見出し画像

プロローグ

アメリカの大富豪と生活するようになったのは久美子が28歳の時だった。かつて働いていた航空代理店会社にまきさんという友人がいた。会社を辞めてから7年も経ってから、彼女から一枚の葉書が届いたのがきっかけだった。彼女がその当時、アメリカの中西部の大学に留学していたことは知っていた。彼女が送ってくれたこの1枚の葉書が、久美子の人生を大きく変えたのだった。

葉書には「今、リタイアしたある大富豪の夫妻の家でホームステイしているんですが。家事手伝いをしながら大学に通っているけれど、今度結婚するので、家を出ることになったんです。それで、あなたを推薦したいと思っています。あなたは真面目だから。アメリカの大学に行けるチャンスがあるよ」と書いてあった。

久美子は当時、非営利団体で働きながら、大学の通信教育を受けていた。この団体は会員向けに国際交流や講演会のプログラムを企画し、在留外国人と日本人との親善活動を目的としていた。久美子はこの団体でコーデイネーターとして働いていた。東京にある大使館員を招いて、その国の紹介をしたり、講演会などを企画していた。高校生の時、将来は国際的に活躍したいと思い、大学進学を目指して受験勉強をしていたが、家庭の事情、その他の問題があって、大学進学を断念し、就職したのだったが、進学を諦めきれずにいた。

アメリカの大学に行けるなんて、夢の夢だった。まきさんが一時帰国したときに、詳しい条件を聞いてみた。私のすることは老夫妻の食事のお手伝いをすること。と言っても、基本的には夕食だけ。夏には孫たちが泊まりにくるので人数が増えるが、お手伝いは同じだった。時々お客さんが来るので、その時の夕食の支度の手伝いもあること。条件は3ヶ月間一緒に住んでみて、夫妻が私を気に入ったら、大学の授業料は払ってくれるということだった。こんないい条件があるだろうか。ただ、アメリカに行く渡航費用と大学に入学する準備として英語学校に行く場合の学費は自己負担。

これが久美子には難関だった。何しろ久美子には貯金が全くなかったのだ。一人暮らしをしてから1年、家賃と食費代、学費を払ったらお小遣いが少しあるだけだった。返事は1ヶ月待ってくれるという。親には頼りたくなかった。零細企業の経営も大変な両親に資金援助は頼めない。それに家を出て一人暮らしを始めたのだし。

そんなある日、大手のアメリカの出版社から電話があった。聞いているうちに英語教材のセールスだとわかった。「英語は自分で勉強しているので必要ないです」と断ったが、話し上手な相手のセールスマンはなかなかしつこく、ついつい、1時間も話してしまった。挙げ句の果てに「あなたは面白いですね。うちの会社でセールスの仕事をしてみませんか」と言ってきた。

久美子は新宿の高層ビルの30階にある会社で面接をすることになった。セールスの仕事は1件契約を取ると五万円もらえる。ただし、顧客は自分で探すこと、顧客になるかもしれない人と喫茶店で会った時のコーヒー代、交通費も自己負担だった。

渡航費用が欲しかった久美子は「イエス」と言ってしまった。仕事を辞めたのが一月、やめた次の日から新しい職場で仕事を始めた。営業なんか初めての久美子だった。

アポをとって顧客候補者に会う約束を取り付ける。20件に1件ぐらいでアポが入る。相手の指定する喫茶店に出向き、セールストーク。ある学生とは7時間ぐらい話し込み、最後に「悪いけど、商品は買いません。ただ話し相手が欲しかったんです」と言われて、全身の力が抜けるほどがっかりした。はたまた、土木工事ををしていると言う人と会い、この人は絶対に契約しないと思いつつも、セールストークをしたあと「あんたが気に入ったよ。契約するよ」と言われたこともあった。久美子は土日もアポを入れて働いた。その結果、1ヶ月半で14人ほどの契約が取れた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?