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トップレベルのマラソン大会から学べるもの。

僕の教室やクリニックへ参加したことのある方や個別サポートを受けている方(受けたことのある方)はご存知かもしれませんが、僕はいかにもトップ選手が使うような言葉を使うことは言葉の意味がしっかりと伝わらないから嫌いです。

こんな感じで。

とは言うものの使いやすいことには違いないんだけど。

マラソン大会へ参加した多くの人が後半になると失速してしまって、その大会の反省点に「走り込み不足だった」と挙げていることに疑問を感じることがあります。

確かに、マラソン大会で目標としているタイムを出すためや目標としているペースを維持して走るために練習をしてきたことは十分に理解できますが。

でも、実際にその目標が達成できるだけの練習をしてきたのか、その練習ができていたとして目標が達成できるようにコンディションを整えることができたのかを考えたほうが良いように思います。

その2つも気になる点ではありますが、そもそも目標としているタイムがクリアできるほどだったのか目標としているペースが最後まで走り通せるペースだったのかということも考えたほうが良いかもしれません。

順を追って説明していこうと思いますが、多くの人が考える「走り込み不足」はトップクラスのマラソン大会から見えてくるものもあり、それも合わせて説明していこうと思うので、まずは下のツイートの説明からしていきます。

走り込みって…

これは「走り込み不足」と反省した人に多い傾向で、距離走(特に30km走9を増やそうとする人に考えてもらいたいことで、「後半(30km以降)に失速してしまったから」と考えてしまうのが一般的だけど、トップ選手のリザルトを調べてみても多くの選手が後半になるにつれて失速していることがわかります。

トップ選手は一般ランナーに比べて練習強度も練習量も多いので、一般ランナーよりも練習強度も練習量も多いトップ選手が失速しているので練習量を増やしたところで結果は目に見えています。
走り込んで失速を防ぐことができるなら一般ランナーより走り込んでいるトップクラスの選手達に起きるはずがありませんからね。
(何より練習量を増やしてきてその結果なのだから、同じ方法で対策をしようとしても練習量が増えるだけで…)

そういう意味では「後半の失速対策に距離走を!」という練習方法では解決策として適していないようにも考えられます。

このことから最初に挙げたツイートの「走り込み」「脚作り」「泥臭い練習」という言葉の意味をもう一度考え直す必要があるはずです。

なので、「走り込み」というのは練習強度的にも練習量的にも綿密に組み立てられたメニューを消化していく中で使われる言葉であって、1回の練習量(走る量)を増やすことだけが走り込みではなく、様々な要素が組み合わさってようやく使われる言葉です。

「脚作り」という言葉は、目標を達成するための綿密に組み立てられたメニューを積み重ねていくようなときに使われたり、その綿密に組み立てられたメニューを消化するためや消化していく段階で耐えられるような身体を作っていくことを表現するときに使われることがあります。

「泥臭い練習」も走り込みのように「距離をたくさん走ること」として使われることが多いようですが、我慢が必要な練習を指しているケースがほとんどなので使うタイミングは考えたほうが良いと思われます。

泥臭い練習(我慢が必要な練習)って…

一般ランナーの多くは「我慢=距離や時間」と考えることが多いようですが、我慢をしないといけないことは距離や時間だけに限らず、ペースに対しても我慢は必要です。

ペースとは言っても「自分が走ろうと思っているペース」だけではなく、余裕を持って走れる距離を余裕を持って走れるペースで走ることにも我慢は必要で、「余裕があるからペースを上げたいけど上げない」という我慢を積み重ねていくことで長距離で好記録を出すために大切なことが身に付きます。
(すぐに限界までペースを上げようとするから、我慢の意味が違ってくる。)

そうなると「ペースを抑えて走ること=我慢」ということは「ペースを上げて走ること=華々しさがある」と考えているようにも感じます。

また、あれやこれやと頻繁に練習メニューを目まぐるしく変えている人もいるようですが、いくつかの同じ練習を反復して練習をすることもまた泥臭い練習と表現されるので、「あの人、いつも同じ練習ばっかりしているよね」と思う人がいても実は泥臭く練習をしている可能性がありますよね。

こういった練習を繰り返していくうちに「脚作り」ができていくわけです。

なぜ失速するのか…

さて、それだけ練習を積み重ねていっているのにもかかわらず、どうして「マラソン大会の後半で失速してしまうのか」と向き合っていきましょう。

序盤にも書きましたが、「目標としているタイムがクリアできるほどだったのか」ということと「目標としているペースが最後まで走り通せるペースだったのか」ということを考えたことはありますか?

マラソン大会へ向けた練習の中で目標を達成するために「目標としているペース」で走る練習をしていると思いますが、「目標タイムをクリアできる!」という自信や「このペース(目標としているペース)なら最後まで走り切れる!」という自信を練習の中で掴むことができたのかということです。

ここからがポイントです。

「目標タイムをクリアできる!」という自信や「このペース(目標としているペース)なら最後まで走り切れる!」という自信がなかったのに、「どうして目標としているペースで走ろうと思ったのか」ということを考えてみましょう。

東京マラソンで大迫選手が自身の持つ日本記録を更新することができましたが、事前会見での「2時間05分49秒の設定記録をクリアできるか」という質問に対する大迫選手の言葉にはその自信が表れています。

気象条件やペースにもよるが、練習の感じから見ても不可能ではない。

こういう状態まで練習を積み重ねることができていたかをまずは考えるべきで、もし仮にこの状態まで練習を積み重ねることができていなかったのであれば「最後まで走り切れるペースは…」と考える必要があったのではないでしょうか。

日本記録を更新した大迫選手だけが参考になるわけではありません。

大迫選手以外のリザルト(例えば井上選手)を見ていくと、ある程度の距離までは良いペースで走れているのですが後半になると失速していて、後半の失速を最小限に抑えることができた選手ほど上位に位置しています。

今年の東京マラソンはMGCのファイナルチャレンジということもあり、積極的に勝負に出た選手は無謀というよりも後がないという意味では勇敢だったわけですが、オリンピックの代表選考ということを抜きに考えても「勝負をする世界の人達」と考えたら前半から勝負をかけないといけない状況です。
そのような中でも中間地点辺りで集団から離れた選手もいて、最後まで自分のペースを保って後半に盛り返してきた選手もいます。

勝負に徹して集団に食らいつくのか、タイム(自分のペース)にこだわって集団から離れるのか、どちらが一般ランナーが参考にするべきレース展開なのかは理解しやすいかと思います。

マラソン大会のペース設定は自分自身にとって妥当なペースなのでしょうか。

好記録を出すために大切なこと

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