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可愛くなりたい(個人的に結構読んで欲しい)

 可愛さって重要だよね、と私は思うのです。




 言い方を変えれば可愛げ?になるのかな。社会生活を円滑に進めるにはかなり重要だと思う。僕は結構歳の離れた年上の方からしたら可愛げがある?(真面目で素晴らしいと褒められがち)と思うのだが、近い年齢の年上、同じ年齢の人からしたらあまり可愛げがないのかなと思う。





 うーーーーーーーーーーーーーーん。





 どうしよう。かわいいお洋服でも着たらいいのかな。ただ、それはギャップによって生まれる「瞬間的」な可愛さなのであって、私が求めているのは常に可愛がられる「恒常的」な可愛さなのです。


 ただ普通にかわいい服は着てみたい、ってかそれが似合う存在に擬似的にでもいいからなってみたいわ。普通にチャレンジしてみるのありやな。有志のみなさん、僕を瞬間的に可愛くするのに協力してください。


 どうしようかな、正直な話自分の性質として、自分を高めたい、高まっていたい、要するにプライドが高い、というのがあるのでその欲求は「可愛くなりたい」に相反してると思った。難しいね。少し嫌な言い方になるけど、プライドが低い=可愛げがある なんだろうと思った。そうなってくると話は難しくなってくるぞ、自分を削って可愛さを取るか否か。




 あんま考えずにこのタイトルつけたけど割と本質的な話になってきている。社会性をとるか、自分をとるか。




 この前の気づきから得られる結果として、俺は可愛くならないほうがいいのかもしれない、なんなら可愛い人が嫌いなのかもしれない。


 じゃあどうするか、俺は瞬間的可愛さをたまに手に入れて満足するのが一番!

 という結論に至りました。割と充実した記事になってよかったです。







 ちょっと文量が少ないのでもう少し話そうか。

 24日に おいしゃさん の いる ところ に いって おくすり を もらい に行くのですが、毎回送り迎えをしてくれる友人がいて、自分は恵まれているな、と深く実感しています。


 前の記事でも言ったように基本的に僕は他人が嫌いだから、僕にいいようにしてくれる人を嫌いになれる要素を探す癖がついてしまっている。というのも、自分は信用できる人の少ない環境で育った。少なくとも自分はそう実感してしまっている。そのため人を疑う癖がついている。良くいえば(?)批判的な目を持っているんだろうけど。なので、僕に優しくしてくれる人にその眼差しを向けてしまう。そんな自分を客観視したときの虚しさたるや…本当に申し訳ない。




 そんなことを考えていたら、自分の思索の中でよく出てくる「道具」というワードがチラつく。記事の中でこの言葉を出すのは初めてなので説明すると、僕は少しひねくれているので、人に「道具として使われてるなー」と思ってしまうときがある。

 例えば、少し極端な例だが、友達と遊んでいるときに、俺はもっと遊んでたいのにお開きになる流れになったとき、波長の違いを感じて「俺は彼らに遊ぶ道具に使われたな」と思ってしまう。かなり悪い癖である。 

 そのことについてこの前意識の変換があって、俺は他人を「道具として使っている」と思い込むことで楽になれるのではないかと思うようになった。これも一見嫌なやつに見えるが、みんなも割と自然とこれをしていると思う。それに今まで気づけなかったのは割とウィークポイントだと思う。しかしそれを継続するのにもまだ慣れていなくて摩擦が生まれて自分がすり減ってしまう。なので他人と距離をおくか、その思考で他人と向き合うかの二択で生活することにする。




 話が戻るが、その友人に対してはどうすればいいのか、ずっと悩んでいる。その友人に限らず、僕に優しくしてくれる人に対しても言える。結論として、僕は他人と距離をとっているモードと人を道具としてみるモードの中間で接することが正解だと思った。この場合「道具として使う」という言い方がとてもひどい言い方に聞こえるが、そこはうまいこと解釈していただけると嬉しい。心から感謝している、ということは伝えたい。その子は部活の同期なのだが、他の同期も僕のことに理解を示してくれているようで、非常にありがたい。






 とはいいつつ、僕は他人が苦手であるという事実は消えない。それが本当に虚しくて虚しくてたまらない。どんなに優しくしてくれる人に対しても、数ミリのズレでさえストレスを感じてしまう(その時の精神状態によるが)。自分と100パーセント合致する人がいないことなんてとっくのとうにわかっているのに。



いやーむずかしいっすね。



 多分みんなストレスを感じることは同じなんだろうけど、その度合いが俺は違うんだと思う。みんなは多分、人と遊んでいるとき、
(人と遊ぶ楽しさ)>(人といることへのストレス)になることがほとんどだと思うが(よっぽど嫌いな人がいない限りは)、僕はその不等式が逆になることが往々にしてある。俺と親しい人はそれがよくわかると思う。


 ごめんね。


 としかいえない。19年かけて培ってしまったこの癖、俺の自我はなかなか崩せない。




 社会性の欠如〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!




 こんなこと嘆いていたって仕方ないのだが、一対一でこう言った悩みを人に告げるとかなり重いのでこう言った不特定多数に向けて発信するのがいいなと思ってこの話題を持ってきたのだが、すこし盛り上がりすぎてしまった。


 





ここまで読んでくれた皆さん、あなたはとっても優しい人です、自信を持ってください。それでは、さようなら。






追伸 今からお風呂に入ります



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