むがむが

毎日『明るく、楽しく、面白く』生きています。仕事は建物を設計したり、絵を描いたり、文章…

むがむが

毎日『明るく、楽しく、面白く』生きています。仕事は建物を設計したり、絵を描いたり、文章を書いたりしています。日本の隅から隅まで鉄馬とともにのんびり旅することが楽しみです。

マガジン

  • うなぎのう

    この世の中で「幸せ」を一番感じることができる食べ物とはと問われたら、僕は「うな重」と答える。今までにどれくらいのお店で食べただろうか。これからどれだけ食べることができるだろうか。そう考えるともう残された時間は少ないかも知れない。思い残すことなく「うな重」を食べておく、その記録をとりまとめる。

最近の記事

【愛馬日記】4ヶ月ぶりの自分らしさ

いろんなことがあって、乗れない日が続いていた。 他の人はどうか知らないけれど、オートバイは乗ることへの与条件のハードルが四輪の車とは比較にならないほど多い。 まずは天気。雨の日は乗ろうと思わない。確かに若い頃は乗った。でも今は雨の日のライディングは不快だし危険すぎて乗らない。 そして気温。暑かったり寒かったりの気温も乗る決断を鈍らせる。異常気象と呼ばれて久しいが、まさか今年は4月末に猛暑日がくるなんて誰が想像しただろう。 けれど、最大の理由はメンタルとフィジカルだ。 乗ろう

    • 【うなぎのう】鰻 うな次郎(大阪天満宮)

      カリッ、ジュワッという食感を楽しむのが地焼き。 地焼きとはいわゆる関西風のこと。うなぎを腹開きにしてそのまま焼き上げることを地焼きという。関西ではこの調理法が主流。特徴は蒸さないこと。金串を使って鰻の頭をつけたまま焼いて最後に頭を落とすこと。関東風は腹開きをせず背開き。武士の切腹を嫌ったというのは俗説で、職人の腕に頼らない背開きが多くの店で提供されていた江戸時代の江戸のうなぎのニーズにあっていたからだ。 お店:鰻 うな次郎 場所:大阪市北区紅梅町3-14 ヤマツタビル1F

      • 【うなぎのう】本吉屋

        本吉屋は、天和元年にうなぎのせいろむしを世に出して以来今日まで役三百年間、初代秘伝のタレと料理技術を忠実に継承。水郷の柳川情緒と共に独特の〈元祖の味〉を賞味する。 お店:元祖うなぎせいろむし 本吉屋 場所:福岡件柳川市旭町69 仕事の関係でほぼ毎週九州へ行く。主に長崎や福岡が多い。この一、二年は名古屋、大阪、九州の三拠点生活が続くと思う。2018年にバイクで九州を志布志から北上横断したことがある。とても楽しかった。今度は仕事を絡めて走ろうと思っている。 実は今は亡き親父

        • 周回遅れのおやじ

          そんなつもりはなかったのに、いつの間にか五十代も半ばを過ぎアラカンと呼ばれる世代になっていた。心も気持ちも尾崎豊の「十七歳の地図」から何も変わっていないのに、気がつけばしょんべんのキレも悪く、射精欲もすっかり失せたジジイのカラダになっている。予感も予兆もあったのに日々だらだらと「夢」という妄想を追い続け気分だけで生きてきた結果がこれなんだろう。 調子の悪くなった臓器ひとつひとつを、小心な俺は病院に行って検査を受け老いたカラダを若い女医にさらけ出し、されるがままに弄ばれる。何年

        【愛馬日記】4ヶ月ぶりの自分らしさ

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        • うなぎのう
          7本

        記事

          【うなぎのう】志津可(西天満)

