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諦めの悪さ

人生100年というのであればまだ半分も生きていないけれど

諦めきれないことがある。

昔、独身のころ

しかもたぶん学生のころ(高校生だったかな)母親の誕生日に宛てた手紙に

「自慢できるような子になるから」

って書いた。

その当時のわたしは

自慢=すごいことを成し遂げお金持ちになっている

みたいなとっても高校生らしい(?)

思考だった。

なんせ、親に精神的に楽をさせたかったんだろう。

子どもの頃、お金に困ったことはなかった。何不自由なくいろんなものを与えてもらえていたわたしには、母親は不自由に見えて仕方なかった。

当時色々あって不自由は不自由な母親だったけれど。

不自由な中でもそれなりに楽しみはあったようで。

だけど、精神的にしんどそう(に見えていただけ)な母親を助けたかった。

だから、わたしがなにかすごいことを成し遂げてお金持ちになれば母は喜ぶ、と思っていたんだよね。

自分が母になって気づいたけれど

子どもがお金持ちになったところで自慢でもなんでもない。

精神的に子どもが満たされ生きる喜びに色んな人から愛されているのかどうか。

人から愛されて生きているのかどうか。

これこそが自慢できることのひとつではなかろうか?と思うのです。

たくさんの人に慕われ愛され必要となれるような人となれば万々歳?

わたしはそこまで求めていなくて

たった一人でもいいと思っている。

その一人が、自分であっても。

自分で自分のこと愛せることがまずは一番最強じゃね?



今日はここまで。また次回に。
お付き合いありがとう。


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