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【3章-3】50代バツ2独身ジョブホッパーが辿り着いた「自分探しの旅に終わりはあるか?ないか?」
※これからの文章に出てくる内容は過去のお話で、現在はオンラインサロンも退会しております。※こちら(【番外編】このエッセイは、かつて某オンラインサロンに在籍・・・】を合わせてご覧ください。
自動思考
S研で、度々出てくる自動思考について。自動思考とはネガティブな思考が延々とループしてしまう状況で、それは脳内で無意識に生成され、その思考に囚われ続けることが、本来の私、人間の在り方から遠ざかっているという考え。その自動思考を無意識ループさせているのが、左脳領域と言うわけだ。
前章でも触れたが、
■左脳=論理思考/データ分析/計算・記憶力/言語処理/パターン認識/合理的判断
■右脳=感情・直観/芸術的創造性/総合判断力/対人コミュニケーション/想像力・アイデア創出/スピリチュアリティ
という領域になっていて、右脳は現在を認識、左脳は過去・未来を管轄している。右脳は、今この瞬間の感覚や感情、直感を司る脳の領域で、五感から得られる情報を総合的に処理し、パターンを認識したり、全体像を直感的に把握する。一方、左脳は論理的、分析的思考を司る脳の領域。言語処理や計画立案、因果関係の理解などを担当していて過去の経験から学び、未来を予測・計画する働きと関連してる。過去のデータを分析し、論理的に未来を推測するのは左脳の得意分野だ。(AI引用)
その左脳特有の過去のデータを分析し、論理的に未来を予測する、というのが厄介で、人間はそもそも生存バイアスなどの観点から、意識しないとネガティブパターンにはまるという特性もあいまって、過去を何度も何度も思い出し後悔したり、まだ見ぬ未来に対して不安を連想してしまう生き物なのだ。
生きていくうえでも、もちろん左脳の役割は大切だが、現代人はその左脳優位になり、年がら年中あらぬ思考をすることに慣れてしまっている。
またマルチタスクに追われ、逆に効率が悪くなったり、ストレスが増加、さらにそこからネガティブ思考の連鎖が起きたりする現代の中で、シングルタスクで今だけに集中する「マインドフルネス(今ここ)」が社会的に広く認識されたのではないだろうか。
その今ここに、いられず、左脳がはばを聞かせ、過去の後悔・未来の不安をグルグルしている状態をS研では「自動思考」と呼んでいる。感覚よりもエビデンス、感覚よりも数字、感覚よりも論理的であることを推奨されるビジネスの世界で長年生きてきた私は、もちろん正真正銘の後天的左脳優位人間だった。(それが悪いわけではない)
エレベーター呼吸
S研では、左脳の動きを止め、右脳優位になれる様々な体感ワークが紹介されている。一番ベーシックなのは所長がおすすめする、自動思考を止める体感ワーク「エレ―ベータ呼吸」だ。
S研は、そもそも体の声を聞く、体を使って、本来の在り方、今ここに戻ることを推奨していてなぜ体に聞くかというと、人間は「感情(心)」「思考(脳)」「体」の三つで構成されていて、体は心臓を始めとする内臓や運動機能。細胞の分裂や生成まで無意識で行われており、意識しなくても、本当の在り方を知っている、という考えからだ。
要は、体の感覚に意識を向けることにより、勝手にぐるぐると巡る思考を止め、左脳の回路を弱めるという方法だ。
Nさんの著書「左脳さん、右脳さん」でもエレベータ呼吸のワークの詳細は掲載されていて、その他にも動画などでも詳しい解説はどこでも見ることができる。が!結局、体感ワークなので、文字で読んだり動画を見ても、そのワークを体で感じなければ、とうてい理解できないだろう。
実際Nさんも、左脳思考を弱める、もしくは止め、右脳優位になるには誰にでもできることだけれど、少なくとも2か月は最優先でこのワークに取り組むことを推奨されている。研究員の仲間も、日夜このワークに取り組んでいる様子が、S研の研究日誌を見ていてもよくわかる。(みんな、がんばっているよねーーー泣)自動思考を止めるとどうなるのか、どんな体感なのか、どんな世界が待っているのか、期待を膨らませながら。。。
ワークの日々
私は、といえば、入所(研究所なので)してからしばらくは、熱心に言われたとおりにワークを続けていた。お腹にエレベーターがあることを想像して、できるだけリアルに。
エレベーターの床部分を壁にゴゴゴゴゴゴっ、ずずずずっとすりつけながら上下する感じ。自動思考が暴走している時は、その床を思いっきり、地面にドンっ!ドン!と打ち付けて。。。
最初は時間を決めて集中して取り組んだ。まずは自動思考の存在に気づくことからだ。自動思考というのは文字通り、これも無意識で自動で浮かんでくるので、自動思考があることにさえ気づかない仕組みなのだ(左脳の賢いところか?)。
心臓が無意識下で動くのと同様に、自動思考も勝手に思考しているのだ。だから、まずその思考に気づかない。気づかないうちにネガティブスパイラルにはまるのだ。過去のことを思い出し、失敗したこと、なぜ失敗したのか、そういえばあの時あの人にこんなこと言われたよな、そういえばあの人は前にも、こんなこと言ってた。。。。と芋づる式に思考が途切れず、思考の出発点と終着点が違うことがあるのも、自動思考の特徴だ。
自動思考が浮かんできたことが意識できれば7割は成功!とNさんもおっしゃられていたが、この自動思考の正体を捉えること自体が難しい。しかし、そもそも左脳優位の人生を送ってきた私には、諸々のメカニズムや、なんでそうなるの?その思考の構造は?え?なんで?みたいな状態が続いた。
全く思考しないの?じゃあ日常生活は思考しないの?それで仕事できるの?とかとか、頭で理解したいことがたくさん浮かんできた。それが入所して2か月した頃だった。
ワークから離れた日々
そして、その後、自動思考や脳のメカニズムについては、うっすらと理解できたが、Nさんに出会う前は、体と思考と感覚なんて改めて考えてこなかったし、2か月の集中期間なんて気が遠くなるし、ワークをやっても変わった気がしないし、なんて思いながら、つかず離れずの距離でいた。
そう、私はとても飽きっぽい。ついには、自分で勝手にエレベーターではなく、泉が湧くイメージにしてみたり、ようは体に意識が集中する習慣をつければいいんだよね?なんっていう自己解釈をした時期もありながらも、思いついた時にエレベーター呼吸は続けていた。ホントにその境地にいたるのか、Nさんみたいに、ある日左脳が逃げ出して、世界がキラキラしてみえる日なんて来るのか、あの縄文マンガの意味が理解できる日が来るのか、とぐるぐる考えて勝手に無理だよね、と拗ねていた時期もあった。(まさにこれが自動思考!)
一時期は、研究所を退所しようかとも考えたのだが、なぜか退所しなかったのは、S研との出会いで、自動思考とは何か?なぜそういう思考になるのか、どうすればいいのか、どういう風になれば正解なのか?を学べたことは大きな成果なことは理解していたし、やり続ければ何かが変わるであろう期待は捨てたくなかったのだ。その予感こそ、S研で思い出させてもらった本来の体の声だったのかもしれない、とあとで気づくことになる。でも、今になって考えたら、その距離感が「自動思考を止めなければ!右脳優位になるんだ!」というプレッシャーを背負わずにすんだのかもしれないと思う。
つづく・・・