          もうすぐ四月だというのに大川沿いの桜はまだ一輪も花をつけていなかったけれど、花のない桜の下でたくさんの人が賑やかに花見をしていた。 北浜で働いていた三十代の頃、花見の時期は大川沿いに仕事場があったので昼休みにはよく川沿いを散歩したものだった。 大川は「中之島」で北の堂島川、南の土佐堀川に分かれる。『江戸流鰻料理 志津可』は中央公会堂から「堂島川」を渡ったところにある。目印は弁護士会館、その前に店を構えている。 お店:四代目江戸流鰻料理 志津可 場所:大阪市北区西天満1-1

          【うなぎのう】志津可(西天満)

          【うなぎのう】蒲焼 色川

          所用があって浅草蔵前に行く機会があったので、鰻を食べようと思い、老舗の「色川」に行く。色川の創業は幕末の文久元年。場所は浅草駅から徒歩5分くらい。行列ができて長時間待つのが普通なのだけれど、この日はしとしとと雨が霧のように降っていて、開店30分前に着くと12人目くらいだった。これは『ラッキー、最初に入店できるかも』と思って待つ。待っている間、鰻を焼く香ばしい煙が換気扇からこぼれてきてはやく食べたいとわくわくする。で最初の入店人数のぎりぎり最後の一人という形で入店することができ

          【うなぎのう】蒲焼 色川

          『大吉原展』

          2024年3月26日(月)から2024年5月19日(日)までの日程で東京藝術大学大学美術館にて『大吉原展』が開催されています。 開催前日の3月25日、プレスリリースの内覧会に参加してきました。 私は江戸時代を舞台とした小説を書いています。江戸幕府公認の遊廓であった吉原については美術資料や古書・文献で見聞していましたが、それでもモヤモヤと曖昧なところが多くありました。今回の展覧会に参加したことにより、創作のために必要であるのに自分の中で曖昧だった多くのことが、広く俯瞰的に視野

          『大吉原展』

          【うなぎのう】鰻 にしはら

          そんなこんなで今回は大阪では屈指の有名店「鰻 にしはら」に行く。何年もずっと「行こう行こう」と思いつつ、気持ちの中で勝手に敷居が高いという思い(というか予約の電話が繋がらないだけだけれど)があって今日になった。 お店:鰻 にしはら 場所:大阪府大阪市中央区北新町4-12 娘の卒業祝いを兼ねてふたりで訪問。 老夫婦が経営していると勝手にイメージしていたが全然ちがった。恰幅のいいご主人が一人で切り盛りしている、カウンター5席、4人テーブル一席というこじんまりした店。店内は清潔

          【うなぎのう】鰻 にしはら

          【うなぎのう】あつた蓬莱軒

          名古屋でうなぎで「ひつまぶし」と言えば『あつた蓬莱軒』。 数年前、バイクツーリングで国道19号線の熱田神宮そばを北上通過していた時に鰻を焼く香ばしい匂いを感じたことがあった。それが『あつた蓬莱軒本店』からであることを知ったのはつい最近のこと。 ひつまぶしは短冊状に刻んだ鰻の蒲焼をタレが染みたごはんの上にのせ、お櫃で提供する料理。そのまま食べる、薬味を加える、だしで茶漬け風にすると食べ方と味変を楽しむ鰻料理である。 お店:あつた蓬莱軒本店 場所:名古屋市熱田区神戸町503

          【うなぎのう】あつた蓬莱軒

          【うなぎのう】日本料理 うなぎ 菊水

          今回は柳川。柳川といえば鰻(うなぎ)のせいろ蒸しが有名。 江戸時代後期から、柳川の天然うなぎは貴重なものとされ、柳川の特産品として大切にされ、藩の財源となっていた。 柳川うなぎの調理法は関西風で、焼き上げた後にせいろで蒸すため、香ばしく肉厚で柔らかい食感が楽しる。 お店:日本料理 うなぎ 菊水 場所:福岡県柳川市辻町24-6 今回は仕事の途中に『うなぎ 菊水』で昼食をとるために訪問した。『菊水』は江戸末期に開業、創業約二百年を迎える日本料理店。電話で直前に予約して開店前に

