風俗嬢に人生を救われた話(14)
<最低>
『正直ならいいってもんじゃねえんだ。わかるか?』
……?
『嘘吐きはな。優しいから、嘘を吐くんだよ。
相手の笑顔の裏で、自分が何倍も傷付くことを受け入れられるのが、本当の嘘吐きなんだ。
相手のために嘘を吐くか、自分のために嘘を重ねるかの違いだ。自分のために嘘を吐き続ける奴は、ただの自分勝手だ』
……、……
『そうだなぁ。勿論、嘘を吐くのは、本当は良くないことだ。嘘を吐かないでみんな幸せに暮らせるなら、それが1番だよ。誰も傷つかないで済むんだしな。
けど、◯◯に大事な人ができてな。自分か、相手かどちらかが傷付かないと、何かうまくいかんことが来たら、よく考えろ。よーーーく考えろ。
「正直は良いこと」を盾にして、自分だけ楽になろうとするんじゃねぇぞ?
相手のことを1番に考えて、後は……
言っちゃいけないことができたら、ちゃんとそのまま、墓までもっていけ』
……――。
その日も自分は、店に向かって歩いていた。それもJRの鶯谷からだ。
吉原の立地を知っている方なら、周辺駅から、少々距離が遠いことはご存知と思う。せめて何故、三ノ輪から向かわなかったのか? と思われるだろう。しかしこの日は長めに歩いて、思考を整理したかったのだ。
前述のそれは、叔父の言葉だ。
自分は彼のことが大好きで、よく懐いていた。尤も叔父は、親族の中では所謂「落ち着かない、困った兄ちゃん」な人だった。さながら、寅さんのようなものである。
一方で誰よりも、世界に対して広い視野をもっているように思えた。思春期だった自分に、彼の言葉は沢山の影響を与えた。
今はもうこの世にいない人が、20余年も前に説いて聞かせてくれたことの意味を、今更ながらに噛み締める。
パートナーに用事があり、Aさんが上京してくるタイミングに、自分の仕事もなし。
それで、来店の意思が固まった。
世間の基準で考えるなら、今の自分は“クズ”である。だが、腹は決まっていた。
”クズ”に落ちてでも、前向きに生きていくか。
”常識人”になろうと、世の中の道理に沿って生きるのか。
……答えは、1年前に出したはずではないか。(このnoteで言うところの(1)である)
常識にも、普通にも捉われるな、と。
あらゆる不安も抵抗感も、罪悪感も飲み込んで、今よりましな”クズ”を目指すことを決めたのだ。
少し話は逸れるが、自分の一族は学術・芸術肌だ。
何人かの大学教授や、文科省務めもいる。しかも総じて早婚で、せっせと相手を見つけては、立派に家庭を築いていく者ばかりだった。
そんな中で自分は言わずもがな、最もうだつの上がらない1人である。だからこそ職を転々としながら、この歳まで独り身でだらしなく生きてきた。
そのことで一切、周囲から咎められることが(関心も)なかったのは救いだったが、常に劣等感に苛まれて生きてきたのは確かである。
父親は厳格だった。風俗については、
「最も卑しい、馬鹿馬鹿しい場所だ。いやらしい男が、卑しく金を払って、女を買う。
女に一切相手をしてもらえない最低な男が、自分を慰めに行く場所だ」
と教わって育った。
自分の風俗に対する罪悪感の源泉は、”クズ”が自分の中で殊更、強く連呼されるのは、恐らくこの教えにあるのだろうと思う。
閑話休題。
結局、自分は父が軽蔑していた、「最低な男」に成り下がった。その上で、それを承知で、この日も店に向かって歩いていた。
どれだけ勇気を出し、声をかけても、
どれだけ身なりを整えても、
どれだけ仕事で成果を挙げても、
どれだけ何かを贈っても、
自分は女性から、まともに相手にされずに生きてきた。少なくとも今、三十路半ばに差し掛かるまではそうだ。
女性を口説くこと、気に入られるための術が、本当にわからないまま生きてきたからだ。
何人か、勘違いか気まぐれか、はたまた妥協かで付き合ってくれた人はいた。だが最後には、皆が離れていった。
極めつけが、一昨年の失敗だ。結婚を前提に交際していた相手から、三行半を突きつけられる。伊達に「最低な男」ではない。
更にある意味、それ以上に辛かったのが、昨年の風俗嬢相手のトラブルだ。
勘違いし、迷惑をかけた。綺麗に遊ぶことができず、大きな負担をかけた挙げ句、見限られて拒絶された。金を払うことで、自分を軽蔑する相手に、交接を強要していたに等しい。臓腑を抉られるような感触だった。
それでも、Aさんは自分を許そうとするだろう。
自分を励まし、慰めようとするだろう。
だが、当の本人はどうか。
自分自身はどうなのだ?
