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「運命」とやらの掌の上で。(2-1)

わたしの全てをここに書き記すことは易しい。もうそれは「今」にはないから。でも、いつか今お腹の中にいる子どもが無事に生まれてくるとして、彼女自身の人生以外が引き起こす悲しみや困難になりうる可能性は残したくない。

人は、そこに書かれた一片の物語あるいは事実の一部でも、ありとあらゆる妄想を繰り広げ、簡単に刃物を作り出す。そしてそれは、自他の区別なく心に深い傷を作る。

とすると、やはり今よりうんと遠くの朧げなわたしの記憶について書き記すことで、あなたの瞳に、今のわたしからそう遠くない、ある地点のわたしに焦点が合い、うまいこと像が結ばれることを期待するしかないのだろうか。

ぼんやりとした大量のデータ、蜃気楼のような虚像。それらがなんとなく輪郭を持ったように"見える"。それがこの世の全てである。

マグリットやサルバドール・ダリの絵が人を惹きつけてやまないのは、多くの人が拠り所にしている"世界の見方(捉え方)"という不文律を、キャンバスという輪郭線を持って切り離したように見せかけて、実際には、全く違う世界の見方についての入り口そのものとしてそこに存在しているからである。

結局人は、その人が見たいように、世界を見て、決めつけることで安心を得る。

わたしは親に認められることのない子供だった。テストで100点を取ることも、友達と遊べずに家事手伝いをすることも、パチンコに出かける両親の代わりに幼い弟と妹の面倒を見ることも、ゴミ屋敷のような家でなんとか食事を作り最低限の衛生を保つことも、彼らにとっては当たり前で、褒められることではなかった。

親以外の大人も対して変わらなかった。

保育園の頃、お昼寝の途中、決まってある先生が見張りの担当の日には、なぜか私だけ外に連れ出され身体のあらゆる箇所を叩かれた。母親に告げたが、身体に痕などが残っていないという理由で、誇張・妄想の類として片づけられた。

小学生の頃、夜間に星を観測する体験学習のような日に、屋上に続く扉の裏で理科の先生に服の下に手を入れられ、体を弄られた。

中学生の頃、本棚を作るという技術の居残り学習で技術室に先生と一対一になった時も似たようなことが起きた。机に万力がくっついていて、その老いぼれた指を万力で潰す想像をして吐き気を耐えた。

散々なこともあったがそれでも家より学校の方がうんとましだった。いっときは家から逃れるために先生よりも早く登校して、本を読んだり詩を書いたりしていた。小学生から中学生の間に、何かがおかしいと気づいてくれる先生も何人かいて、親を呼び出して話をしてくれたが、体裁を酷く気にする母親は、にこやかに惚けてわたしのいうことを全て妄言として片づけてしまった。

そして、わたしにとっての不利益が全て「嘘」として片づけられる内に、母親に長靴で水をかけられ起こされて笑いながら首を絞められている内に、隣の部屋でテレビを見ていた父親と幼い弟がそんなわたしを横目にいそいそと家を出てファミレスで時間を潰している内に、心に深く深く根を張る自己否定の種は蒔かれ、長くわたしを苦しめることになる。

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