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【7月31日~8月6日】無駄遣いストッパー

本気の推敲作業と中2女子の送迎のタイミングが重なり、2時間ほどコメダで過ごしたのだけど、結果としてカロリーを摂取しただけになってしまった。

精神の鋭敏さと感情移入と没入感。
これらがピタッと来ないと進まないのが推敲で、私の場合それは自宅の作業場でなければ無理なことが多い。
短編だと出先でもできないこともないかもしれないけれど、なんとなく質が落ちるような気がしていて、きっと外は向かないタイプなのだろう。
ハイカロリーなシナリオではまず無理だ。ピスタチオのケーキはおいしかった。

さて。うちの子たちそっくりのぬいぐるみを買った。

似すぎである。

私は「これは無駄遣いかもしれないな」と思うものについて、いつもひとまず中2女子に相談することにしている。
彼女はいつも驚くほど冷静に買うべきか否かを見極めてくれる、無駄遣いストッパーだからだ。

たとえば、「ねこは液体だ。透明のバケツを買ってねこが入るのを眺めたい」と話を持ちかければ、「値段を見てみなさい。そして無駄にモノを増やさないで」と諭された。
けっこういいお値段だなと思い素直に諦めた。置き場にもきっと困る。
我が家はすでにモノが多いうえにコンパクト設計だ。

ほかにも「ねこちゃんたちのおもちゃ買おう! これかわいい!」と商品ページを見せれば、「小鉄くんは既製品では遊ばないって何回繰り返せば納得するの。ペットボトルのキャップで十分でしょうが」と言われる。
おっしゃる通りでしかない。
たぶんこれは3回くらい同じ会話があったと思う。
ちなみに黒ねこの小夏さんは既製のおもちゃでももりもり遊んでくれるけれど、基本的に破壊神である。

とまあ、いつもそんな調子なので、今回このぬいぐるみを見つけて「ふぁああああああああ……! かわいい! 欲しい! 並べたい!」となったときも、「でもきっと中2女子には止められるんだろうなあ……」と半分諦め気味に相談した。

しかし。

私「見て! うちの子たち!」
子「え、かわいい」
私「買ってもいいですか!」
子「いいんじゃない?」
私「いいの!? ありがとう!!」

……と、トントン拍子で購入画面へ進んだ。なんてことだ。
おそらく、「使わなくなるもの」だとか「あっても仕方ないもの」ではないと判断された。あと、私の熱意も少しは作用したかもしれない。
そして彼女も過去、くまのがっこうのぬいぐるみセットに大枚をはたいていたので、ぬいぐるみには甘いに違いない。

なんにせよ、「どっちが親やねん」という会話ではある。
いつもすまない。
中2女子は同年代の子たちに比べると、物欲がないほうだと思う。
いや、あるにはあるんだけど、金銭感覚についてはとてもリアリストだ。
私がそう仕向けてしまったのかもしれないし、全然関係ないかもしれない。
けれど、わりと小さな頃から「自分のお金を使う」ということを意識的にさせてきた。

中2女子が保育所に通っていた頃。
彼女は「メダカを飼いたい」と言い出した。たしか年長さんだったと思う。

当時は私の実家に行くたび、「おばあちゃんと一緒にゴミ捨てに行く」という「それほぼただの散歩やん」という内容のお手伝いに、ジジ馬鹿である彼女の祖父は1回100円というおこづかいを設定していた。
毎週末行っていたから、週に少なくとも100円。
お手伝いは多岐に渡ったから、多い時は200~300円は稼いでいたのではなかろうか。実に甘い設定だったが、口出しはしなかった。

なので、「じゃあ、メダカと、メダカのおうちに必要なものと、エサをまずおこづかいで揃えよう」と言った。
これはいくら必要で、あれはいくらで、と考えてもらう。
何回お手伝いしたら買えるのか、というのがわかってからというもの、毎週よくがんばってお手伝いに励んでいた。

2か月くらいがんばって、丸みのあるかわいい金魚鉢を窓辺に置き、メダカたちを迎えた。
彼女が自分で手に入れた、かわいい家族だった。

犬がほしいと言われるよりずっと「うん、いいよ」と言ってあげやすいものだったけれど、だからこそ、それなら自分で達成するチャンスだと思ったのだ。
あまりに楽に100円を得ていたのはともかく。
全部で2500円くらいだったかな。
とても大事にお世話していたし、ただ買い与えられるよりはずっと得るものがあったのだろうと思う。

小学校中学年くらいまでは、そのスタイルのおこづかいだった。
お気づきだろうが、この頃までは私の父がおこづかい担当と化していた。
頼んだわけではないのだけど、孫かわいさにそうしたかったのだろう。
父よありがとう。

そして高学年になると、お年玉の総額も大きくなってきた。
これもまた、彼女の好きにさせていた。
「通帳に入れとくならそうするし、自分の財布に入れるならそうしたらいい。でも持ち歩くのは少額にしてね、落とすとただただ悲しいだけだから」というのと、「貸し借りだけは絶対にしない」ということは伝えていたように思う。

結果、お年玉を分散させるということを考えたらしい。

わかりやすい数字として、たとえば10万円あるとして。
「7万円は通帳に入れて、3万円はお母さんが預かっててほしい」と。
要は、使いたいときに「お母さん銀行」から即キャッシュで貰うという「身近な預金システム」だ。

お母さん銀行の残高が少なくなると、通帳から引き出してくるか、家のことをして相応の対価をもらうかという2択。
なかなかうまくやっていると思う。
そしてたまに掃除魔になってくれることが私としてはとても助かっているので、ライブとかに行くときは臨時報酬としてグッズ購入の際にちょっと手伝ってあげるようにしている。

ひとまず、「貯める」「使う」ということにおいてはいい感覚が身についたのではないか。あとは「稼ぐ」ことと「増やす」ことを進化させていってほしい。
ほかのご家庭のおこづかい事情も気になるところだ。

余談だけど、高校時代、私が父からもらうお年玉は前年の大納会の終値だった。兄にもそうしていたから、という理由で私もそうなったのだが。
私の時代は日経平均株価が7000円台にまで下がったこともあった。
兄の時代のほうがまだ潤っていたはずだと、ブツクサ言っていたのを覚えている。
とはいえ今となっては、経済に興味を持てたという利点はあった気がする。




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