随筆

ちょっと暗い話だが、いつか時下の小説の素材として利用できる予感がして書きはじめてきた。
 いい仕事につけるにはいい学歴が必要があるって、そんな観念はいつか生まれてきたことを追究するのは私にはあまり意味がない。正直現状を変えられるわけがないのだ。でも、人が生きているだけでは社会の風に影響されるだろう。
 修士になればすべてがうまくいけるようになるはずだ。修士になったら仕事を探さなくても、いい仕事がやってくるはずだって、父によく勧められていた。
 修士になったら、これから順風満帆な人生を送れるようになるってことはせめて父の立場から見ればそういうことなんだろう。まあ、私に言わせたらそう思っていない。
 言語はツールで、金槌が鋏になるわけがない。もし大学生時代が勉強している日本語を金槌と例えば、修士になったのはどうやって金槌をもっとうまくできるように分かっただろう。別の専門に繋がらない場合ではただ日本語だけにいくら精進しても何らかのこともできないことではないが、私には多分無理だって思う。
 前のことを振り返って、今の日本語能力が前よりだいぶ劣った覚えがある。ここの能力はもちろん専門としてみる日本語だ。今、古語の内容はほとんど忘れてしまった。そう言えば、古語を学ぶきっかけは泉鏡花の本だった。ちなみに、日本国語古語の補助教材は私の高校時代国語の漢文補助教材よりうまく使いやすいって思う。
 中国では日本語修士テストには古文の問題があるから、避けようにも避けられない内容だし、あの時、テストの準備をしておくとして日本大学進学試験の古文の必ず覚えておく四段動詞の活用、また古典文法も一括して覚えておいた。今から見れば、ツールとして、その範囲には外れているだろう。実生活では役に立てないことばかりだったから。そう言っても、古語を学んだいい点もないそういうことでもない、多分ビジネス語もそれぐらいにすぎないかなって感じが出るかもしれない😓。もちろん、別にもいいところがあって、ここでは詳しく説明しないことにする。
 最後に、言い忘れるところだった、仏教に関することが多いし、よく読むとネガティブになる恐れがあるって思う。(日本の国教は神道教なのに、古文の仏教内容が圧倒的に多すぎることにびっくりしてしまった。)
 

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