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ノエル

谷川孝太郎 23歳
松林杏子  25歳

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「うわ、ほんとに寝てるじゃん」
錆びたドアを開ける下品な音とともに、無機質な彼の声が私の耳をついた。
「なんだ、まだいたんだ」
「今やっと、全部運び終わったところさ」
とある秋の夜。ボロボロになった私の姿を見に、彼は団地の屋上へと上がってきた。

「どう?背中で感じるコンクリートは」
彼のユーモアに、私も負けじと返す。
「でこぼこがツボに入って、いい感じよ」
「そうなんだ、変わってるね」
「まぁ安心して。心配しなくても明日からは、フカフカのベッドだから」
「たしかに、それもそうだ」
そう言って、彼は大の字に寝そべる私の隣に腰をおろした。沈黙を埋めるかのように、秋風が私の体をすり抜ける。風はまだ生ぬるい。視線の先には、すこし青がかった黒色の空が広がっている。

私と彼の「終わり」が始まる予感がした。

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「それで?まだ何か言いたいことでもあるの?」
私は強い口調で彼に噛み付いてみる。彼に非はないけれど、最後に困らせてみたかった。
「あんなに話したんだ。もうないさ」
彼は私の言葉を気に留める様子もなく、斜め上の遠い空をみながら言った。
「まぁでもそうだなぁ。聞きたいことは何個かあるよ」
「そう、じゃあ3個までなら聞いてあげるわ」
「3個か…ちなみにそれはなんで?」
「理由は特にないけど、長時間の面会は私の身体の負担になるでしょ?」
私は都合よく、今置かれている自分の状況を利用した。
「君は『病人』の使い方が上手いね」
「ありがとう」
「褒めてないよ」
彼はそう言うと、手に持っていたパーカーを私の側にそっと置いた。

「てか、寒くないの?」
「うん」
「もう10月だよ」
半袖半パンの私。上下セットのスウェットを着た彼。
色が同じな分、そのコントラストがとても綺麗に浮かび上がる。
「私にもなれば、寒いとか暑いとかはもう感じないのよ」
「じゃあ、最強の身体ってわけだ」
彼は私をからかう。それがあまりにも不謹慎だったから、私も笑うしかなかった。
「何言ってんのよ。逆に決まってるでしょ」
彼のユーモアには、人を不快にさせない何かがある。
私にとって「最低の皮肉」とも言える言葉を、彼はいとも簡単に口にしてしまうのだった。

「10月って、流れ星が一番見られる月らしいよ」
彼は得意げに言った。同時に彼のオタクスイッチが入る。できれば、そっちの話には持って行かれたくない。
「そうなんだ」
「うん。それで、その流れ星なんだけ…」
「今ので、1つ質問したってことでいいんだよね?」
彼の声に被せるようにして、私は言った。彼の天文のうんちくは、もう聞き飽きている。
「え?どれが?」
私の言葉に意表を突かれた彼は、驚きの声を出した。
「寒くないかって聞いたじゃない」
「それは質問じゃなくて、心配だよ」
「私には、質問に聞こえたわ」
得意げに私は彼を見上げる。
「杏ちゃん…ジャイアンみたいなこと言うんだね…」
「は?」
「…わかったよ」
2人の間に、緩やかな風が吹いた。


「じゃあ、2つ目をどうぞ」
「かしこまって言われたら、それはそれで困るなぁ」
彼は斜め上の何かを見ながら考えた。

「本当に、全部持っていっていいんだよね?」
何かを思いついた彼が私に尋ねる。
「うん」
「机も?」
「うん」
「ソファも?」
「うん」
「本棚も?」
「うん」
私は四つ返事で答えた。
「あの家、本当に何もないよ。あんなんじゃとても住めるないと思うけど…」
「いいのいいの。どうせ、近いうちに誰かが片付けるんだから」
私はカラッと笑って言った。

「もしかえってこれたら、どうするのさ」
「そりゃあもう、新しく生を受けた、顔も性格も全く違う『私』を楽しむだけだよ」

「生きて帰る」と「死んで転生る(かえる)」
彼と私の「かえる」は180度意味が違った。言わずもがな、彼が前者で、私が後者だ。
「そういうことじゃないんだけどなぁ…」
その後、彼は何かを言いかけたが、その言葉をやめた。そして、その代わりというべきか分からないけど、彼は呆れて言った。
「分かったよ。じゃあ、この天文図鑑だけは置いていくことにする」
「あ、それ一番いらない」
私は即答したが、内心は意表を突かれていた。
「嘘だね。だって杏ちゃん、…」
その時、トラックのエンジンがかかる音が彼の声をかき消した。
「最後、なんて?」
私は聞いた。
「…いや、なんでもない。これで、残り1個だ」
風が、また強く吹いた。

「あんた、もう聞くことないんでしょ?」
「んー、いざ聞こうとすると、思い出せないんだよ」
彼は淡々と言った。
「じゃあ、もういいんじゃない?」
「いや、だめだ。僕たちが終わってしまう前に、最後何かひとつ聞いておかないと」
「早くしてよね」
私は、空を見上げながら言った。

