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広く浅い繋がりも大切にする~「弱い紐帯の強み」~

「ヒトはなぜ『人』の『間』と書いて、『人間』と呼ぶのか。それは一人では生きていくことはできず、人と人とが支えあってはじめて生きることができる生物だからだ。」

これは、私が学生時代にお世話になった先生のことばです。

社会人になって、その言葉の意味を痛感することばかりです。

もともと性格的には人見知りの方で、人間関係の構築にあまり積極的ではない私でしたが、今は「人との繋がり」を大切にし、積極的にいろいろな方と交流をするようにしています。

ここでいう「繋がり」とは、家族や友人などの強い結びつきのものだけでなく、特に、広く浅い結びつきで繋がっている存在がいることが人生においてとても重要なことだと感じています。


私は社会人になりたてのころメンタル不調に悩まされました。

このままではまずいとスポーツを始めようと決意し、学生時代に取り組んでいたテニスを再開します。

テニスは相手と場所がいないとできませんので、テニス専用のコミュニティサイトに登録し、時間や場所で条件のあう練習会やゲーム会に参加し始めました。

毎回、初めましての老若男女と顔を合わせるわけですが、そのときに生じたコミュニケーションが私のメンタル不調を救ってくれたのです。

どこから来たの?・・・ああ昔、隣町に住んでいたよ
仕事は何しているの?・・・その業界は大変だね・・・

交わす会話はその程度ですが、会社の同僚や、家族や友人ぐらいしか交流のなかった当時の私にとって、さまざまな境遇のいろいろな年代の人とのほんの少しの触れ合いはとても刺激的でした。

またその場限りの気楽さが、フラットに交流を楽しませてくれ、いつの間にか心がリフレッシュしていくことになります。(もちろん体を動かすことの効果もあったと思いますが、私はそれ以上に共通の趣味を持つ人同士のささやかな交流に癒されていたと思います)


そういった繋がりからテニスをするためだけの仲間ができ、その仲間の紹介で別の仲間ができ、年に何回か食事をするぐらいにまで至った人もいます。

また、そういった人たちからの情報で家族のことや仕事のことを捉え直すきっかけにもなり、特に仕事においては自分がいる業界以外のことを知ることが多くなって視野が拡大しました。

その場限りの関係、テニスだけの関係が私のメンタルを救っただけでなく、色々な情報や考え方に触れる機会が生まれ、自分の人生設計にも大きく影響を与えました。

それでも今はテニスをする機会は減り、当時交流のあったほとんどの人とはほぼ連絡を取っていません

これが重要なポイントだと思っています。
無理に繋がりを維持し続ける必要もない。もちろん、お互い久々に連絡を取り合うことはありますが、「まだテニスやっている~?」「人が足りないから来られる~?」程度です。

ずっと同じ人や限られた人とだけ繋がっていると、相手が自分のことを理解してくれるからこそ考え方が凝り固まってしまうことがあります。また全力で自分に味方してくれることはとてもありがたいことなのに、それでは状況が一向に解決しないことも多くあります。

一方、普段から接していない、特定のテーマでしか交流のない仲間(たとえば共通の趣味や推しのオフ会仲間やビジネススクールでの講座仲間など)との交流では、いい意味で自分の状況を相手が深く理解していないからこそ新鮮な意見をくれる場合があります。それだけでなく、自分と関わりのない世界の情報を与えてくれるのです


さて、現在の私は、

●時々やるテニス仲間
●キャリアコンサルタント仲間
●同じ会社で今は別部署の同僚
●前職で一緒のチームだったメンバーやお世話になった先輩


が代表的な広く浅い関係です。
(「浅い」と言っても、中にはお互いのプライベートを理解している方もいますが、友人と呼ぶほど会うとき以外に連絡を取ることはなく、あくまでお互いが深く干渉しない程度です)
そして、上から順に、

●テニスコートベンチでの会話
●2~3ヵ月に一度の頻度でオンライン上で行うキャリアコンサルタント仲間同士の情報交換(参加メンバーも気まぐれ)
●たまに誘いあうレベルの元同僚との飲みにケーション(死語)
●前職仲間で1年に一度実施するかしないか程度の近況報告会

でいろいろな刺激や励まし、時に有益な情報を得て、人生に彩りを与えてもらっています。


もしかすると、たまたま学生時代に取り組んでいたスポーツがあったために、私は運がよかっただけかもしれません。

しかし、きっかけはなんでも良いので主体的にそのような繋がりを大切にしようとすることが大事であると学びました。

また、ささやかな交流のみの繋がりであっても、そこで得られる情報は、ときに凝り固まっていた自分の思考をほぐし、抱いていた不安事は単眼的な考えによって生まれていることに気づかせてくれました。

とはいえ、メンタル不調に陥ったり、何かにどっと疲れてしまうと人付き合いが億劫になることがあります。もちろん一時的に交流を遮断することも必要なときはありますが、それを継続しないことが重要だと考えています。

とにかく人となんらかの形で繋がっておくこと、そして、その繋がりを生むために自分の居場所をいろいろなテーマで作っておくことが大事であると思います。

2024年も、まずは身近な存在を大切に、その上で、広く浅い繋がりもまた同じように大切にしていきたいと思います。

最後までお読みくださりありがとうございました。

<余談>
こちらの記事のトップ画像にある「the strength of weak ties」とは、”弱い紐帯の強み”と訳され、社会学者マーク・S・グラノヴェッター(Mark S. Granovetter)の論文のタイトルでもあります。

▼弱い紐帯の強み
グラノヴェッターによれば、新規性の高い価値ある情報は、自分の家族や親友、職場の仲間といった社会的つながりが強い人々(強い紐帯)よりも、知り合いの知り合い、ちょっとした知り合いなど社会的つながりが弱い人々(弱い紐帯)からもたらされる可能性が高いといいます。

「弱い紐帯の強み」日本の人事部
https://jinjibu.jp/keyword/detl/599/




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