見出し画像

傷つきやすさとは

あなたが中学生の頃、膝が痛い、足が痛い!と成長痛をよく訴えていたね。入学したての頃は母より身長が小さかったあなたが中学の間にすっかり母を追い越してしまったのだから、身体は痛みを感じるほど急成長したということね。

心が成長する際にも同じような成長痛があるもの。『痛みなくして成長なし』なのだけど渦中はそんなこと思えない。わかる。それに感じる必要がない痛みを感じてしまうこともあるし、傷ついていることがダメなことのように感じることもあるよね。傷を負っている自分は手当される必要があるのに、恥ずかしいことのように感じて傷ついてないように振る舞ってしまう。

傷ついたことに対する学びを深めることは課題なのだと思う。
傷つかずに生きていくことなんてできないから。

「傷つく」ことにはさまざまな捉え方があるよね。
例えば、傷つきやすさは純粋さや繊細さと比例するだろうし、例えば期待が大きすぎると現実に傷つくよね。若い頃はとんとん拍子にうまくいくことを想定しがちだから、現実の壁にショックを受けることもあると思う。自分の力の無さを見せつけられて傷ついている場合には受け入れるしかない。自分の力はこの程度なんだと心得る。力があるかないかはあなたがダメかどうかの評価基準ではない。ダメな結果だったからといってあなたの価値を下げるものじゃない。ダメだとわかってどうするかが価値になる。だから、しっかり落ち込んだら自分が期待していたことをどう叶えていくのかを再計画すればいいこと。

誹謗中傷に傷つくこともあるよね。
正しさという凶器を使って攻撃してくる人が世の中にはいるから、同じ傷つきでも切り捨てていいものだと母は思っている。ましてや、名前も名乗らず自分は安全な場所に居て、攻撃してくるなんて卑怯極まりない。こういう人は批判者ね。あっ!以前、『加害者、被害者、批判者』という役割をやってしまう危険性、その中の被害者について話をしたよね。アレ!

批判者はどこにでも居るもの。光が強くなれば影は濃くなるし、強い光を望むなら濃い影を覚悟する必要もある。そういう時は自分の覚悟を問われているし、何かを得るには何かを捨てることが絶対なの。アレもコレも同時にとはいかない。だからね、本当に欲しい光があれば覚悟を持って望んでいくことが必要で、その時には理解者というか、ひとりでもいいから仲間が要るのよ。理解してくれる人がいると支えになる。母はいつでもあなたたちの理解者でいたいと思っているけど、子どものあなたたちは親に心配をかけたくないと思うものだから、任命されそうにないわね。だったら、友人でも師匠でも、考える力がある人を選んで相談してほしい。ただ、忘れないでね。歳取ったって、身体が動かなくなったって、母はいつだってその役割を任命される準備を整えているから。

批判者は基本、実践者じゃないのよ。やっている人じゃなく、やってない人が批判をしてくる。やったことがある人、やっている人はその苦労もわかるから易々と批判することはない。実践者が言う時は注意というか、指導の要素が大きく、単なる批判とは違うはず。

じゃぁ、被害者、加害者、批判者のどの役割がいいの?と思うかもしれない。それはね、どこにも属さずにあなたの中心に居ることなの。あなたたちの年齢なら中心に居る時間を長くしていくイメージで。誰に何を言われてもやりたいものはやりたいといった夢中になるものを見つけることも大切だし、必要な意見には耳を傾けることも、不必要な意見は無視することも大切で、今、そのどれを選ぶかはあなたが決めるの。


『踊る阿呆に見る阿呆、どうせ阿呆なら踊らにゃ損そん』って言うじゃない。母はせめて『踊る阿呆』という実践している人でいたいなぁと思ってきた。年齢がだんだんとそれを許さなくなるなら、踊る阿呆を応援する『見る阿呆』になりたいな。

批判したくなる時には、相手を羨んでいたり、自分はやらないと決めていたことを誰かがやっている時なの。だから、自分もやればいいのよ。やりたい気持ちを抑える必要はない。向かってみたらいい。実践者側に入るのよ。それができないとなれば潔く諦めるしかない。できないし、諦めることも嫌だとなったら、対象から遠ざかることね。いっとき距離を置いてみる。人は時間が経つほどに本質を理解するものだから。
それに、私たちが見ている相手はその人のほんの一部でしかないのよ。同じ立場になって考えてみたり、そういった発言をせざる得ない状況や隠さなければならない大切なものを抱えている場合だってあるかもしれないといった想像力も大事ね。まっ、それも実践した人にしかわからないのかもしれないけど。
正しく生きたいと誰もが願っている。けど、自分が正しく生きているってどれほどの人が堂々と言えるのか母にはわからない。求めている正しさが間違っていないとは誰も言い切れないんじゃないのかな。例え、そう思っていても間違ってしまうこともあるものだから。

あっ!傷つきやすさについての記事があるから読んでみて。

〜「傷つきやすさ」という才能〜
漫才師であり映画監督でもあるビートたけしが、
サッカー選手の中田英寿との対談で、次のように語っています。
《中田さんも同じタイプだとうけど、おれが芸事に自信があるのは、自分が人一倍傷つきやすいし、人一倍神経が繊細だからなんだよ。傷つきやすいというのは、漫才だと相手のことがよくわかるっていうことなんだね。サッカーなら、試合の形勢が全部読めるってことかもしれない。》
この言葉を読んで、励まされる人々が多いのではないでしょうか。
我々は、誰もが、傷つきやすい魂を持ち、
いつも、深く傷ついているからです。
しかし、その傷つきやすい魂が、ときに、
ひとつの才能へと昇華するこことがある。
この言葉は、そのことを教えてくれるからです。
 〜2002年3月28日田坂広志〜