「思い出した!」
彼が唐突に言う。
「はい…じゃあ最後ね」

「杏ちゃんはさ…星に何を願っていたの?」

彼はいつもと変わらない口調で、そう言った。
数秒の沈黙の後、私は言った。
「…願う?私が?」
「うん」
「私に願いなんてないわよ」
「じゃあ、ここでずっと何してたのさ」
「開放感のあるところにいたかったのよ。ほら、病院って色々息苦しそうだし」
「嘘だ。だって杏ちゃん、西向きに寝てる」
彼の言葉に、また心泊が速くなる。
「杏ちゃん、最近毎日天文図鑑見てたよね。しかも同じページ」
彼は真面目な顔で言う。やっぱり、バレていた。

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彼とは、5年前。キャンプサークルで出会った。
歳は2つ私の方が上で、私が大学3年生の時に、彼が入ってきた。元々、同じ高校だった私達はサークルですぐに仲良くなり、行動を共にすることが多かった。
彼が私に好意を寄せているのも、薄々勘づいていた。

そんな中訪れた秋キャンプ、私たちは付き合った。

真夜中、目が覚めて寝れなくなってしまった私は、外の空気を吸いに外に出た。外は真っ暗で、空には無数の星が美しく輝いている。
「杏さん」
どこかから声がして、周りを見渡す。レンタルしたキャンピングカーの上に、彼はいた。
「何してんの?」
「杏さんと同じですよ」
「そう。私は今から、明日の朝食のために狩りに出ようとしていたところだけど?」
彼を困らせようと、ふざけてみる。
「そんなことしないでください。縄文時代じゃないんですから」
彼のユーモアが、私のツボだ。

「どうですか。ここに寝たら、星が見えますよ」
上から誘われる。
「あんたと寝るのか…怪しいね」
「こんな寒い外で何もしませんよ」 
私は、彼が差し出した手を掴んで上に上がった。

「綺麗っすね」
「まぁ、ね」

「知ってますか?流れ星に…」
「知ってる」
うんちくを披露される前に、私は言った。
「まだ何も言ってないですよ」
「なに…?退屈な話だったらぶっ飛ばすから」
「パワハラですそれ」
「生意気言ってんじゃないよ」

「星に願いを込めたら、それが叶うって言う逸話あるじゃないですか」
「あぁ、あのデタラメね」
「いや、まぁ確かに杏さんの言ってることは間違ってないんですけど…」
「けどなに…?」
「あれ、条件があるんですよ」
彼は言った。彼の目は、空に光る星と変わりないほど輝いている。
「…それで?」
「流れ星が流れた時、西向きに寝ていること。これが願いを叶える条件です」
「…なんか胡散臭いね。どこからの情報?」
「天文図鑑に書いてました」
彼の息を呑む音が聞こえる。聞こうか迷った末、聞くことにした。
「今、これ何向き?」
「西です」
彼は、一つ大きな深呼吸をした。
「じゃあ、今流れたら叶うわね」
「それが、さっき流れたんですよ」
まさかの展開だった。まさかもうすでに、流れていたとは。
「じゃあ、良かったじゃない。叶うわね」
「そうなんですよ。だから、僕と付き合ってくれますよね?」
秋風が、強く吹いた。

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杏ちゃんは、しばらく黙っていた。
ドアを開けた時から、杏ちゃんが何をしているのかは分かっていたけど、いきなり聞いたって答えてくれやしない。時間をかけて聞き出す。それぐらい杏ちゃんは悩みを人には言わなかった。
「やっぱバレてたか」
「まぁそれ、僕のですからね」
僕の言葉に、杏ちゃんはしばらく黙っていた。
「お願いってほど、重くもないんだけど…」
杏ちゃんは重い腰を上げるように、ゆっくりとゆっくりと言葉を紡ぐ。
「身の回りの整理ってゆうのかな?自分が死ぬ前に、今までに出会ったたくさんの人を思い出して、星と話をする。あの人と出会わせてくれてありがとうとか、あの時なんでこうしてくれなかったんだ、ってね」
杏ちゃんは、淡々と言った。

杏ちゃんはもうすぐ死ぬ。それなのに、彼女からは悲しさのかけらも感じない。杏ちゃんは、僕にはこの悩みを背負うことはできないと判断したのだ。それが、悔しかった。
「あとは、あんたの身の回りのことね。あんたがちゃんと寿命で死ねますようにとか、あんたのその捻じ曲がった性格を治すことのできる人が現れますように、とか」
そこで、杏ちゃんの声が少し震えた気がした。

「杏ちゃん…俺…」
「まぁ、私と別れるのは気にしないことね。あんた、顔だけはいいから」
杏ちゃんは、しんみりとした空気をかき消すように、明るい声で言う。
「頑張ってみるけど、多分無理だね」
「人って意外と、一人で生きていけるようになってんの。だからあとは、意識の問題」
杏ちゃんは言う。僕もそう思う。それなのに、胸が苦しくてたまらない。

「まぁ、星に何言ってもしょうがないんだけどね」
上半身を上げ、杏ちゃんは立った。手足はもう、木の枝のように細い。
「じゃあ、ありがとね」
杏ちゃんが、僕を抱きしめた。
「こちらこそ、ありがとう」
「あんたと『最後』を迎えられて良かった」
「僕は『最期』でもよかったけどね」
「生意気言ってんじゃないよ」
そう言って、杏ちゃんは去っていった。

錆びたドアを開ける下品な音とともに、空に流れ星が流れる。

僕と杏ちゃんの「はじまり」が終わった。

表題曲: ノエル/ズーカラデル(Youtube)
   : ノエル/ズーカラデル(Apple music)

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