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自己紹介など

かなりいろいろな事をやってきた挙句、三十代終わり(2021年7月現在)の今はポーランドのCD PROJEKT REDという会社で背景を作っています。

結構この業界、異業種や歳を重ねてから飛び込む方も多い印象なので、こういう感じで業界の仕事のとっかかりも得られる、転職も結構大胆にできる、というご参考や励みになればと書いていきます。

学生時代

いかに今の仕事と関係の無いことをやっていたかについて。

京都大学文学部 西洋史専修卒 16世紀ポルトガルがインド洋に進出した時の現地交易ルートへのインパクトとかオスマン帝国とかそんなことを卒論に。まじめな学生ではなかったこともあり、かなり忘却の彼方。

このころ友人宅でFF11を見て、世界をまるまる創造するゲーム背景って仕事はすごいなとぼんやり感銘を受けました。

同大学大学院に進む際、実際にインド洋に行って調査したくなり、そして様々な建築様式が好きだったこともあり、タンザニアのザンジバルドアと呼ばれる伝統的な木彫ドアとその様式の製作年代による変化を現地調査。計6か月東アフリカで過ごす。工房に弟子入りして一緒に作業しながらなかなか面白い日々。

頑張って上記様式の変化を定量的に統計処理して査読付き投稿論文も書きました。

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アフリカの安宿のベッドで横になっているとき、ゲーム背景こそ自分の興味を一番生かせる仕事ではないか!?と唐突に閃いた。その時の強烈な印象は今でも忘れないです。けど実際職を探して行動に移すのはさらに数年後のことに。

洋画

絵は子供のころから好きで、大学時代からは油絵も本格的にやってました。まあ、ゲームの仕事に比重を移したり海外移住したことなどもあり、あまり継続的に活動できなかったので(辞めたつもりでもないものの)大っぴらに言うのもなんとなく恥ずかしいのですが、一応この頃ご縁があり画商さんにも扱っていただき、各地百貨店画廊にて展覧会など。

訪れた東アフリカ、モロッコ、インド、南スペインなどの旧市街や現地で手に入れたアンティーク調モチーフの静物画などをよくテーマに描いていました。

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日本でゲーム業界に

アフリカでの脈略を無視した閃きから数年、やはり大学院での研究や洋画よりゲームCGに比重を移したいという気持ちが強くなってきます。

油絵作品でポートフォリオを作って応募したところ、いろいろあって株式会社アルヴィオンという大阪の会社に拾っていただきました。このとき27歳。

一応その前にCGクリエイター検定デジタル映像部門2級とかいうのを取ったので最低限のCG知識はあったものの、ゲームがどう作られるかなんて全くわからない中、社のオリジナル作品プロジェクトに配属。

始めにコンセプトアート的なものを描き、次第に3D(Maya)も苦労しながらやることになり、知識も経験も十分無いことをいきなりやるのがこれほど大変なのかと思いつつ、マリシアスというゲームが何とか完成。

後から思い返すとなんか美化されて楽しかったな。情熱もだいぶ注いだ。

人数が多くなかったので、2D,3Dモデリングからライティングまで、背景ジェネラリストと言えるまで教えてもらい一通り経験させてもらったのも良かったです。

会社で同僚が初代アサシンクリードを遊んでいて、旅行に行ったモロッコのような中世アラブの街並みが丸々再現されているのに感動し、こんなことが最新のゲームではできるのかとほれ込み、そのうち自分もオープンワールドゲーム背景を作れるようになりたいと情熱を燃やす。

そして日本に居続けては関わるのも難しそうだなという予感も日々強まってきます。

2k Czechスタジオ@プラハへ

具体的にどうやって海外就職を成し遂げたかは別記事もあるし、

その他にも書いて行く予定なので省きます。

30歳にして、建築が素晴らしい欧州の古都プラハにある、とても好みな雰囲気のMafiaシリーズを作っていた2kチェコスタジオに海外就職。

やはり初めて日本から海外に出るのは一番のハードルなので、自分を雇う決断をしてくれたアートディレクターには感謝。

オープンワールドゲームをずっと作ってきたスタジオなのでいろいろ先人からノウハウを吸収しつつ楽しすぎて一年強があっという間に。

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Hangar 13@カリフォルニア・ベイエリア

Hangar13は2kのスタジオ名。本社の方針により、チェコのスタッフを一部アメリカに集めることになり社内転勤の形でアメリカへ。2014年です。

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ここで上司に引き立ててもらい街を作るチームの背景リードに。

ニューオリンズをモデルにしたオープンワールドゲームMafia3を完成させます。

カリフォルニアは気候もいいし、刺激になる大きな仕事をしている同僚や日本人の方々にも多く出会えたのはよかったのですが、

歴史的な町並みとか車を使わずに街のいろんな場所にふらっと行けるライフスタイルが懐かしくてヨーロッパに戻りたいななどとプロジェクトが終わると思い始めます。

CD PROJEKT REDへ

そういえばサイバーパンクというめちゃ印象的なオープンワールドゲームのトレイラーを出している謎の良スタジオがポーランドにあったじゃんと思い出す。

というわけで2017年からポーランドに移ります。

最初はシニアで採用されたのですが、マフィアシリーズでオープンワールド背景を仕上げた経験を買われて最終的には街を作るチームのコーディネーターという取りまとめ役になり、パイプラインの設計やタスク管理をかなり任せてもらえました。

博士課程時代で学んだこと、何も関係していないと思いつつ一つだけ役立ってました。論文で統計処理、データサイエンス的なこともやったので、オープンワールドのような大量のデータを扱うプロジェクトではエクセルを分析してどういうパイプラインやアセット制作が最適かを導き方針を立てるのに役立ちます。まあ何が将来繋がってくるかわからないということで。

個人開発@UE4

本業のほかに畳部屋名義でUE4を使ってゲーム個人開発やってます。

なかなか一人で全てこなそうとすると至らない部分もありますが、引き続き精進して活動していきます。

NOSTALGIC TRAINは文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品に選出いただきました。

質問など

ツイッターで答えてほしい質問、こちらで記事にしてほしい内容等あれば匿名マシュマロ投げられます。

直接TwitterDMいただいてももちろんOKです。

駆け足でしたが、少しでも、自分がどうやって業界に入ったらよいかわからないとか、転職の悩みとか抱えてらっしゃる方へ、一例としてご参考になれば幸いです。


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