自分が自分を許すために、彼女の助力を得てでも、絡まった糸を解きほぐせるか。あるいは断ち切れるか。
正念場と言えた。
<告解>
「話したいこと?」
ほえ? という表情で、Aさんは首を傾げた。美人か可愛いかで言えば、間違いなく美人顔なのだが、時折こうした”隙”を作ることがある。それが計算したものか自然体なのかは、今もって聞きそびれたままだが。
その日の交接を終えた後、まだ時間は20分ほど残っていた。ソープの価格帯については以前話した通りだが、Aさんの店は1分辺り400円台と、なかなかの高額店舗に入る。
それでも、自分にとっては必要な時間だった。”致す”だけなら、もっと短い時間で事足りる。だが”伝える”ためには、どうしても必要な間だったのだ。
Aさんは自分の告解を、笑うでもなく、悲壮感を出す訳でもなく、ふんふんと話を聞いてくれた。その態度が意外のような気も、まさに然りという気もした。
機械的に聞き手の感情に同調し、浮いたり沈んだりするだけが「共感」ではない。特に相手が向き合うことに抵抗がある、自分自身を疎んだり悔いていたりするような場合には、このようにフラットに接してくれる方が、むしろありがたいものなのだ。
そんなことを感じたのを覚えている。
一連の話を終えた後、彼女はしばらく、う~~んと考え込んでいた。
緊張が走る。
とうとう、話してしまった。誰かに、伝えてしまったのだ。
自分がどんな形で断罪されても構わないと、その覚悟は出来ている。むしろ、”この人になら、罰せられても受け入れられる”で、自分はAさんを選んだ。
だが、目の前にいるのは、自分を何度も救ってきた相手でもある。言葉の重みは、時に致命傷になるだろう。
ぐっと身構えて、静かに審判を待つ。
しかし、返ってきたのは予想外の一言だった。
「期待が重かったのかもしれない、って思ったなぁ……その娘にとって」
……?
しばし、脳がフリーズする。開口一番、Aさんが言及したのは、自分ではなく、件の彼女のことであった。
「君はこんなにすごい、素晴らしいって、褒めてくれるのって嬉しいよねぇ。絶対◯◯さん、褒めてたろうし。私、褒めてくれるの大好きだからわかる。へへへ……
でも、本人の自信がつく前から、あんまりにも評価が膨らんでいっちゃうと、期待をかけられすぎちゃうと、重くて疲れちゃうことってあるんだよ?」
…………。
「特に自分に自信がもてない人とかね、自分が後ろめたいことを抱えている人って、自分に対する褒め言葉を、素直に受け入れられなかったりするのねぇ。
自分がやって手応えとかぁ、自信がないことを褒めてもらっても、響かなかったりするの」
!! それはまさに、自分自身がこれまでの人生で感じてきたものだ。生き辛さの理由の一端だ。
Aさんが続ける。
「その子も、重かったのかもしれないよ。でも、◯◯さんが本気だったのは、きっと伝わってたはず。わかってたと思うなぁ、だっていつも真剣だもの。情熱的だもの。
でも、だからしんどくなっちゃったのかも。かえって……辛いよね。
『そんな風に私を見ないで』って。良く見られるのが、辛くなっちゃうこともあるんだよ。
◯◯さんの方も、それはすごく、すごく辛かったと思う。絶対苦しい。
トラウマみたいになっちゃってたんだと思う。それが、伝わってきたから」
――ブンブンと音を立てて、頭が回転しているのがわかる。
Aさんが立てた仮説の説得力も、自身の行動の振り返りも、件の彼女のキャラクター・言動についての分析も。ものすごい勢いで、情報の裏付けが成されていく。
自分は確かに、4月に出会って以降、彼女を褒めた。褒め続けていた。
あらゆる情報を肯定的に捉えては、少しでもこちらが気付いた相手の魅力を伝えたくて、徹頭徹尾褒め倒した。全て本心だった。
彼女の生き方、性質、容姿、趣味、サービス……全てに感謝し、愛情や敬意を抱いていた。
事実、自分にとってそれだけ魅力的な相手だったのだ。
だが、……彼女自身の、「風俗嬢としての自分」に対する評価はどうか?
