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インキ臭い男

16歳になってすぐ、アルバイトを始めた。
家の近くにあった、パンとケーキと喫茶の店。今風に言うなら、カフェベーカリーと言ったところ。
商品を出す時に、たまたま手が空いていたのでマジックでPOPを書いたら、よく売れるようになった。
その後、オーナーに言われて店のPOPと値札を書くのは私の仕事になった。
当時は、POPの書き方を教えてくれる講座もなく、本ですらほぼ皆無で書ける人が少なかったので、「便利なバイトの子」として重宝された。
オーナーづてに、常連さんのお店のものを頼まれることもあった。

「どうして書けるようになったの?どっかで習ったの?」と訊かれて、こう答えた。
「私、印刷屋の子なんです」

そう、父は小さな印刷所の工場長。
いつも汚れた作業服で、爪は真っ黒。
「わしは、インキ臭い男や…」が口癖の、陽気な人だった。

お絵かき用として、裏が白い試し刷りの印刷物を好きなだけもらえた。
絵もいっぱい描いたが、印刷面の方も面白くてよく眺めていた。様々な業種の広告や求人、開店やセールのお知らせ etc…。
仕事を手伝いに工場にもよく行った。書体見本帳や、いろんな会社のロゴの清刷りを綴じたものを見るのも楽しかった。
そんな環境で、いつの間にかPOP的なものが書ける素養が育っていたのだろう。(ちなみに、普通の字はヘタクソです)

その後、和菓子屋・靴屋・飲食店・マネキン(試食販売)…と、どこへアルバイトに行っても「便利なバイトの子」になった。
特に試食販売や催事では、臨機応変にPOPを変えるとお客さんの反応の変化をダイレクトに感じることができて、非常に面白かった。
同じ商品でも、北摂のスーパーでは商品を丁寧に説明した綺麗なPOPの方が売れるのに、泉州の商店街ではデカデカと「食べたらわかる!この美味さ○○円!!」と書けば試食から購入の流れでよく売れたりした。
(注:北摂=大阪の上品な地域、泉州=大阪のラテンな地域)

就職先は食品会社で、1年目は事務員だったが、2年目からはなぜか販売促進部に異動、ここでも広告や販促物を作っていた。
便利なバイトの子から、便利な社員→退職して便利なパート主婦とジョブチェンジをしても、やっていることは本質的な部分では変わらなかった。
やがて、道具は手描きからデジタルに変わったけれど、やっぱり今もコトバと文字とデザインで販促物を作る「便利な自営業者」をしている。
子どもの頃なりたかった職業ではないけれど、「印刷屋の子」だったからこそ人の役に立つ仕事ができるようになった。

インキ臭い父が、私の仕事の原点を作ってくれたのだと思っている。

どうでもいい追加情報として、父が(わし、うまいこと言ったw)とドヤ顔で使っていたお気に入りフレーズの「インキ臭い男」よりも、近所のおっちゃんの「わしは、数えきれんほどの人間を病院送りにしてきた男や…(by救急隊員)」の方が、はるかにクオリティが高いと子ども心に思っていたことを付け加えておく。

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