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生涯④

これが最後になります。
風〇店の店長になり、年収も1000万超えてこの年齢でも到達できるんだと、ブランド物買ったり、仮想通貨始めたりとなんとなく自分の中で人生の一区切りがついた。
結局、店長になって1年経つ前に辞めることに、他の風〇グループで店長候補のトライアルに応募して合格。
しかし、3か月ほどで辞めることに。
その理由に、以前働いていたお店の女の子からLINEがきた。(風紀ではありません)
内容が「銀座でクラブを経営したいんだけど、手伝って欲しいです」といったことが書かれていた。
それはスタッフとしてなのか?問うと、代表になってほしいと言われた。
もう、この頃の自分はあんまり環境を変えたくない気持ちが強かったが、お願いされた以上は出来るところまで頑張ろうと決意。

銀座という場所は立地的にも特殊だ(六本木とはまた違う雰囲気)
富裕層や経営者、有名人などが遊ばれに来る。
それだけに、新規参入には挨拶回りからといった今までの雇われ店長とは全く違う業務でてんやわんやの日々だったが、無事に連絡をもらってから約2か月ほどでオープン出来た。(土地代等はすでにママが済ませていた)

過去の栄光(笑)

集客や求人にSNS更新、資金繰り、面接やお客様との連絡のやり取り等、とにかく多忙で睡眠時間も3時間ほどくらいで店休の土日も連絡のやり取りやお客様とお出かけ(ご機嫌取り)などといった感じが続き、この頃から「あー、しんどい、死にたい」と思うようになっていった。
ある程度、お店の流れが完成した時に辞めることにした。(25歳)

約半年くらいはテキトーに貯金を崩しながら、ウーバーイーツの配達で生活していた。(毎日のようにODとストゼロ)
そして、25歳の秋くらいにメジコンODをして、夢と現実の境目が分からなくなり、飛び降り。(運よく?骨折と顔にケロイドが残る程度で済んだ)
さらに、そこから数か月後にホテルのドアノブに首吊りをするも、ドアノブが異常を感知して、ホテルのスタッフに救出された。
また死ねなかったとただ茫然とする日々。
死ぬ行為にはものすごいエネルギーを使う、まずは恐怖に打ち勝つためにODと酒、そのまま意識を保ったまま行動しないとシラフではとてもじゃないが、自分には出来ない。

この年のクリスマスに彼女が出来た。
でも、彼女は去年に先に飛び立っていた。
あの日から自分自身が完全に壊れてしまった。
今でも写真を見返すと後悔と自責の念に襲われる。もっと早くに異変に気付いていたらとか、ラボナ処方されていたのも知っていたから、止めることが出来ていればとか。
そして今年の8月に衝動的になって自殺未遂を起こす。(この日の記憶が曖昧だがラボナやベンゾ系数種類にクロルプロマジン等をOD)
ICUからHCUから精神病院といった流れで気づけば9月になっていた、そして
後遺症として、恐らくだが脳内にダメージが残り、歩行困難な状態(後ろに転倒しやすい)なって今に至る。

ここにアルコールを加えていたら自分も終われたかもしれないと…

恐らくだがまた自分は過ちを犯してしまうだろう。
処方薬が残っているからという理由と、こんな状態になってまで生きていきたくないからだ。

だからこそ、今残せる言葉を書き綴っている。
いつの日も探してるよね、目に見えない幸せを。

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