彼女の言葉を思い出す。
『体調は……そうですね。時々、崩れちゃいます。
……わかってるんです。ソープで働くことの、この仕事に対する抵抗感が強いんですね。心は嫌って言ってるのに、体は、やらなくちゃいけないのが、苦しいんです』
『◯◯さんはいつも褒めてくれた。他のお客様もです。ソープ嬢としての私を、みんな褒めてくれました。けど、どれだけ私をよく言ってくれるお客様がいても、それも一時だけです。みんながみんな、去っていくんです。言葉通りにずっと来てくれる人なんかいない! 他にもっといい娘を見つけて、そっちに行くんです……!!』
『私は働くしかないんですよ……続けるしかないんですよ、ソープ嬢を。
そうです、お金のためです。どんなに嫌なことがあっても、心や体が辛くても、やっていくしかないんです!』
――合点がいった気がした。
同じだったのではないか。
自分と彼女は、同じジレンマを抱えた生き物だったのではないか。
自分に自信がもてない。だから、褒めてくれることが嬉しくても、全てを素直に受け入れることができない。その”受け入れられない”こと自体に対して、また新たなコンプレックスも抱える。
生きることに対する、後ろめたさがある。やってきたことに対する、罪悪感がある。
近付きたい。人のぬくもり無しに生きられるほど、強くない。
離れたい。こんな自分が誰かと触れ合ったり、誰かに幸せにしてもらったりする権利などない。
自分自身で、独力で、幸せを掴まねばならない。
自分”達”は、そんな生き物だ――
……全ては、憶測の域を出ない話だ。確認することも、もう一生叶わない。
しかし、自分自身が納得するには、充分な結論だった。
同族嫌悪。
彼女と自分は錯覚ではなく、確かにどこかで共鳴し合っていた。その分、反発も大きくなった。
理由の一端が、ようやくわかったような気がした。
彼女を傷付けた罪は消えない。拒絶された事実は変わらない。直に謝ることも、もう叶わない。
……だが。
全てが霧の中に隠れたまま、一生、正体不明の罪悪感を抱えて生きていく。
そんな罰からは、解放された気がした。
残り時間が、5分少々あった。
Aさんに一つ、頼み事をした。
「ん~? いいよぉ、おいでおいで。甘やかすから。笑
えへへー!」
……その柔らかな膝を借りて、泣いた。
涙がドレスにかからないよう、手を自分の目を覆いながら、更に涙を出さないよう、無言で蹲っていた。
Aさんはただ、優しくポンポンと頭に触れたり、撫ででくれたりした。
自分が膝を借り、蹲っている間中、
「大丈夫だよぉ。辛かったんだね……抱え込みすぎちゃったんだねぇ……」
そんなことを言いながら、部屋のフロントから合図の電話が鳴った後も、決してAさんからは自分を起こそうとせず、ただただ側にいてくれた。
「素直になっていいんだよ。◯◯さんは、本当にいい人。本当だからね?
お客さんでも、そうでなくても、大切な人はいるんだよ。
だから……元気出して。
話してくれて、ありがとう」
――癒やされていた。救われていた。
幸せだった。
Aさんと一緒になりたいだとか、付き合ってほしいだとか、そういう感情は微塵もない。パートナーを愛しいと思う感情とは、全く別の何かだ。
感謝。
圧倒的な感謝。
少しでもいい。Aさんに何か、恩返しがしたいと思った。
幸せになってほしいと、純粋に願っていた。偽善だろうと欺瞞と言われようと譲れないほどに、強固に祈るようになっていた。
そのためには、最高の客と嬢であるためには、できることはシンプルだ。
店に来て、ルールを守って遊び、金を落とすこと。自分に無理ない範囲で、プライベートを崩さないことを前提条件として、だ。
せめて、パートナーとこの先どうするか、結論が出るまでの残りの時間だけでもいい。
この温もりに触れるために、もう少しだけ、”クズ”を続けよう。そう思った。
<続>
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