見出し画像

揺れて揺られて南海電車

まだコロナのコの字も聞こえてなかった時期の、春浅いある日。
神戸方面に所用があって、私は電車に乗っていました。
休日の南海線は思ったより混雑していて、短い前足…いえ腕を伸ばして吊革を持ち、車両の中ほどに立つことに。
私の目の前に座っているのは、今風のあっさり顔のお兄さん。フィギュアスケートの羽生くんを田舎風に煮しめて少し拡大コピーしたような、高身長でスラリとした純朴そうなイケメンです。

しかし惜しいことに、メガネかけてない… 惜しい。実に惜しい。
4回転ジャンプでわずかに両足で着氷って感じで減点。
これでメガネだったら、メガネスキーな私の個人的好みにより芸術点が大量加算されたのに!
この羽生兄さんならメタルフレームよりセルフレームが似合うな…などという勝手な妄想は、軽く羽織ったスプリングコートの中に包み隠し大人しく電車に揺られていると、車内にこもった空気のせいか喉がムズムズしてきました。

(咳が出るかも。のど飴あったかな…)
と思って吊革から手を離し、バッグを開けようとした瞬間。
ガッタン!
南海電車、私の予想をはるかに上回る横揺れ。
後方に倒れそうになる私。
こらえる!土俵際、つま先ひとつでこらえる!ぐぬぬ!

長いスプリングコートが床に擦るほど海老ぞる姿は、さながらマトリクス。
まだだ…まだ終わらんよ!
全身の筋力を動員し、前に重心をもどす。
うおおおおおお!

ガッタン!
筋力のヤシマ作戦によりマトリクス状態を脱しようとした瞬間、南海電車は逆方向に無情な横揺れ。
逆、つまり今度は前です。
前に重心もどそうと必死こいてたら、前ですよ。

当然のことながら、前方に派手に吹っ飛ぶわけで。
いい歳して情けない事態に口調が「北の国から」になるわけで。
あ~あ~ああああ~、と心の叫びと歌がシンクロするわけで。

それでもコンマ何秒の間に最大限の抵抗を試みました。
吊革をつかもうと、両手を精いっぱい伸ばして。
私が一青窈なら、それこそ空を押し上げる勢い。
しかし、薄紅色の可愛い君でも何でもない熟女の手は虚しく空を切り…結果的にはコートをなびかせバッと両手を広げて羽生兄さんに飛びかかることに。

たぶん、その時の私、必死の形相だったと思う。
羽生兄さんの視点からすれば、驚いた鬼瓦みたいな顔したババァがムササビのように襲い掛かってきたって状況だと思う。

女の子が空から降ってきたら冒険が始まるんでしょうけど、ムササビババァが飛んできたらラピュタを探すどころじゃないですよ。
もうバルス。私の心がバルス。

早く過ぎて欲しい時間ほど、ゆっくりに感じられるもので。
倒れていく間、私の時間軸は確保される時の加藤マサル。BGM は中島みゆき。なんでこんな時に思い出すのが金八先生やねん、と脳内のどこかで突っ込む冷静な別の自分。

なんと羽生兄さん、咄嗟に手を出して支えてくれましたよ。なんていい人だ。
私とのアンラッキースケベを回避したかっただけかもしれないけど。
ほんともう平謝り。申し訳なさ半端ない。

もし Twitter で「電車の中でうちのオカンぐらいのおばさんに飛びかかられた」と若者がつぶやいていたら、それは私です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?