文庫本に絵本も売れた。
昼前になり、先に行くよと、店を出ていき、コンビニでサンドイッチと牛乳を買って、中央公園の芝生で食べた。エネルギーをもちだした連休の日光が、天空からしんしんとまき散らされてくる。しばし、空を見上げ芝生の緑に溶け込んでいた。

帰ってくると客はなく、マネージャー嬢は本棚の後ろで熱心に本を読んでいる。
「替わろうか、ところで何を読んでるんだい」
 春樹の『東京奇談集』という短編で、読みだしたらけっこう面白くて手離せないと言う。
「ところでいつも私が、前に出て説明・宣伝ばかりしている。アバウトさんも前に出て、売り込んでよ」
 私は、大柄で大雑把な彼女をアバウトさんと呼んでいる。
「あらっ、なにいってるの、ここの場は、おおくぼ系のブランドを浸透するために、作家本人が表に出てグアンバルの。作家ですと、ふんぞり返っている時代じゃないのよ。わかる?」
「それはそうだけど」私は口ごもる。
「ま、いいから、いいから難しく考えない。食事に行って来るね」
交替してしばらくすると、三十歳前後の女性が店頭に足を止めた。
 山本有三『同志の人』に目を留めて手に取る。これも復刻版で美装である。
「これは、戯曲ですが、サツマゆかりの維新ものです」と、声をかけた。
「結構、歴史が好きなもので」
いわゆる歴女なのだろうか。次に、海音寺潮五郎と司馬遼太郎の対談集を手にした。
「司馬遼太郎が直木賞をとるときに海音寺はひとはばからずの賛辞、〈推し〉をしたようですね。同じく選考員であった吉川英治は、受賞に反対したみたいですが・・・司馬の才能がありすぎるという理由で。でも海音寺が彼は天才で逸材だと押し切った。司馬は海音寺氏の〈推し〉がなければ、作家司馬遼太郎はなかったと言ってますね」
 彼女は、かすかにうなづいたように思えた。そして2冊を買い求めていった。
 私は、いわがもなのウンチクを述べてしまって幾分の後悔を感じたのだが、以前、吉川英治事典の執筆依頼を受けて、『三国志』『新書太閤記』の長編小説、『左近右近』『虚無僧系図』など、あまたの作品を読み込み、梗概や解説をかいた。その際に与えられた『心の一つ灯』については、単行本化されていない作品で、探しあぐねた結果、永田町の国立国会図書館まで出向き、マイクロフィルムの国民新聞を読み込み、書きあげたものであった。だから吉川英治についてはどうしても思い入れの熱が発生する。
その作品は、英治としてはめずらしく(当時の)現代もの小説で、私の苦心の評は以下のようなものである。

   心の一つ灯(こころのひとつひ)
小説。〔初出〕「国民新聞(夕刊)」昭和七年七月十九日~八年五月十四日。〔収録〕夕刊の発刊に際し連載が開始され翌年完結したが単行本にならなかった。国立国会図書館の国民新聞のマイクロフィルムで読むことができる。連載時の挿絵は岩田専太郎である。〔梗概〕足立恭二は会社を辞め越後の宿屋で一時を過ごし宿の娘杏子と親しくなる。カフェで怪我をさせた憲介から恭二へ無心の郵便が届き、下へおりると壁に美人の写真が掛っていた。それは杏子の姉であり、見染められて外交官と結婚したものの巴里で姦通により夫に銃で撃たれ亡くなった。翌日、足立はブルジョアの息子滋野保と出会う。杏子は保に就職を頼み、東京へ帰った恭二を追って越後を後にする。〔評価・解説〕恭二と杏子の紆余曲折、行き違いの果てに保が「僕といふ有閑息子の恋愛遊戯と嫉妬とが、潜んでゐた」と恭二に詫び、杏子への疑惑が晴れて一つの灯がともる。        (おおくぼ系)

