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【必見!】批判するだけの感情を本人が理解していない人の性格はズルい

 今回は、「自己責任でしょ」と言う人たちに対して批判する「自己責任論批判者」の心理を読み解いていこうと思う。結論から言うと、自己責任論者を批判する人たちはズルい性格だということ。

 生きていれば、にっちもさっちもいかない、何ともならない瞬間に遭遇することはあるかもしれない。そういう時は開き直ることも必要かもしれない。

 でも、「自己責任でしょ」と言われたことに対して批判する人たちって、その時だけは批判するんだよね。自分が困った時にそう言われると腹を立てる。

 じゃあ、自分が何事もなく生活を送っている時に、困っている人、失敗をして落ち込んでいる人、忘れ物をして怒られている人、などなど、いろんな人たちの状況を目の当たりにした時に、「お前が悪い」って思ったり言ったりしたことないの?って話。

 自分が困った時だけ自己責任論者に腹を立て、誰かが困っている時には自分が自己責任論者になるとかいう都合の良すぎるズルい性格、それが自己責任論批判者。

 備えあれば患いなしとはよく言ったもので、世界中がコロナ感染拡大で生活困窮や医療現場逼迫、それに、政府の対策不十分など、どう備えれば良かったのかを考えながら今を生きているのが現実。

 でも、100年に一度と言われるような状況下で、社会をうまいこと回せるほど国家も政府も会社も国民も優秀ではないのは自明の理でもある。

 おそらく、コロナ禍より前までの状況なら、露骨に自己責任論者に対する批判なんて起きてないと思うんだよね。まぁ確かに、感染者に対して自己責任だと揶揄するのは間違っているし、コロナの影響で職を失い生活に困窮している人たちに対して同じく自己責任だと言うのも間違っている。

 っていうか、敢えて傷口に塩を塗り込むようなことを言う必要もなかったのではないか、そういうレベル。挙句、自己責任だと言われて腹を立てる自己責任論批判者が沸いて出てきてしまうことになるのは、言う側も言われる側も無駄な論争を繰り広げるに至っていることにさえ気付いていないからに他ならない。

 敢えて言う必要のないことを言う人と、敢えて言われる必要のないことを言われて腹を立てる人との間で交わされる議論ほど無意味なものはないし、何も生まないし、誰も得しない。

 何かを言われて腹を立てる、人前でバカにされて辱めを受けて落ち込む、これって実はどっちも実害はないのに、言われた側がいちいち反応してしまうものだから言い返してしまって言い争いになるんじゃないかね。

 あのさ、心の通わない人物からどんなに罵詈雑言を浴びせられても、どんなに馬鹿にされても、本当は腹を立てる理由って一つもないと思うんだが、どうだろう(・∀・)

 おまけに、言われた言葉一つ一つがセンスの欠片もないものならなおさら腹を立てる必要がない。でも、たまに面白いことを言う人がいるんだよね。こっちは見下されて馬鹿にされているような状況でも、感心してしまうような表現だったり想定外の言葉だったりすると、ボクは相手を前に笑ってしまう(笑)

 批判するにもセンスがいる。相手が正しかろうが間違っていようが、批判する側にセンスがあれば、腹を立てずに言葉を交わすこともできる気がするんだ。

 他人から言われたことに腹を立てる時点で、相手に自分の感情の行方を任せてしまっているに等しい。どういう筋合いで相手に自分の感情を委ねるわけ??相手に操られて腹を立てている自分のことを客観的に見てみればいい。「何をその程度のことで腹を立ててるんだ?」って。

 イライラするのもボクからしたらタブーだね。むしろ、相手がどんなふうにこっちをディスってくるのかを観察するくらいの余裕があれば、結構これが面白かったりする。で、冷静に、相手のディスり具合を格付けするんだよ。

 この人はセンスある、この人は語彙力がない、この人は表現が幼稚、この人は何を言いたいのかわからない、という具合に格付けをする。それと同時に、相手の目をガン見して仕草を観察したり、何度も何度も繰り返される口癖をカウントしたりしてるとね、面白いんだこれが。

 そして、最終的に、こっちが正しかろうと間違っていようと、相手に謝罪をするとね、相手の熱が一気に冷めるんだよ。謝られると、人間はそれ以上言えなくなるものなんだよね(笑)その時の反応も面白い。

 相手が貴重な時間を遣って一生懸命にディスっている様子、これを観察したり分析したりできるようになると、相手が出したボロをピックアップして、最後の最後で答え合わせをして戦況をひっくり返すこともできてしまう。

 相手が感情的に怒鳴ってくるからってそれに便乗する必要はない。でもまぁ、そういう言い合いが必要なことなら意義深いものにはなるけれども、たまになんでこんなことで喧嘩してんの?っていう言い合いもあったりするから、そこは自分で相手するかしないか判断すればいいと思う。

 批判殺到!大炎上!とかいうワードがネット記事のヘッドラインに書かれていることは珍しくないけれども、くだらないことは多いけど、何より当事者以外全く関係がないものが圧倒的に多い。

 議論している時に、横から口を挟んできたかと思ったら「考え方は人それぞれなんだから」とかいう超絶抽象的で当たり前なことを言って議論の腰を折りに来る人いるでしょ。あたかもそれが結論かのように言う人いるけど、何の解決にもならない無駄なワードでしかない。

 考え方は人それぞれでしょって言われたら、だから何?って言いたくなる(笑)そんな一般論はどうでもいい。全然中和できてない。

 もう一つ、これはもはや現代語?現代の言い回し?になってしまっているのかもしれないけれども、「私的には」「自分的には」「オレ的には」って言ってみたり、「私の中では」「自分の中では」「オレの中では」って言ってみたりする人いるけれども、全部要らんよね。私は、自分は、オレは、で良くない??何ちょっとカッコイイ風に見せようとしているのかわけがわからない。

 自分の置かれている立場や環境の変化次第で批判する対象をコロコロ変えて、あたかも自分が正しいことを言っているかのような正当化をするのは、見ていてみっともないからやめることをオススメする。

 言い訳するなってのも、ボクはあまり言いたくないし、言われたくもない。なんでかって、人間は言い訳していないと生きていられない生き物だから(呪術廻戦より)。その場の言い訳くらいさせてやらないと精神病むよ?言い訳を問い詰めてもロスでしかないからね。

 で、最後に、今回もこれを言いたい。

 【批判するなら代案を】

 ボクはそう思うんだが、どうだろう(・∀・)あは♬ 

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