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最も印象に残っている人

久々の更新です。
自分の記事は概ね「長文」のため「一部だけを読んで誤解釈されるケース」が起きたのと、情報発信をInstagram主体に移行し、Twitterを「雑多アカ」として機能し直したのもあり、特に記すこともなく放置していました。「観光客の目線に立った観光に関する話」を主に、雑感や“想い”など、ぼちぼち復活させていきます。

復活1本目は、今までブログなどでは書かなかった、ある旅人さんについて記していきます。
この旅人さんは「強いインパクトを遺しつつ、すごく“情”が入った存在」でしたので、宿のブログでも記そうと何度も思いました。ただ、具体的に記せないこともあって言語化しきれず、ずっと書きかけで放置していました。
ちょっとぼやけた文章かもしれませんが、受け入れた時の“想い”を感じていただければと思います。

それは、2年前の9月にご宿泊いただいた、当時は大学4回生の一人旅女子。
今ほどInstagramを活用していなかったのもあり、宿内やご出発の様子を撮っていなかったので、写真はありません。メッセージカードも「絵が苦手」ということでいただいておらず“形”に残っているものはありません。
ですが「強烈な印象」は遺していきました。

ご予約は、前日夜の電話。公式ホームページを丁寧に読んでくださっていて、割引特典とバスタオルや白ご飯の提供などについて、念を押して確認されました。
自虐的に「汚い格好で行きますけど、よろしくお願いします」と言われたので、その時は単純に「面白そうな人だな、長旅かな」と感じたのですが――。

夕方、現れた彼女は「暴漢に襲われたの?」と思うほど、薄汚れた“ボロボロの恰好”。
第一声は「3日間、着替えていないし、風呂にも入っていないので、汚くてすいません」でした(女子大生が9月にです!)。

※※※ご到着の時点から“普通ではあり得ないこと”があったのですが、その内容は省きます。本人からは「ネタとして笑い話で旅人さんに話してください」と言われているので、ご宿泊された際に語ることがありますが、大抵の人が驚かれます(おそらく「後にも先にも起こらないでしょうし、ほかの宿でもまずあり得ないこと」を行いました。台風の時に“近い”出来事はありましたが・・・。思わせぶりですが勝手に想像してください(笑))。
(本題に戻ります)

旅の総行程は10日間くらいで「青春18きっぷ2組」を使って関東から関西へ入り、その後に中国地方へ。最初はビジネスホテルなどを利用していたそうですが、ある事情でお金が尽きたのと“着た切り”になってしまったため、宿をすべてキャンセルし、直前3日間は「野宿」、しかも地下通路や公園のベンチで寝ていたそうです。
いくらでも策はあったと思うのですが、旅慣れていなかったのと、他人に頼るのが下手で不器用なために「何となく貧乏旅でいてしまった」ようでした。

境港に来られたのは「水木先生のファンだから」で「目的地意識」は高かったです。事前によく調べていましたし「まちづくり」としての視点を理解し、拘りをもって半日以上楽しまれました。もともと、宿泊する予定はなかったけれど日中に観光される計画は立てていたと話していました。

「旅」としては「ゴールに近い場所」で、うちに泊まった後は出雲に1泊され、広島から夜行バスで帰途へ着かれました(この乗車券は既に持っていました)。

うちを予約された理由は「助けてくれそうだと思ったから」と語ってくれました。
これだけだと「値引きやサービスを願っただけ」に感じるかもしれません。しかし実際は、非常に文字数の多い公式ホームページを読み込んでいたのが予約段階で分かり、コンセプトに共感し、信頼してくださっているのを強く感じました(「恰好」にこそ戸惑いましたが)。

「“信頼”に対して“情”で応える」、この感覚で接することができる人は年々増えていますが、このころは開業してちょうど1年くらいで、最初9か月間の方針を変更して間もなくの時期。今ほど明確な予約ルールなどが定まっていない、試行錯誤から完全には抜けていない状態。そんな初年度の中では「強く“情”を交わし合えた中の一人」と言えます。
うちは現在、予約ルールを明確にし、宿泊前の段階で信頼関係が構築できるよう努めていますが、それでも「緊張感」や「自由度」が解き放たれるまでは、少し時間を要する人が大半です。特に「女性1名」だと「男性が管理している宿」ですから警戒心などもあって当然です。
なので、その“壁”が事前に取り払えていると“情”が深まります。

この日はほかの宿泊者がなかったので、ゆっくり旅の話などを聞かせていただきましたが、精神的な疲労度が高かったようで、いろんな話を聞いた後、寝る前には少し涙ぐんでいました。直前3日間の「孤独」から解き放たれた安心感、僅かでもその力になれたと思うと、自分も感慨深いものがありました。
ちなみに、ゲストハウス様式の宿の利用経験はなく、旅中ずっとビジネスホテルだったそうです。

性格的には「純粋でピュア、“真っすぐ”だけど、芯が強く拘りを持っている人」で、共感できるものが多々ありました。
「人間関係は、すごく苦手」「大人社会で生きる自信がない」「ずっと現実逃避している」「友達も少ないし、彼氏ができたこともない、恋愛感情もよく分からない」――。
自虐的でネガティブな発言も多かったのですが、そう言いながらも言葉は明るく、基本的に素直で「悩みながらも自分を強く持っている生き方」だとは感じました。