 アバウトさんが帰ってきて、私は後ろに引っ込み、しばらくの間『東京奇談集』を読みだした。金子みすゞの詩集と次に、みすゞを特集した雑誌が売れた。
 私は短編のひとつを読み終わり、読むのにあきると店頭に出た。そこへ、エンジ色の作業服を着た二人のおばさんがみえた。昨日ものぞいていた人で、ひとりは小柄、もうひとりは太っていて対照的だった。私は、読むのが好きで作家となったと自己紹介のあいさつをした。さらに、棚の本の説明を行った。俵万智の『サラダ記念日』を開いて、自慢である彼女のサインをみせた。ついで、角田光代の『空の拳』をひらいて彼女のサインを披露する。
「おもしろいでしょう、角田さんの字は、名前のとおり角ばっているんです」
おばさんたちは、あいそ笑いをした。ひととおり説明をすると、カゴのなかの写真集に目を移した。あれこれ見ていたが、小柄な一人がこれをくださいと差し出した。これは花のコラージュ、フラワーアレンジメントの写真に俵万智の短歌ののった古いカレンダーだった。気に入っていたのでとっていたものだった。値段は100円。
 ありがとうございますと、代金を受け取ったが、名残惜しいものが残った。そうだ、おばさんたちは、は外国の風景写真集をながめていたので、プレゼントをしようと思い立った。大判のオーストラリアの風景の写真集を手にとると、後を追いかけて、よかったら、これをながめて楽しんでくださいと、小柄なおばさんに手渡した。彼女の顔がかすかにほころびたようだった。

 若いカップルがみえた。ふたりに系どんの案内パンフを渡すと、すぐさま読みだした。作家本人と面するのははじめてであるという。
奈良出身の二人は、現在はサツマ在住だといい、あちこちの本を取り出しては、めずらし気に見入っている。私は、五木寛之小説全集『蒼ざめた馬を見よ』を取り出し、箱のなかから、しょうしゃな白い本を取り出す。その本の天、上の部分には金箔が塗られている。
「本の全盛期には凝った装丁も多くて、手に取ってみるだけで、雰囲気が漂ってきますね」
当時は、小説にしても社会やもろもろの知識を得る貴重品だった。
「わーきれい」彼女は、本を箱にしまうと、さっそうとして小脇に抱え、谷川俊太郎の詩集『うつむく青年』に目を向けた。この2冊の代金を聞いて支払をした。       
彼氏は、系どんのコーナーに目を向けると、
「へえーっ、これは、全部おっちやんが書いたのですか?」
マスクの上にのぞく、このすがすがしい目を見てみろ、おっちゃんはないだろうと思ったが、やはり二十代からすると確実におっちゃんなんだろう。
「この中で、おっちゃんの一番のお勧めはなんですか」
「花椿の伝言といいたいところだけど、〈海豆紅の秋〉がいいのかも」
「ああパンフに書いてあった、沖縄の航空路線の話しですね。ではこれをください。それと、この文庫本は、サインがはいってますか?」
 私が手に取り、北方謙三の文庫小説のとびらをあけると、サインと押印があった。
「わー、印鑑まであるんですね、サイン本ははじめてだ、これもください」
彼も支払いをして、二人は文学館の入口とへと進んでいった。
 近代文学館には、海音寺潮五郎、椋鳩十、林芙美子、島尾敏雄など地元ゆかりの文士の展示がおこなわれており、系どん流に言うと殿堂に文士を〈まつっている〉。
カップルを見送った後に、ひと騒動が起こった。先ほどの二人が、大慌てで帰ってきたのである。
「文学館の入場券が落ちていませんでしたか、どこをさがしてもないのです」
「えっ、それは大変ですね。しかし、気づきませんでしたが」
あたりを見回してもそれらしきものはない。二人は、さっき見ていた本のなかに挟み込んだのかもしれないという。彼らが見ていた、本をとり急ぎめくってみるが、みあたらなかった。二人は受付によって落し物はなかったかと、問い合わせたが、受付にもなくて、新たに購入せねばならないと言う。
私は、彼が熱心に見ていた吉川英治全集の『虚無僧系図』を改めてめくりなおした。
パラパラと、めくると、頁からひらりと舞い落ちたものがあった。まさに入場券であった。「ありましたよ」と、私は歓声を上げた。
 彼に渡すと、マネージャーとともによかったですねと、笑みをかわした。
 一件落着でほっとすると、午後三時までの閉点時間が迫っていた。
 玄関の自動ドアをくぐった、中年男性が、辺りを見回しており、自然と目がいった。彼のマスク越しの目が焦点を定めて、こちらに進んでくる。
おっ、どちらからともなく、声が出た。確かに職場での同期生だった。しばらくぶりだね、声以上のなつかしいものがよぎる。メールで何度かやりとりはしていたが、顔を突き合わすのは、数年ぶりだろう。
「三時までだって知らなくて、あわててきたよ。はい、これ」といって手土産のお菓子を渡してくれる。「気をつかってもらって、すまないね」と、恐縮した。
椅子に腰かけて、話そうと、マネージャーが後ろ横に二脚の椅子をそろえてくれたので、そこに腰かけで向かい合った。
「頑張って作家になったね、作家になるとは夢にも思わなかった」
「前いったように、作家って精神的、人間的な、かたよりがなければなれないよ。普通でないから作家だって」
「いっしょに仕事しているときには思いもよらなかった」
「作家になるって、別の人格になりすますというより、生まれ変わることかもしれない。完璧に作家に移り変わると前の自分は、前の自分を保ったままで生きていて、作家の系どんは系どんとして、並行世界に別の人生を生きているって感覚だよ」
「ふーん、その辺はよくわからないけど」
「完全分離が進むと、どちらが本物の自分かわからなくなる。分裂症かもしれない。でも発信したい、表現したいものがある。完全な病気だね」
「やはりよくわからないな、なぜここに至ったのかって」
 そうだね、その辺は『短篇集1』に書いてある、なかなか小説がよまれないけど、ぜひ読んでみてよ、というと、わかった読んでみるとなった。
 十五分ほど話していると三時を過ぎた。店じまいの時間である。
「じゃ行くから、またね、ガンバってね」と彼が、去っていった。

