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映画「グッドフェローズ」を観て。

原題:Goodfellas
邦題:グッドフェローズ

監督:マーティン・スコセッシ(1990)

ニューヨークの下町ブルックリンで生まれたヘンリー(レイ・リオッタ)は、幼い頃からマフィアに憧れて育つ。兄貴分のジミー(ロバート・デ・ニーロ)や野心旺盛なトミー(ジョー・ペシ)らと犯罪を重ね、組織内での地位を高めていく。そして1978年、一味はケネディ国際空港を襲撃し、600万ドルの強奪に成功。FBIの捜査の手が迫る中、ジミーらは口封じのため事件の関係者を次々と殺害していく。(引用)

感想:レイ・リオッタを偲んで。

再鑑賞。やはり、名作。

どんなに稼いでも、やはり彼らには恐怖と不安を抱きながら生きていると感じられる。特にヘンリーとジミー。どれだけ組のために悪事を働こうと、生粋のイタリア人ではないので幹部にはなれない。好き勝手やっているように見えるトミーが抱いてるのは、きっと楽しさばかりで、常にアドレナリンが出ていたんだろうと思われる(実際の人物もそうだったようだ)。

薬にも手を出し、組には手を切られ、ヘンリーは憧れの世界にはもう疲れたのだろう。だから、仲間を売り、保護観察下ではあるが、もう恐怖と不安を抱かなくてもいい安定と安心の生活を選んだ。かつて、社会の仕組みにならって生きてる人らを馬鹿にしていた言葉が自分に跳ね返ってきた世界で。人は変わるんだ。良くも悪くも。

カレンのナレーションの部分があることはよって、その世界の深みが増してとてもよかった。それぞれの妻の名前がみんな同じ。つまり、もうこの世界では一つの駒のような存在で、変わりはたくさんいる。妻なんてただの世間の目、名前だけ、形だけ、など。悲しい現実をこれでもかと見せてくる。「マフィアの妻」というレッテルを貼られ、それでしか生きられないという悲しい現実。

カレンの、愛しているから絶対に撃てるわけがない、というベッド上でのシーン。その後の泣き叫ぶ姿が痛々しかった。

殺したいくらい憎たらしいのに、愛してる。愛と憎は表裏一体。微かに見せる愛についてのシーン。秀悦。

生粋のイタリアの血ではいけないという、ルーツが関係してくる部分として。日本人にはなかなかわからない価値観。

人間性も、能力も、全て皆無。全て血で終結。でも、日本のヤクザ界でもやはりそうなのだろうか?血が繋がっていないと継承できない、などあるとしたら、やはり裏の世界独特のものが存在していて、一生わからない価値観なのだと思う。

レイ・リオッタの、目が印象的。野望に満ちた目、疲れ果てた目。その差が際立つ。本物の役者だったんだなあと思う。彼の演技を見る事ができて、光栄だ。合掌。

ロバート・デ・ニーロ。この年代の彼は、役柄によって本当に変わる。憑依型。紳士のような雰囲気を持っているのに、容赦なく人を脅したり殺したり。でも、笑顔は本物。さすがとしか言いようがない。

ジョー・ペシ。怪演。彼以外にこの役をできる人物はいないだろう。ここまで役を自分のものにできるのは脱帽しかない。怖すぎる。

そして、そんな彼らを手懐けたスコセッシに拍手。

どんな人にも、憧れの世界はあるだろう。そこに飛び込む勇気はあっても、一生そこで生きていく勇気は手に入り難い。それはその世界で出会った人次第。

真っ当する人間もいれば、強制的に排除される人間もいるし、自ら離脱する人間もいる。

それが人生なんだろな。

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