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映画「杉原千畝 スギハラチウネ」 ところで当時ユダヤ人に対して各国は何を考え何をしたのか!

またまた、偶然にも最近観た「杉原千畝」という映画。
この人が偉業をおこなったのはやはり
1940年7月〜8月29日。

すでに迫害の目にあっているユダヤ人のうち六千人を助けた日本の素晴らしい人間
東洋のシンドラーとして有名らしい。
それの実話話しだという映画です。

当時ユダヤ人を助ける行為は困難な時代だと思われているので杉山千畝は命をかけて助けたと大絶賛されている。
私も杉山千畝に対して、善い事をした良い人間なのだという気持ちは揺るがない。

…が、「スパイの妻」の夫婦よりは公にやれているし、どうして杉原千畝は出来たのか?
現代の感覚では当たり前の行為なのだが、当時としてはどうなのか?が知りたくなった。
実は映画について
個人的にどう思ったのかの感想はあまり無い。
✳最後に少し書きました。



当時日本はユダヤ人をどうしようと思っていたか

1938年 日本では五相会議が行われた
 猶太(ユダヤ)人対策要網
ひとことで言えば日本はユダヤ人を迫害をしないという内容。

さらに
  河豚計画

をやろうしていた。(日独伊三国同盟の前の話)

簡単に言えばヨーロッパで迫害をされて行き場を失ったユダヤ人を満州に招き入れ自治区を建設する計画

まだ米国と開戦はしていない、三国同盟も結んでいない。
そしてユダヤ人とは仲良くしていこうではないかと言われていた。(ユダヤ人の経済力をあてにしていたという記述があったし、のちの切り札にしようとしていたらしいが憶測かもしれない。

だが河豚計画とは
ユダヤ人をふぐと呼ぶのは意味が深すぎる。
おいしいが毒がある。
食し方に注意すれば日本人にとって良いという意味にとれる…)

ところで杉山千畝はどういう人間だったのか

父親は税務官で、各地に引っ越ししていた子供時代らしいが、千畝はずば抜けて頭が良かった。成績はオール5で早稲田大学に合格。

ノートにはとらずに暗記で覚えていたらしい。英語も堪能で早稲田大学の図書室にこもりロンドンタイムズなど海外のものを読み漁っていたようだ。
その後にロシア語を勉強して、ロシア語の先生にもなる。
大学では変わり者で、笑われるような格好をしていたが、マイペース気質だったようだ。
仕事で満州に赴任。
そこでロシア人のクラウディア・アポロワと結婚をするのだが、関東軍にクラウディアがソ連のスパイだという噂を流され、それが元で離婚。
さらに杉原千畝は赴任地で嫌な現場を相当に見てしまう。
関東軍の嫌な雰囲気にムカムカした千畝はいったん日本に帰る。そこで幸子と出会い結婚。
幸子には「日本軍って……なんだよ」と語っていたらしい。


(性格的に「スパイの妻」の福原と同じような人間が実際にいた事を知りびっくりする。
しかしインテリの杉原が関東軍の無謀な行為に何かを言って、日本軍の兵士に睨まれた結果のような気もする。人間同士、肌があわないというのもある)
あと千畝はロシア人と結婚した時に正教会の信徒になったらしい。

✳ウィキペディアからです…

当時ソ連ではユダヤ人をどう思っていたか

昔の話に
「ベニスの商人」という短編があるのは知っているだろう。計算高い商人はユダヤ人となっている。
確かにユダヤ人は昔から金貸しだったというイメージが強く、そして銀行の頭取りもユダヤ系であったりします。
ロシア文学「罪と罰」の、主人公がXXした被害者はごうつくばりなおばあさん。その人は実はユダヤ系でした。
ユダヤ人のイメージはロシアでも良くなかった。
ロシア革命をやったのもユダヤ系ロシア人なので
みんなユダヤ人のせいという人間もいて、反ユダヤの考えがロシアでも広がっていたりする(第二次世界大戦終わりの時に結果的にソ連がユダヤ人を開放したので思想や行動は不安定だなぁ…という気がする)


ソ連とドイツの戦争 ソ連はドイツと独ソ不可侵条約を結んで、手出しはしないと言っていたのに結局ナチス軍がソ連にまで侵攻して勝手な事を始めたからですけれど(杉原千畝の映画でも、その事を千畝が指摘してナチスと手を結んでいる日本は駄目になると、駐ドイツ大使の日本人に語っている。こんなに先見の明があるなんて戦後の映画だからだろうと思ったけれど、杉原千畝の事を知ったら千畝の頭脳だったら先の事が分かるのだろうと思った)

映画に戻る

映画の中で、杉原千畝によって船に乗れたユダヤ人達が希望に満ちて歌を合唱する。

感動的なシーンだと思った。

しかしその歌はシオニズムが讃賞する内容のものだった。
この歌を歌わせるなんて、この監督…やってるな
と思いました。色々な意味で。



*パレスチナ難民の気持を考えて下さい……

ところで、杉原千畝がいた領事館はリトアニア・カウナスだそうです。いくらなんでもドイツ首都では出来なかったですよね…と思いました。
勿論ドイツから逃げ出した人々なのでしょうけれど他の国からも
ポーランドに逃げて、そこからリトアニアに。
そこから更に千畝のビザを手に国境超えをする。

実は欧州の、他の国へもいち早く逃げたユダヤ人達はいますが、イギリスでは無い欧州諸国に逃げたユダヤ人達はゲットー送りになったそうです。
そういう情報を知ったユダヤ人はヨーロッパは駄目だと分かって日本人に頼んで船に乗ったのでしょう。




ところで年月が経ち杉原千畝のもとに感謝の手紙が配達される。
そこには千畝の功績を褒め称える言葉があったが…
「米国に渡ったユダヤ人の中には軍事的に利用された人もいました。」
という言葉があった。

あ〜〜!そうだよね〜!原爆の〜〜構想は〜〜アメリカ人じゃない〜〜!
アインシュタインは後悔してますけどね…

千畝役の唐沢寿明は、手紙を読んでぼんやりと遠くを見てるだけでしたが…
本人はどう思っていたのでしょうか?

チェリン・グラック監督、アメリカ人だけど日本育ちなのでやってくれたなと思いました。
ちなみにこの監督は
「太平洋の奇跡-フォックスとよばれた男-」
の脚本に加わっているそうです。
サイパンで大活躍をした日本兵の話だそうです。
実は私は昨日Eテレで、少し戦争中のサイパンのドキュメントを観たので…「ああっ?…そうなの?…」
とただ思いました。多分観ない。
もしかしたら、観る。


左は優秀な民族として描かれ 右はユダヤ人!の像として描かれ子供に教えこまれたらしい。映画でも、杉原千畝の妻が、殴られ放題だったユダヤ人を助けようとしたら別の人に「あんな人種のやつ(教えられた悪口が続く)かかわらないほうが良いですよ」と止められた」
しかし、杉原千畝の映画は良いのでみなさん、機会があったら観ましょう。善意の行為でユダヤ人を助けようとした、日本の誇れる人です。

✳加筆修正しました。
の文を最後に置いてやっとこのページが完結…
だと思って頂きたい。

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