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人はどこからきて、どこへ。

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思えばわたしは”ちゃんとした人間”になりたかった。
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2017年7月の記事一覧

古墳の治定と日本の歴史。

古墳の治定にかかわったのが、本居宣長をはじめとする国学者というのがわかった。また、その国学者たちの中には、国史大系の編纂の際、その蔵書が底本となったり、またその弟子たちが編纂をしていたり、日本史とりわけ古代史においては、その研究の基礎となった人たちであるというのがわかってきた。

つまり、現在の予想としては、日本のイメージとか概念のもとを作ったのは、この江戸時代後期の国学者の研究だと思う。

平田

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調べればすぐに見つかった。

なにをどうして、見つけられなかったのかさっぱり分からなかったけれど、ちょっと調べたらずっと知りたかった、誰が陵墓を選定していったのかすぐに調べがついた。何となく、予想を付けていたけれど、面倒そうな人たちというのがあったせいかもしれない。

行ってしまえば国学者の人たちだ。

明治になる前、江戸時代終盤のころからその動きは始まっていた。尊王攘夷とかとも連動する思想からの動き。

・・・単に面倒で見て

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明治、いしん

明治維新といえば、坂本龍馬とか高杉晋作とか、新撰組とか松平容保とか、大久保利通とか西郷隆盛とか、大政奉還とか戊辰戦争とかそういう、クーデターとか国内戦争とかそんなイメージしか歴史を専門に学んでも思いつかなかった。

そもそも、そういう幕末の動乱っていうものになんとなく憧れとか興味とかそういうミーハーな部分もあって歴史を学び始めて、滅びの美学というかほとんどの歴史上の人物といわれる人たちは、幕末の動

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それは、日本人としての価値観なのか?

そもそも、なんで私は『日本人の考え方ってどこからきたのだろうか?』みたいなことを考えるようになったかというと。

学生時代、絶望的に英語ができなかった、から。

英語が苦手というよりも、英語を好きになれなかったし全くもって興味がわかなかった。一応、文系だと自覚はあったけれど、多言語を話すことにまで興味を持てなかった。そもそも日本語も不自由なのに、英語までって無理でしょ~って。

そして、高校生の時

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