見出し画像

梨を口にほおばった子どもが、それを呑み込まずに吐き出せと言われた時の気持ちを想像してみる。

サクッという音と共に、果汁が口の中いっぱいに広がる。

「よく噛みなさい」と言われ何度も噛まないうちに、砕けた梨の実は舌の動きに伴って喉の方へ移動していく。

そこへ母親が口元に手のひらを添えて「出せ」という。「消化が悪いからおなかを壊す。呑み込んではならない」と。

おなかの空いた子どもにとって、それはもはや拷問に近い。今しも嚥下しようとした甘い梨の実を、必死に喉の奥から絞り出して母親の手に吐き出す。それを見て母親は「量が少ない。呑み込んだだろう。おなかを壊したらどうするのか」と声を荒げて子どもを叩く。

そして母親はまた、子どもに口を開けさせて一切れの梨を放り込み、その口元に自分の手の平を皿にして押し付けて、子どもが梨を噛む様子をじっと見つめる。

母は子どもの頃の私に、よく自分の母親の記憶を恨みを込めて話して聞かせた。毎日のように訳もわからず叩かれ、パニックになり失禁してはまた叩かれた話。参観日に、手を上げたのに当てられなかったのは声が小さいからだと言って、耳を引っ張られ校庭を引きずられて帰る惨めな姿を、教室の窓から同級生たちに囃された話。教科書以外の本を読んでいるのが見つかると、取り上げられて破り捨てられた話。手や足に残るアザを他人から見られるのが恥ずかしくてたまらなかった話。中学生になると、親戚が経営する「キャバレー 白鳥」で働かされた話…。

しかしふとした時に繰り返し私の頭に蘇るのが、梨の話なのは何故だろう。子どもの私にも容易に想像できる梨の味や香りのイメージが、脳に強烈に刻まれたからだろうか。吐き出す時の口惜しさが身につまされたからだろうか。

同じ話を、祖母からも聞かされた。

面白いことに、祖母が話すとそれはたちまち母が子を想う話と化す。おなかを壊さなかったのは、私が細やかに気配りをしたからだ。そのありがたみをあの娘は分かっていない―。

これは ’私は子どもの為に気配りできる母親' という自己満足でしかない。梨が子どものおなかに悪いと思うなら、最初から食べさせなければいい。しかし祖母は、「あれは人の気持ちが分からない」と言い捨てるのだった。

そして母もまた、「私はおばあちゃんの様にはあんた達にしない。教科書以外の本をいくらでも読んでいいし、勉強もしていい。おばあちゃんは私が大人になっても私のことを叩いたけれど、私があんたたちを叩くのは子どものうちだけだ」と言った。

子どもの私はそれを聞いて「私は恵まれている」と思った。

前の話 ■優しい軍人

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?