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ママでも活躍できる場所を!使命感に溢れた30代

こんにちは。池尻浩子(通称:ろこさん)です。

私は、社会人生活22年を通して、飛び込み営業、新卒採用人事、営業マネジメント、新規事業開発、広報、会社員として、個人事業主として、たくさんの経験をしてきました。その中で

・結婚
・出産
・小学生の子育て

ステージごとに私が感じていきた家庭と仕事の両立への葛藤や理想、そして、どのように選択・決断をしてきたのかをお話できればと思います。



・結婚や出産を通した社会との関わり方
・年齢を重ねていく中での働き方の変化
・仕事と家庭との両立

に対して迷っている方や、興味がある方の参考になれば嬉しいです…!


~全3本でお届けします~
1)ママでも活躍できる場所を!使命感に溢れた30代
2)出産後の働き方への葛藤
3)多感な時期の子育てを迎えた今、働き方を変える勇気


私の母は、私が小学生の時に夜間の学校に通い、インテリア・コーディネーターの資格を取得し、働き始めました。それまでは、専業主婦でしたが、私の中の母の記憶は「バリバリ働くかっこいいお母さん」です。



母の職場は、ガーデニングデザインや、インテリアデザインを請け負う建築事務所。いわゆる「図面」をひいたりする姿や、おしゃれな空間は、私の中でキラキラした場所に映っていました。

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▲当時の若かりし母



当時の母は(笑)とても綺麗で、よく友達にも「ろこちゃんのお母さん、おしゃれで綺麗だよね」と声をかけられ自慢の母でした。



そんな母の口癖は、「女性でも1人で食べていけるようになりなさい」
当時、夫婦仲はあまりよくなかったからか(後に離婚)、父の病気もあり経済的にも不安定だったからか、よくその言葉を記憶に強く残っています。



そんな環境で育った私には、専業主婦になるという選択肢はなく、ずっと仕事はするものというある意味「そうしなければ」という感覚や、「そうしないと不安」という強迫観念に近かったのかもしれません。



私が新卒で入社した会社は、大手教育系出版会社。営業部に配属されました。
「がんばったら評価される」「努力に比例して存在価値が認められる」そんな環境に身を置き、それまで、満たされない何かに翻弄されながら生きてきた私は仕事に没頭しました。


休日稼働も当たり前、深夜まで続く商談。新規獲得のための飛び込み営業。結果をださなければ厳しく指導され、完全なる実力主義。



そんな環境下なので、30人いた新卒の同期は気付けば1年後には2人。営業職は大変ではありましたが、お客様と話をするのが好きで、そして会社のメンバーも好きで、チームのために成果をだしたくて、夢中に働いていました。

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▲20代の私 後輩にも自分にも超厳しかった時代

離職率も激しい中でも、新卒は毎年数多く入社してきます。入社して翌年には、短大卒だった20歳の私が大卒の22歳の新卒部下を3人もち、気付けば、25歳で係長に。女性社員の中でずっと最年長を歩いてきました。


27歳で営業部のマネジメント職だった私は、結婚式を目前にある葛藤をいだきます。不規則な生活、営業で結果をださなくてはいけないプレッシャー、「家庭と仕事の両立ができるのだろうか?」


仕事の繁忙期になると生理不順になり、「出産もしたいし、身体のリズムとも、向き合うゆとりがほしい。」

ただ、目の前に大きな不安がありました。

・ここで、「営業の第1線から退く」と会社に話をしたら、今までの実績や信頼が0になってしまうのではないか?

・営業にコミットできないと、必要とされなくなるのではないか?


半年ほど悩み続け、「今仮に評価が0になったとしても、1から信頼を積み重ねられるように頑張る、私なら大丈夫」やっとその覚悟がもて、「次のステージに行きたい」と上司に意志を告げました。


すると、私の悩み続けた日々に対して拍子抜けする返答が。上司からは、今までの活躍への労いと、私の進みたい働き方を自分で作ればいいと、新規事業の立ち上げを任せてくれました。


自分が周りからどう見られるか?そのことばかり気にして、自分の本心に蓋をして、独りよがりに苦しんでいたんだなと、自分が思っていた以上に周りは温かく、そして私の頑張りを見ててくれたんだと救われた思いがした出来事でした。

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▲27歳で結婚 100名近い会社の仲間が参列してくれました。


その後、当時の上司が新会社を設立するタイミングで、創業メンバーの社員としてジョイン。当時30歳。結婚して3年目を迎えるタイミングでした。



平均年齢25歳の会社。自分自身が25歳以降、年齢的にも役職的にも私の前を歩いている女性の先輩は社内にはいなく「私の歩む道が後輩たちの指標になる」といつの間にか使命感のような感情を抱くようになりました。


前職にいた数少ない女性の先輩方も、次々に結婚して退職していく姿を(それがだめだというわけではなく)個人的には、とても残念に思っていました。



結婚しても出産しても、時短勤務になっても、成果がだせる場所をつくりたい」
「年齢を重ねるにつれ、色々な働き方のビジョンがもてる会社をつくりたい」
「能力も可能性も気持ちもある人材が、長く働ける会社をつくりたい」
いつのまにかそれが私の原動力になっていました。



その中で、いつも考えていたのは、
「家庭を大切にしながらでも、女性でもキャリアアップできるよ」
「自分で道は切り拓けるよ」

と伝えられるようになりたい。

○○ちゃんのお母さん、○○さんの奥さん、○○会社の○○さん、ではなく 一個人として、一人の人間としてどうでありたいかを大切にしてほしい。

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▲産休前に、後輩たちが開いてくれた「出産がんばれ会」(全員女子!)



今、考えると独りよがりで傲慢なところもあるけれど…
「この人みたいになりたい」
「こんな生き方をしたい」
「仕事を頑張った先には、こんな成長ができるんだ」

誰かのキャリアビジョンに自分がなれたら嬉しい。


でも、本音を言えば…能力のある女の子たちが「ビジョンが見えない」「結婚してまで続ける仕事ではない」そう言って退社をしていく。それが純粋に悲しかったし、大好きな仲間と一緒に働きたい。仲間を失いたくなかった。

今、考えると色々なメッセージの伝え方や頑張り方あったと思いますが、「新規事業をつくる」「私が走りづける」ということが、私なりにその時出来る答えだったのかもしれません。


~全3本でお届けします~
1)ママでも活躍できる場所を!使命感に溢れた30代
2)出産後の働き方への葛藤
3)多感な時期の子育てを迎えた今、働き方を変える勇気

次回は、「2)出産後の働き方への葛藤」に続きます。



プロフィール

池尻

池尻浩子(いけじりひろこ)
4thplace運営メンバー(前コラム編集長)

【小学4年生、小学1年生 男子2児の母】

大手出版会社の営業職を7年経験したのち、上司が立ち上げた新会社で13年従事。
現在は、大手リゾート会社で、広報・広告業務を担当。
その他、社内広報の経験も活かし、インターナルコミュニケーション(社員やスタッフへのビジョンの浸透、共通認識と価値観の言語化)をサポートする取り組み、PR代行なども手掛ける。




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