何故私は死に駆られなければならないのか

「人間調子の浮き沈みがあって、良い悪いがあって、それが普通だと思わない?」と言われ、私は小さな診察室を出ました。
上手く伝えられなかったのだなと思いました。
薬は変わらず三割の診察料を払い、薬の探求は一旦終わりました。

学業や就職の不安と、過去のトラウマに近い状態から軽いうつ状態を発症して、のんびりと治療をしてきました。
薬のおかげで日中は動けるし、学校に行くこともできています。少しずつ意欲も出てきています。それでも毎日死にたくてたまらない。死にたいというよりも、「早く死ななければならない」と、頭のどこからか湧き上がってくるのです。
お腹がすいた、眠たい、そんな系列の中に死なないといけない、という感情があります。三大欲求は生きるための本能のはずなのに、並列関係に生の反対側にある死という感情があるのが面白いなと思いました。

今週の精神科での診察を思い出すだけで泣いてしまいます。
私は、確かに良くはなっているけれど、十年以上頭に染みついた希死念慮が消えなくて、それが正常でないことも分かっています。それは、薬を飲んでカウンセリングに通ったら、なんとかなると思っていました。平常な状態で「死にたい」と思わないようになることを目指してしまっていました。
それでも、死にたいと思っている今が「普通」だと言われてしまったような気がして、精神科の先生の前では何も言えなかったけれど、とにかく悔しかった。これからどうがんばっても、希死念慮と一緒に生きていかなければいけないのだと突き付けられた気がして。

死にたいけれど働いて、お金を稼いで、死にたいけれどご飯を食べてお風呂に入って眠って。
死にたいけれど恋愛をして結婚して子育てをして。(するかもしれないから)
そんな人生になんの意味があるんだろう。
脳みその大事な部分がうまく回らなくて、生きることの楽しみが伝達されなくなっている。

希死念慮が悪いとは思わないのだけれど、やっぱり間違っているとは思います。頭の回路のバグだけど、必要だからこそ存在しているバグ。生かされるとすれば、同様に希死念慮を抱えた人に寄り添うときくらいかしら、と思っています。死にたいと考えたり行動したりしたことのない人間よりも、実感をもって支えられるだろうから。
それでも、常に抱えて生きていくことはどうしてもできない、と私は思います。現に、十数年で頭がしっかりパンクしてしまいました。だからこそ病院に、行ったのにな~

なんで死にたいのか、なんで死ななければならないのか、そう聞かれてしまうと閉口してしまいます。それが分かれば苦労しないんだ。それが分からないから、ずっと悩んで悩んで悩み切って、解決方法は実際に行動に移すことしかないような気がしてしまうんだよな。

一応今のところ、(死にたいことに変わりはないけど)生きる目標ができたのでしばらくは大丈夫だと思うんですが……
こういった「死ななければならない」という感情も希死念慮に含まれるのだろうかとか、ぼんやり考えたりするのでした。つらいね。