自分の自由に



誰かが聞きたくない話とか、わかってるけど考えられない
うわごと

言葉っていくらあっても足りない
それぞれが認識している感覚が違うから
言葉しかないから仕方なく言葉を発する
ここはそういう場所でしょ?

疲れが臨界点を突破したみたい
横になって少し眠った
薬も飲んだけどだめみたい
じわじわと痛みがきて、自分が制御できなくなる

いつもならなんにも気にならない人や動画の話し声が耳から伝わって頭にザリザリと擦れるよう
離れて扉を閉めた

どうしてこうなっちゃうんだろう
今もよくわからないけれど、なにかのストレス条件が満たされてしまうと、こうなってしまうみたい

わたしの中に幼い子どものようにどうしようもない部分が起きて、泣き真似をしたりぐずったり
わたしがそれを叱ったり抑えたりすると、体が痛くなったり精神的に追い詰められて病気のように震えたり泣いたりしてしまう
だからほっとく
今はなんにも求めない
大人しくしててくれれば、なにも悪いことは起きないから

言葉を選べばいろいろ表現のしようもあるけれど、たくさんの人たちが今の私と似たような状態になって、それぞれの表現や対処法を駆使してそれをしていると思う

私は動きも言葉もふにゃふにゃになる
頭の中に勝手に流れてくることを知らぬ間に口にしていたり
まだ誰かに聞かれてはいないよ
外耳炎が治ったり疼いたりを二十年くらいくり返していて、今もガサガサのかさぶたと痒みがあって、猫や犬が荒く顔を擦るようにぐしゃぐしゃとかいてる
耳の中で爪を立てると血が出るから、手で触って抑えるだけ

最近ダニに悩まされていて、さっきもまた1箇所刺された
足首に集中していて、把握してるだけで9箇所刺された
痒みが治まったところも赤く傷跡になってしまっている
薬を何度も塗っても数日痒みが治まらなくて、痒みも強い

頭が痛いというか、なんだろうな、図でも描かないと伝わらないけれど、こういう形に違和感があってなんともいえずつらい

今だけだから、遅かれ早かれ治まるのは知ってる
今日は疲れちゃう日でした
「ああ、今日は良くない日だな」と思うと、何をしても効かないのがわかる
治したいから「ケーキでも買って帰ろうか」「映画でも観ようか」なんて考えるけれど、どれも効き目がない
それでも、あがいていると不意に気が紛れる瞬間がある時もあって、やったーと思うけれど、ふだんしていることでは確率が低いということ
でも時間をとにかくやり過ごしていればまたなんともない時も訪れるから
その繰り返し
やっかいな鬱にならなければ、特別気分が良くなくてもいいやと思えた

こういう時、なにかの本に書いてあった「そういう時に話せる人をひとり決めておく」という文章を思い出す
そして心の中で悪態をつく
いたらすぐ電話でもしているよ
いないからどうにもならないのでしょう?
今は知り合いの誰と話しても疲れるし疲れさせるような時だよ

人と話す時は、脳の反射で、案外なんとかなることが言えたりするもんだ
私は今、言いたいことも伝えたいこともなんにもないけれど、とにかく今のつらさを、何をしていても唸るつらさをやり過ごしたいだけ
眠れるまで
真っ黒い眠りが、その間は私の今の意識と苦痛の感覚から救ってくれる

自由な、このわたしの中で、脳が勝手に記憶の中のもので遊んで、おもちゃ箱をひっくり返す赤ちゃんのよう
わたし、今はなんにも希望がないの
まず良くならないと、思ってることが問題なくできないから
予定では洗濯とエアコン掃除をします
他にもなるべくダニをなんとかしたいから、床の掃除とか、秋の服を見に行ったり
これらはみんな生活の上での義務と事務的なこと
わたしにとっては

わたしじゃない、めちゃくちゃな脳が、いっそおもちゃ箱をひっくり返してぐちゃぐちゃにしてくれたらいいのにね
それを見た私は呆れて、前後の始末のことを考えて疲れるだろうし、その私を誰かに見られても喜びはしないでしょう

眠っている時だけきっと大人しく生きてることが愛おしい天使でしょうね
わたしたち


知ってる?
わたし、月を見てる時のただそれだけの時が好き
人の中での言葉や態度、生きる上でのあれこれに疲れてる
私の人の中で働く脳を愛せない

無に返して

また会おうね
また別の私

呼吸して











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