ですが、確かに「世の中の風潮に揉まれるのが、かわいそうなくらい純粋」で、この先、苦労が絶えないだろう、とも思いました。

自分も、そういう葛藤を抱えて生きてきたほうです。今もないとは言えません。
「大人社会の狡さ、要領」になじめず「この方が得、好まれる」と分かっていても、気持ちで納得できないと背を向けてしまいます。それが人間関係にも影響し、無駄に敵をつくってしまいます。
はっきり言って「現代社会不適応」で、大規模な企業や、組織が強い空間では過ごせません。

そんな“弱さ”の感覚が、当時、最もシンクロした人でした。
「旅」の捉え方や楽しみ方の感性も近く、水木しげるロードを半日以上ゆっくり楽しんでいただけたのも良かったのですが、「旅以外の話」での共感や深さ、という点で、時間の凝縮度が高かったと言えます(あまり「旅/観光以外の話」をしないですし)。
自分が身近で男性と接することが少ない環境で過ごしてきたのもあって、いわゆる「一般的に男性が見えている世界観よりも、女性的な感覚に共感する」のもあり、話が深まりました。

※※※自分は、一般的に男児が好むメカニック系やヒーローもののアニメや特撮を好みませんでしたし、大人になるにつれても、機械・電機といった工業的なもの、車やバイク、格闘技全般、酒やたばこに興味が持てませんでした。父親が家でも仕事しかしないタイプの堅物な人で、遊んでもらうことも教育的な指導も、家族旅行も皆無だった一方で、10歳離れた妹の面倒を見ることが多かった影響はあります。なので「大人の男の付き合い」ができず、年上の男性と接するのが苦手です。
(本題に戻ります)

本人は「女子力ゼロどころか、人として駄目ですよね」と言われたのですが、自分には「人間味」つまり「“味”のある人」だと映りました。
学業や就職に関してもしっかりした意思があり「“運”に恵まれないだけ」(引き寄せようとしないだけ)で「素直すぎて損をするタイプ」だと感じました。
ただ本人も語ったとおり、大人社会においては、簡単な言葉で言えば「適応障碍」があるのは明らかでした。一般常識の欠落というか「初対面の人に対して行わないような行動」もありました(ある意味、気を許しているからとは言えますが)。
今後、苦労するのは明確に感じましたが、この「不器用な素直さ」が最大の魅力だとも思いました。

普段、旅人さんと接するとき「私的なことは尋ねないように」しています。自分が「旅・観光や趣味以外の話が“振れない”、流行や世間話のような日常的な会話は苦手」なこともありますが、基本的に「旅を楽しんでいただくこと」に重点を置いています。日常的な話に触れるのは「大学名を聞く」程度です。
そのため「今まで旅した場所」などの話で盛り上がることはありますが、メンタル的な話題になること自体、ほとんどありません。
トラブルがなく旅ができていたら会わなかったかもしれない、偶発的なものでしかない繋がりなのに、信頼して「私的なことを語ってくださったこと」は、うれしいものでした。
少しは「ハプニングを想い出に変えること」ができたと思っています。

滞在している半日で“情”に絆され、夕食・朝食に加え昼食も提供。ここ数日は1日1食だったそうで、食費は「1日500円以内しか使えない」と「ふりかけと粗塩とマヨネーズだけで白ご飯を食べようとした」ので、さすがに気の毒になったのもありますが(笑)
ほか、新品のTシャツとスウェットを差し上げています(貸して、と言われたのですが、差し上げました)。
実質的には「ほぼ無料で泊めた感じ」ですが、事情が理解できたのと「本当は泣きたいような、つらいこと」を「笑い話と自虐ネタに変えていた姿」が健気で、損得抜きで自分も楽しめました。「お金」ではない、温かい「心の対価」を、たくさん頂きました。
ちなみに、本人からは一度も「ご馳走してください」とか「割引してください」と言われていません。あくまでも公式ホームページで「サービス面」を認識し、それはしっかり生かそうとしてくださっただけです。

※※※余談ですが、手伝いをすることで宿泊代を無料にする、いわゆるヘルパー制度ですが、うちは業務は一切させません。あくまでも「旅人は旅人として接する」という待遇です。「迎える側」と「迎えられる側」の立場の違いによるガイドラインは明確にしています。
この時は事情を考慮して食事代は頂きませんでしたが「宿泊代」としては正規で頂いており、そのうえで「個々に応じて別途サービスし、さらに“情”を加える」という考え方です。困窮しているからと言って「現金の貸与」も行いません。
(本題に戻ります)

結局、夜は午前2時まで話し込み、翌日に半日観光した後「いつか恩返しに来ます」という言葉を遺して、ご出発。次の日も出雲で「ちゃんと」宿を取られました。

その後、就職が決まり、無事に卒業できたと報告がありました。「人との接点が少ない仕事でないと無理」「日本の社会環境では合わない」と、卒業後は研究職に就いて海外に出られています(そのため電話番号やメールアドレスが変わったようで、今は連絡が付きません)。

彼女が起こした“普通ではあり得ないこと”は、今も“話のネタ”にさせていただいています。ですが、それも“人間味”と“純粋さ”に惹きつけられる魅力的な存在だったからで、大きな“情”があったから「笑い話」として想い出を語っているのす。

なので、記録としても遺しておくことにしました。

いつか再訪してくださるかもしれない、その時を楽しみに待っています。

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