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~空間認識の乖離~

 どもっ♬ にゃむですよっ♬(・∀・) さて今回のタイトルは、一般的に社会人なら誰でもライフテーマの一つと成り得るこれっ! 【仕事とプライベート】について考えていくよ♬ 頭の中で、普段、仕事のこととプライベートのことをどんな比率で考えているだろうかというお話。 プライベートでやりたいことがたくさんある人は、たとえ仕事中でも遊びのこととか恋人のこととか趣味のこととか、いろいろ考えるかもしれないし、仕事の時は仕事のこと! プライペートにおいては仕事のことは一切考えない! なんていう人もいるでしょうね♬

 今回は、ボク個人的に思う両者への認識を書いていこうと思う。 現在早朝4時!! 昨日は睡眠不足が祟って帰宅後20時には爆睡し、今日午前2時半くらいに起きてPCに向かい、タイトル画像編集へ取り掛かって今に至る。 ライフワークって言葉、皆さんも聞いたことがあると思うけど、皆さんは自分が特別ライフワークにしていることって何かあるかな? ボクはもう、これといって遊びに行きたいとかゲームしたいとか、誰かと会うとかそういうことではなくて、note利用開始後はほとんどこうして画像いじったり文章書いたりすることがほとんどで、強いて言えば本を読むくらいの趣味がライフワークの大部分を占めている。

 一見つまらなさそうに見えて、こういう過ごし方が本当はボクにはすごくマッチしてるんだなーなんて最近はつくづく思うようになった。 なんでそう思うようになったかっていうと、仕事でもプライベートでもパソコンを使うという共通点、しかも使っているソフトは「Windows Excel」。 仕事の時とプライベートの時では、やっていることは違っても、この2つの共通点が「ある認識」を持たせてくれている。 もちろん、仕事は仕事でPCを使って作業するわけだけど、空間認識の土台としてPCを使っていることとWindows Excelを使っていることで、全く同じではないにせよ、頭の中ではPCに向かう時の姿勢が似ている、ということ。

 それがどうした?と言いたげなあなたに答えを教えよう(笑) このことが実は"空間認識の同調"を生んでいるのである。 業務用PCはバージョンが古いために、当然Excelのバージョンも古いわけだけど、それほど大きな差はなく、やれることに対して差はない。 この空間認識の同調がもたらしてくれるのは、「精神面の安定」である。 プライベートでもPCに向かう行動が仕事でも同じであるため、そこに「空間認識の乖離」が起こりにくいという、ボク個人的にはこれはメリットだと感じている。 毎週土日休み、5日勤務、一貫してパソコンを使わない日は一日たりともない。 無論、平日仕事が終わって自宅に帰ってからも、毎日Excelで画像制作し、noteで文章を書く。 

 こうした、ライフワークとしている行動が仕事での行動と似通っていることで、感じるストレスや疲労感も大して差はない。 全く疲れないなんてことはないし、多少ストレスもあるのかもしれないが、特に気にする程度のものではない。 一言に、パソコンが好きなのである(笑) お世辞にも仕事でやっている作業が好きだとは言えないものの、パソコン操作が好きであるということが、ボクの空間認識における差を最小限にしてくれているのである。 非常にありがたい限りである。

 にゃむ父がここでも登場する。 昔から父は「パソコンは使えるようになっとけよ、必ず役に立つから」とずっとボクに言い続けてきた。 でも、そのことがどんな未来に繫がっているのかなんて、ボク自身まったくわかってなんかいなかった。 特別父がボクにパソコンの使い方を教えてくれたわけではない。 しかし父は、その重要性を伝え続けてくれていた。 敬愛するにゃむ父に、今は感謝しかない。 「なるほど、こういうことだったのか」と、心からそう思えている。 特に画像制作や文章作成に自信があるわけではないけれども、結果的に「好きだ」と思えている今に至ったことが、ボクの幸福感にリンクしていると実感できている。

 好きだと思えていることというのは、誰に言われなくとも自分で学ぼうとするようになるのである。 パソコンに関しては、誰に教わったわけでもないし、アプリケーションソフトも欲しいと思えばダウンロードし、使い方は使えば使うほど徐々に覚えていく。 わからない、知りたい、できるようになりたい、そんな一つ一つの思いが今に集約されているのだと思う。 無論、今でもわからないこと、実現できていないことなんて山ほどある。 でも、わからないことやできていないことがあるというのは大した問題ではないのである。 続けていく中で解消していけばいいという、その点はのんびりと構えている。 苦手な部分もないわけではない。 ただ、できるようになりたいと思えばこそ、学ぼうとするものなのである。 なぜなら、大前提には「好きなこと」という認識があるから。