 本を詰め込む、段ボールの箱はいくらか少なくなった。それでも棚などを運ぶと、二往復はせねばならないだろう。長机のまわりの後片付けを終えて、お世話になった文学館の担当に、マネージャー嬢とそろってあいさつをすると、愛車で帰路へと向かった。

右手に午後の傾いた日を全身に浴びて、いっそう明るい紫色に輝く火の島を見て、海岸沿いを走ると、充実感がそこはかとなくただよってくる。
「大成功だったね、結構面白かったし、ためになった。アバウトさんありがとう」
と、感謝の気持ちを述べた。
「あなたの言ったことが少し理解できたかも、本と出会いについて」
「どちらかというと、コアな本を並べたからね。やはり、いい本との出会い、それを介した人との出会いは楽しい。本は、紙面の活字による二次元文化だと思うが、本は立体的で実在的な存在として意思をもっていると思えた。ひとつの存在感があるのだと、書かれた内容もさることながら、見てくれも大事だ。貴女みたいにね」
 連休のせいか、湾沿いの国道は、いくぶん混雑している。ゆったりと走るにはちょうど良かった。
「ずいぶんな言いぐさね、ところでハルキはどうだった?」
「最初の〈偶然の旅人〉を読んだけど、すごいセリフに出会った。ピアニストとして大成するだろうと期待された男が、ピアノの調律師になり、〈音楽の世界というのは、神童の墓場なんだよ〉と語る。この言葉に身震いしたね」
「貴男を見ていると、なんとなくわかるような気もする」
「それって、芥川の〈蜘蛛の糸〉じゃないかって考えた。俺は下界にうごめく罪人だっていうことかと、天界を目指して、糸をたよりに昇っていくが、再び、皆、真っさかさまに落ちていくんだ、そういうことかと。俺って、見方によってはNOTEというSNS地獄の住人かもしれない・・・」
極楽トンボになってでも、なんとか舞い上がりたいのだ、天上が無理なら海岸の砂浜にでも(笑)。
 アバウトさんは、しばらく考えていたが、口を開いた。
「私だったら、私の下の糸を、ためらわずにちょん切るわよ」
 ・・・なんと不謹慎で、ノー天気な発言。一瞬、ムッとなったが、よく考えてみると、確かに、それが、現代かもしれない。
 思い直して、助手席の彼女をチラとみて、これからファミリーレストランで、パエリアを食べようかと、提案した。
 出会いがあり、また、いい本を手放すことの喪失感も味わったのだが、人生における出会いと分かれというターニングポイントは、いつでもどこでも、常であるに違いない、と思えた。

 

                                 (本作は、事実をふまえた創作である)


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