嘘をつくという行為。

年末くらいから、ふと興味がわいて犯罪者についての本をいくつか読んだ。

長谷川博一『殺人者はいかに誕生したか』
草薙厚子『少年A矯正2500日全記録』
岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』

まぁなんで興味を持ったかというと、中山七里の
『贖罪の奏鳴曲』『追憶の夜想曲』という御子柴シリーズ?
を読んだからなんですけれど。

去年は、中山七里にハマって何冊か読んだけれど
このシリーズが1番好きかなと。

中山七里にはまったには映画『さよならドビュッシー』から。
この映画が大好き。橋本愛の美しさが
狂気的で、彼女は困難に立ち向かう姿が痛々しくて美しいなぁと思う。
ドラマ版も決まって、楽しみにしてる。

岬さんが東出昌大と聞いて、どう転ぶか楽しみだし黒島結菜も楽しみだ。

そこは置いておいて。

上記三冊、結構時間がかかったんですよ。重たいから。
興味が今絶頂だったので、面白いのだけど、考えてしまうから
なかなか前に進まない。。。

なんとなく、思ったことは、
嘘をつくことと、道を踏み外すことの近さ。

道を踏み外すというのは、多分2種類あって
一つは犯罪者なる、一つは鬱などをはじめとする精神病を患う

嘘をつく、という行為はまず、他人にではなく
自分にまずうそをつくところから始まっているように思う。

自分の痛みと向き合えずに、それを否定したり隠そうとするために
他人に嘘をつく。
その嘘が本当の気持ちかどうかわからなくなり、
自分にとって正しいことが分からなくなると、道を踏みはずのだな
と思った。

でも嘘をつくという行為は、
人間が1番最初に自分を守ろうとするときに取る行為なんだとも思った。

自分に嘘をつく、自分を偽らないといけない状況が嘘をつかせる。
自分を偽ってまで、我慢することで自分の生きる場所を確保しなければ
ならない人もいる。

自分を偽って、我慢して努力してその道の成功者になる場合もあるけれど、
自分をずっと偽り続けることはできないから、
きっと、どこかで自分が嘘をついていることを肯定できる、=嘘を否定
している人なのだ。

ここでも、きっとはやりの自己肯定感というのが大事になってくるんだ。

辛かったら嘘ついたっていい。
嘘をつかなきゃやってらんないんだよね。
本当は嘘なんかつきたくないよね、怖かったね。
何が怖かったの?

嘘をついたときに、自分だけはそうなぐさめられるひとは
きっと道を踏み外さないんだろうと思う。

嘘をついたときに、嘘をついたことを打ち明けられる人がいれば
きっと道を踏み外さないのだろうと思う。

だから、何ととは思うけれど、
ここ最近、ずっとうそをつくこと、道を踏み外すことを考えている。

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