 人間誰しも、苦手なことや面倒なことはやりたがらないし、必要に迫られることがなければ絶対にやらない。 それは語学にも通ずるところがあるかもしれない。 英語はできるようになりたい、でも苦手。 そういう人は少なくはないはずだ。 でも、例え苦手なことも「続ける」ということでいくらかできるようになっていくし、応用だって効くようになっていく。 毎日英語を聞き、毎日英語を読み、毎日英語で文章作成し、毎日人と英語で話す、そういう必要に迫られれば、誰だって英語はできるようになる。 いつまで経ってもできるようにならない人というのは、行動も思考も断片的で長続きしないものだから、脳に定着しにくいというただそれだけのこと。 苦手なことほど続けることに意義がある、ということは理であるとボクは思う。

 今でこそnoteに特化したライフワークを実現できているものの、ボクがパソコン嫌いだったり、画像制作や文章作成に興味がなかったりしたら、絶対的に今のような生活はできていない。 かといって、他に何をライフワークにしただろうかと考えてみても、ハッキリこれといったものは何も浮かばない。 きっと、「これしかない」ということなのかもしれない。 でもそれは決してネガティブな意味ではなく、完全に真逆で、「ボクにはこれがある」と思えている。 日々、仕事に追われ、疲れ切って、何となく一週間が過ぎ去って行く、そんな時期を過ごしていた頃も過去には当然のようにあった。 でも、自分のライフスタイルをどうしようかなんて考える余裕もなかったように思う。

 その余裕がどうして今になって生まれたのか。 それはただ単に「やりたいことが目の前にあるから」ということに外ならない。 人間は、やりたいと思っていることをやっている時の熱量と、やりたくないと思っていることをやらざるを得ない時の熱量には差が生じる。 そのため、消費するエネルギーも、期待される結果の質も異なる。 では、あなたが仕事で消費するエネルギーとプライベートで消費するエネルギーにはどのくらいの差があると自覚しているだろうか。 そして、エネルギーを消費した結果、何を得ているだろうか。 仕事においては多くの人たちが毎月給料を得ている。 では、プライベートでは??

 ボクが今回訴えかけたいことの最大のポイントがこれだ。 プライベートでの過ごし方が仕事での過ごし方と明らかに異なるということが、同時に、双方における空間認識の乖離でもあるということ。 その乖離が大きければ大きいほど、週初めの月曜日が憂鬱に感じるのである。 これはだと言っても過言ではない。 病症として鬱と診断されていない多くの人たちのうち、連休明けの仕事初日に憂鬱だなーと感じることは鬱なのである。 自分は鬱病なんかじゃないと思いたいのは山々かもしれないが、これは認めるべき事実。 そもそも、鬱病というのは、程度が著しく重いからそういう症名で診断されるだけであって、多くの人は軽い鬱を感じながら日々を過ごしているのである。

 プライベートの過ごし方をこうすべきだ!なんて押し付ける気なんてサラサラない。 ただ一つ言えることは、あまりプライベートにおいて現実逃避し過ぎると、現実に戻ってこれなくなってしまったり、現実での、つまり仕事での過ごし方が苦痛になっていくことが危惧される。 しかしながら、プライベートはプライベートなのだから、自由な時間であることは言うまでもない。

 ただ遊ぶだけでいいだろうか。 ただ気持ちよければいいだろうか。 ただ楽しければいいだろうか。 ボク自身はそんなふうに思っている。 プライベートの時間で何ができるか。 ライフスタイルをどんなふうに構成していこうか。 どんな結果を目指そうか。 そういうことをクソ真面目に考えて行動するということがライフワークに組み込まれ、それが当たり前になっていくと、仕事とプライベートにおける空間認識に生じている差、つまり空間認識の乖離が徐々に狭まっていく。 そうなってくると、精神的に安定感が生まれていく。

 最後に、人気のインフルエンサーである「#はあちゅう」さんがいつも言っている「自分を仕事に変えていく」という思考と行動が、精神的な安定感をもたらすものであるということを、ボクも感じ始めている。 だからこその今回の投稿である。 実は、にゃむ父のプライペートも、息子のボクからしたら仕事のような印象しかなかったことに気付かされた。 遊び呆けて、酒を飲んだくれて、ぐうたら寝ている、そんな父を見たことは一度もない。 自分を仕事に変え続けてきたそんな父に、一歩でも近づいて行きたい。


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