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滴り言葉

俺は、何を願うべきなのか。
西尾健太(にしおけんた)は、もう分からなくなってしまって、閉じるよう指示されていた両目を開く。

隣には、同じように目を閉じ、手を合わせる木下美生(きのしたみう)の姿があった。美生はずっと、何かを願っている。星に届いてしまうほど、本当に強く。

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“今年はスタークリスマスなんだって”
彼女からそんなメッセージが届いたのは数日前、冬が本番に向けてその力を発揮し始めた頃だ。

“あんまり聞いたことないワードだ、スノークリスマスと同じ類?”

“よく分かったね。でも意味は全然違うみたい”
その数秒後、2枚のスクリーンショットが美生から送られてきた。

“スノークリスマスは『両思い』の人のためのクリスマスで、スタークリスマスは『片想い』の人のためのクリスマスらしいよ(笑)”

笑えなかった。そして、彼女もきっと笑っていないと推測することも、簡単なことだった。

“なんだそれ。願えば、来年はいいことがあるってことか?”
ネットに垂れ流された不可解な迷信を、批判する言葉だったのだが、当時の彼女には、それが逆に働いてしまったみたいで
“え、やばい絶対そうじゃん。健太天才!!”
と返ってきた。

恋は盲目というけど、本当にそうだと健太は思う。
物事の真偽なんて、それが恋にポジティブなものであったら「真」だし、ネガティブなものであれば「偽」だ。
そこに、事実は必要ない。

“そういう意味じゃないんだけど”
打ちかけたところで、その手は止まった。
数秒、その意味を理解できないまま時間だけが進む。

“クリスマス、うち来る?”

それは、一切の湿り気がない、乾ききった『誘い』だった。そしてそれは、健太の心の奥底をさらに掻き回した。

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「よしっ!」
僕が目を開けてから数分、美生はやっと目を開いた。
「健太は、何お願いした?」
下から見上げる美生の目に恥ずかしさを覚え、健太はベランダから見える殺風景な街を見つめた。
「いや、俺のはしょーもない」
「なにそれ!私のだけ知っておいて、それはずるい!」
ふくれっ面の美生が、2人の距離をさらに縮めた。健太はその近さに耐えられなくて、右足を一歩横にずらす。

『元彼との復縁』
それが彼女の『願い』であり、今の彼女はそれしか頭にないことも分かっていた。
別れた原因は知らない。
お互いがお互いのことを尊重して、両方と関係を持つ健太には言わないでおこうと、決めたのだろう。健太も、それが最善だと思っている。

「あれが本当かどうかも、まず分からないだろ」
健太は出来るだけ言葉の棘を抜いて言った。
「やらなくて損するより、やって損するほうがいいでしょ?本当だったのに、やってない。私はそれが一番嫌だから」
その返答がまた、胸を刺す。健太が抜いた言葉の棘は、結局自分が受けることになった。

「今頃、何してるだろうね」
美生はさらっと言ったつもりなのだろうけれど、健太にはその違いがすぐに分かった。そこには、滴り落ちるほどの湿り気が残っている。

「さぁ、俺も最近は連絡とってないから」

美生は、それ以上聞いてこなかった。
元彼と健太が、大学で出会った親友だということ、それ以外に理由が思いつかない。
とにかく彼女はそれぐらい、他人に気を遣える人だった。

「ごめんね、誘っちゃって」

数秒の沈黙の後、美生が言った。
どう返すのが正解なのか、どう返せば彼女を傷つけずに済むのか、健太は20年間培った語彙力を総動員する。

「いや、全然」

健太の語彙力が小学4年生になったのは、この状況のせいだろうか、はたまた、ただの勉強不足か。健太は前者であってほしいと願った。

「健太のクリスマス、無駄にしちゃった」

『そうじゃない。無駄だなんて、そんなわけがない。むしろ俺は…』
健太の喉からそんな言葉が出かかって、止まる。
それを口にする勇気が、健太にはどうしても出なかった。

「いや、全然」
吸収性のない雑巾のような、たっぷりと湿りを含んだ言葉が、口から出ていく。それがなんだか、とても恥ずかしかった。

「悔しいなぁ」
美生はそう言いながら、部屋に帰っていく。スリッパで歩く大袈裟な足音の中から、鼻をすする音を聞きとった。
冷たくなったコーヒーを手に持った時、僕の間接視野がキラリと光るものを捉える。

長い光線を帯びた流星が、ひとつ流れた。

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