自分語り兼忘備録

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最近の記事

30歳までに

「○○ちゃんは何歳までに結婚したい?」 そう私に問う交際相手。 今となっては元交際相手からのその問いに、 「んー、あんまり考えたことないけど30歳までにとか?」 と当たり障りのない言葉で返事をした。 あれから3年、私は30歳になった。 多分この人と結婚するんだろうなと将来を見据えながら付き合った交際相手を軽率に振り、そのまま誰とも結婚をせず、 何一つ用のないこの大嫌いな街で変わらずに生きてしまっている。 地元に帰りたい。この街は一人で生きるにはあまりに難易度が

    • ブラックコーヒー

      ブラックコーヒーが苦手だ。 さらに言えば常温のブラックコーヒーが苦手だ。 冷たくもあたたかくもないブラックコーヒーはそのざらついた苦味の輪郭が際立ち、舌の上に居座り続けなかなかお暇してくれない。 せめて微糖、もしくは半分以上をコーヒーフレッシュなどの乳成分で構成させないとカフェインの作用により緩い動悸に見舞われる。 私は小さい頃から記憶の上書き保存が出来ない。それは成人した今でも変わらない。 記憶力があるといえば聞こえはいいのだが、パソコンのデスクトップ画面いっぱいに色々

      • 約3ヶ月前、彼の転勤先が決まったとき、少し広い部屋を借りたら一緒に住む?と提案された。二つ返事で一緒に住むと答えた私。しかし破局した。彼は今、一人ではきっと持て余すんだろうなというような広さの部屋に住んでいる。 申し訳ないことをしたと思う気持ちは3ヶ月も経てば薄らぎ、新しく恋をし、心の衣替えは完了したものだと思っていた。そんな矢先、大変なニュースを観た。豪雨。新しく出来た好きな人と一緒にそのニュースを観ながら、知り合いがこの地域に住んでいる、連絡した方がいいのかな。と口走っ

        • 天使の胃袋

          天使の胃袋 People in the boxというバンドの楽曲、「天使の胃袋」のミュージックビデオが大好きだった。華奢な女性が中華料理を食べていて、胃に詰め込んだそれらをトイレに吐き戻すっていうミュージックビデオ。 そのミュージックビデオは期間限定で公開されていたものらしく、その事実を知ったのはどこかでもう一度それを観ることはできないものかと散々探し回ったあとだった。ただ純粋にバンドの1ファンとして、映像作品として出来るだけ長く公開し続けてほしかった。彼らの音楽と出演女

        30歳までに

          18歳だった

          2011年3月11日 18歳だった、雪が降っていた、地震が起こった、歯医者の面接に行った。 高校時代の恩師が言っていた、「雪が降ろうが電車が止まろうが地震が起ころうが、何があっても面接にはおもむいて誠意を示さなければいけない。」就職活動真っ只中である生徒達に、まさかそんなことは起こらないだろうの例として述べていたことが実際に起こった日だった。 自分にとって唯一の社会人経験はあの日の記憶と連動している。面接では作文を書かされた。テーマは「私の好きな花」だった。なんだそりゃ

          18歳だった

          自分と文通をしている話

          青春の風邪をこじらせ続けているがゆえの行為なんですけど、10年ほど前から自分と文通をしていて 誕生日が来る度に一年後の自分に対する質問や願いを書いた紙を封筒に入れて一年経ったら開封するというものなんですけど、 開封した手紙を読みながら、あーこんなこともあったなぁと懐古しつつ去年の自分からの質問に答え、来年の自分に向け同じような内容の手紙を書く。年に一度行うその行為を自分との文通と呼んでいる。飽き性なのに何故かこれだけは忘れることなく繰り返し続けている。 初期の頃の便箋に

          自分と文通をしている話

          ライブチャット

          モニターの前に座り、ウェブカメラに自分の姿を映す。時に肌身を晒す。本当のことを話し過ぎる時もあれば平気で嘘もつく。 女という性別に生まれてしまった以上、どう足掻いても結局は承認欲求のかたまり、他者から欲されることに己の価値を見出しながら連日もてはやされることを心のどこかで望んでいる。 閉鎖的な日々を生きていると日常でそのようなイベントごとが発生することは滅多にない。望んでも手に入らないものに焦がれ、夜毎インターネットに逃げる。煩わしくて遠ざけたいはずなのに結局は誰かと関わ

          ライブチャット

          成美ちゃんと葉月ちゃん

          二人とも少年のような女の子だった。頭が良くて運動もできて、小学生とは思えない大人びた顔つきが凄く綺麗だった。成美ちゃんの隣を歩きたかった。葉月ちゃんの八重歯が好きだった。もっとたくさん話したかった。他の子供たちがその年齢から何年もかけて身に付けていくような聡明さを既に持ち合わせていた二人のことが好きだった。 頭の良い彼女らは当たり前のように中学受験をし、それを機に会うことはなくなった。連絡先も知らない。もう二度と会うことはないだろう。あれから十年以上経った。少年のようだった

          成美ちゃんと葉月ちゃん

          いてくれるだけでいい

          「いてくれるだけでいい」という言葉を頂いた。 最初それを言われたときは曖昧な返答で誤魔化したが、それってもしかして物凄く嬉しいことなのでは、と今になってなぜか思い始めていて。 夫婦喧嘩の中で過ごした幼少期、自分なんて居なければ、自分さえ居なければ等と繰り返しながら窮屈に生きていた結果、絵に描いたような自己否定人間が順当に完成。それが大人になった今、「いてくれるだけでいい」なんて漠然としたことを言われてしまって。 息をすることにすら罪の意識を覚えていた幼い頃の自分と、当時

          いてくれるだけでいい

          半年で貯金が底を尽きた話

          タイトル通りそれ以上も以下もない話なんですけど、現金をおろそうとATMを操作していたら残高不足の文字、またねとキャッシュカードを突き返してくるATM これはよくある出来事かもしれない、でも文章に起こしたくなるくらい心がざわついた。 恥ずかしながら私が最後にお勤めをしていたのは半年前、それもわずか四ヶ月という短い期間。勤務先の店長が行方をくらまし音信不通となったのだ。四ヶ月分の貯金とライブチャットでの収益で半年間を過ごした。いよいよ笑えなくなっていることに私はいつ気付くのか

          半年で貯金が底を尽きた話

          答えは神様だけが知ってる

          答えは神様だけが知ってる

          好きな人がうつ病になってしまった

          近くて遠い世界のことだと思っていた。疲れた限界だと繰り返す姿があまりに痛々しく、時に放漫だった。何度もごめんねを言っていたけど、それは何に対してのごめんねだったの。 全ての地位を捨て、勤務地から遠く離れた実家に帰るための荷造りを手伝っているとき、私が今手伝うべきことは本当にこれで合っているのか?という疑問が何度も頭をよぎったが、着替え兼衝撃吸収剤として肉厚パーカーでPS4を包む手に迷いはなかった。正解も不正解もない、とにかく今すぐにでもあなたを逃がしてあげなければいけないよ

          好きな人がうつ病になってしまった