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◆影響力の本質/人々を型にハメるすべての影響、与える側は責任を問われることはない謎

◆人が生きていく上で受ける影響は、昭和平成の時代と比べても質量ともに何十倍かには増幅しているもの。その分、影響されるされないの度合いは人によって異なるものの、人々は日々、時代の影響と戦い続けている。

 まぁ、一般的な話をするならば、影響力のある人の言葉は人を動かすことができるとされていて、協力を得たり、資金を募ったりなど、何かをする時に集団の持つ力を活用することもできる。

 それ故に、権力や特権などと同様に、多くの人々が影響力を手に入れようと考え動いている。それ自体は特段不思議なことではないし、中にはそういう人たちがいても社会というものの実態を見れば当然のこととも言える。

 しかし、その影響力というのは、人ひとりが扱えるレベルを遥かに超えていくと、大抵は制御不能に陥り、世論の非難を浴びたり、重大な代償を支払うことになったりするもの。そう考えておいても間違いではない気がする。

 インフルエンサーと認知されている人たちで炎上したことのない人って多分いないよね。あらゆる力には反作用が働くもの。押せば押し返す力が働いたり、事を起こせば反対する者がいたり、言えば言い返す者がいたりする。でも、影響力だけは少し性質が異なる。

 影響を与える側と違って「影響を受ける側」というのは、その人の視野の広さや知識量や経験値によって、影響されるされないもそうだし、影響された場合の度合いも異なってくる。

 知らないが故に鵜呑みにして信じてしまう人がおそらく大半何だろうと思う。ウソでも堂々と話せば信じる人たちが集まる、とも言うからね。宗教的な思想の一番厄介な部分。無論、全ての宗教がどうということではなく、やっぱりこれもまた「悪用」されやすいものだということ。

 影響力の特性として、非常に便利で有効活用できる力であるが故に、悪用してもなお便利で有効に活用できる、それが影響力なのだと言える。

 トレンドなんかまさにそうで、例えば「女性で人気である」「若い世代に人気である」、そういうニュアンスを含ませて敢えて人気であることを強調した広告なんかも多く見受けられる。

 冷静に考えてみれば、何がどれだけ人気だろうと、どんな広告も売り上げに繋げたいがためのものであって、自分がそれらの商品をどのように評価するかはまた別の問題で、世間のトレンドとは何の関係もないはずなんだよね。

 AmazonとかのECサイトでレビューをチェックしてから買い物をしている人たちってどれくらいいるんだろう。一度もそんな行動をしたことがないからわからないんだけど、レビューも捏造されてたりして、実際に購入した商品が家に届いてみたらガッカリみたいな話もよく聞く。

 どんなことでも、他人が評価したことを基準に物事を選択するというのは、ハッキリ言ってリスクしかない。あくまでも「その人はそう感じた」というだけのことで、実際には自分の眼で見て確認しないことには評価しようがない。

 よく「親の影響」がどうのこうのって聞くけど、現代ほど情報が開かれた状態であれば、家庭内が世間的にどういう家庭であるかはよく見える社会だと思うんだよね。とすると、世間がどうであるかはさておき、一歩引いて見て自分の親はどんな親?と、自分がどう思っているかを言語化した時に、それが親の影響を受けているものか受けていないものかがわかるんじゃないかな。

 事実のみを並べてみるとよくわかるよね。親も人の子、間違ったことを言うこともある。感情的になって言うこともある。ウソを言うことだって当然のようにあるだろう。

 親の言動を内心どう感じながら聞いているか。微塵にも疑うことなく鵜呑みにするような人はファザコンとかマザコンとかそういう次元の人たちくらいだと思うんだ。結局、誰が言う言葉だろうと、手放しで信じるというのはダメなんだよね。

 むしろ、自分から見ても社会的に見ても影響力のある人の言葉というのは、「疑う前提」で聴かないといけない。

 どんなに否定しようがない正論を言っていたとしても、状況にそぐわない論理であるならばその正論は批判を招くことにもなるわけで、もし仮に影響力のある人がそういう論理展開をしているのであれば、その人はいつか影響力の扱い方を間違えることがあるかもしれない、と思っていてもいい。

 社長だから偉い、先輩だから偉い、資格を持っているから偉い、全部社会的にはそのように思われがち?だけれども、実際は全く違う。「別に肩書がどうだからって偉いわけじゃないでしょ」ってみんな言わないだけ。自分の立場が大事だから。

 得てしてそういうことを不躾に言える人たちが、現代では影響力を強めている。「一般的に失礼である」ということを前提にすれば言えないことでも、世間がどう思うかどうかよりも実際何がどうおかしいかをストレートに言える人のほうが忖度のない、歯に衣着せぬ論理展開ができるため、魅力的に映るし、心を掴みやすい。

 ところが、そういう類の人のウソの話ほど信者を集めやすいという要素も多分に含んでいるため、一概に影響力を持っている人の言葉が素晴らしいわけでもない、ということ。

 なんかね、世間的には「何を言うかではなく、誰が言うか」のほうが説得力に差が出るって言われてるけれども、本当にそうなの?って思ってしまう。

 例えば、万引きをして警察に補導されたことのある人が「万引きはしてはいけません」って言うほうがよっぽど説得力あると思うけど、世間では「(万引きしたことがある)お前が言うな」という批判になりがち。煽り運転で危険運転過失致死で逮捕された人が「煽り運転は危険なのでやらないように」って言うほうがよっぽど説得力あると思うけど、世間ではそうではない。わけがわからない。

 経験者にしかわからないことがあるはずで、経験者が語るからこその与える影響というものも当然あるはず。でも、影響を受ける側の民度が低いと、上述のような訳の分からない論理を展開することになる。ブーメランって言うの好きだよな、現代の人たち。

 現代では、普通に生活しているだけでも無数に影響を受ける機会はたくさんある。影響を影響と認知していない場合がほとんどなのかもしれないけれども、少なくとも見ず知らずの人間の言うことを信じるようなことがあってはならないし、常に信頼している人物の言葉であっても鵜呑みにするのはよくない。

 フェイクニュースに振り回されるようになったらまともに生きていけなくなるからね。気を付けようね。

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