          【うなぎのう】日本料理 うなぎ 菊水

          【うなぎのう】うなぎの宮宇浄心

          そんな考えもあって『うなぎのう』と題して、主として「うな重」を食べた記録を残すとともに、それにまつわる話を綴っていこうと思う。10年続けて鰻界の吉田類を目指したい。 お店:うなぎの宮宇浄心 場所:名古屋市西区浄心1-1-45浄心ステーションビル1F 名古屋で単身生活を始めてから早一年になる。名古屋で死ぬほど「鰻」を堪能するぞ!と思っていたが、その殆どが遠方への出張生活で名古屋に根付いた生活がなかなか満足に出来ていない。そうは言っても行動しなければ始まらない。 ということ

          【うなぎのう】うなぎの宮宇浄心

          【読書履歴】文章のみがき方

          著者:辰濃和男 初版:2007.10.19 発行:岩波書店 この歳になってもほとんどが知らいないことばかり。生業で言えばもう専門家でプロの領域で、若手をしっかりと指導し後輩をしっかりと導かなければならない立場だというのに、いっこうにそんな自信を持つことができていない。 小説を書くことを、自分の中で「命題」として一年が経過した。いまのところ、どこをどう目指せばよいのかわからない状況が続いている。ぼんやりとした方向を見定めるため、ひさしぶりに完読したのが「文章のみがき方」(辰

          【読書履歴】文章のみがき方

          忘れた頃

          まさか元旦に震災が起こるとは思っていなかった。 僕は今日、家族と三人で毎年出かける神社へ初詣に行き、帰路はいつも元旦から開いている神社のそばにあるカフェでテイクアウトのケーキを買って、途中の鯛焼き屋さんで鯛焼きを買って行儀は悪いけど食べ歩きしながら帰っていた。 帰路途中に超高層マンションがある。 免震構造のマンション。そばを通るとエントランスまわりがギシギシと音鳴りしている。 建築の仕事をしているので免震構造が機能して建物が揺れていることがわかる。けれど大阪市内で地震を感

          終わりのはじまり

          新年あけましておめでとうございます。 人生56回目となるお正月を迎えました。 今年も明るく、楽しく、面白く生きていきます。  人はいろんな理由をつけて節目をつくり何かと目標を立てたりするのですが、その最大の節目が元旦でしょう。今年は昭和99年だそうです。 昭和コンプライアンス世代にとって生きづらい世の中ですが令和・平成世代からは自分が若かりしころの明治生まれの世代とおんなじような感じでみられているんだろうなと思います。  昨年は社会人大学院生になりました。 今は1年生後期

          終わりのはじまり

          それでも僕はつくるしかない

           そうだ。たぶんそうだった。インターネットが出てきた頃、1994年くらいかな。大方の誰もがそんなものがこの世界の社会基盤になるなんて思っていなかった。  たとえば、その頃の僕はパソコン通信のNIFTY-Serveでいろんな人と情報交換をしていた。けれどそれは会員制で掲示板の閲覧と書き込みがメインのクローズドな情報の世界だった。初めて自分のお金で買ったパソコンはMacのQuadra950だった。ハードディスクは250MB。一緒に購入したソフトはMiniCAD、Photoshop

          それでも僕はつくるしかない

          【映画履歴】『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を観る

           10月はじめの三連休に京都六道の辻にある幽霊子育飴のお店「みなとや幽霊子育飴本舗」に行きました。幽霊飴の由来はみなとやさんのWebに以下のように記載されています。  ~今は昔、慶長四年京都の江村氏妻を葬りし後、数日を経て土中に幼児の泣き声あるをもって掘り返し見れば亡くなりし妻の産みたる児にてありき、然るに其の当時夜なよな飴を買いに来る婦人ありて幼児掘り出されたる後は、来らざるなりと。 此の児八才にて僧となり修行怠らず成長の後遂に、高吊な僧になる。寛文六年三月十五日、六十八

          【映画履歴】『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を観る