「猫の日にうまれた犬のりら」
犬が大好きだった。犬に出会える場所はペットショップだけだと思っていた頃、休みの日になると必ずペットショップ巡りをしていた。なぜあのペットショップに行こうと思ったのか、なんという名前のペットショップだったのか、誰も何も覚えていない。幻のペットショップだったのかもしれないと今でも本気で思うくらい。だけど、りらと出会えた場所だということは、はっきりと覚えているし現実だった。
2022年3月30日、りらは亡くなった。15才のお祝いをした約一ヶ月後のことだった。18時過ぎに母からメールがあり、それを知った。なんで、なんで、と泣け叫びながら会いに行く準備をした。と言っても準備は簡単で、同居するカルダモンとお財布と携帯だけを持ってすぐに家を飛び出した。東北新幹線が途切れていることはちゃんとわかっていたけど、東京駅に行きさえすればなんとかなると思っていた。なんにもならなかった。とにかく今日中に帰りたくてどうすればいいかわからなくて、唯一身内で都内に住んでいる義兄に電話をした。家を飛び出してからずっと泣き続けていたけど、義兄の声を聞いて更に涙が多く溢れた。
りらはなぜか義兄に懐いていた。数回しか会ったことがなくても、どれだけ会わない時間が長くても、ちゃんと覚えていて抱っこをせがんだ。しっぽをぶんぶん振って、姉よりも義兄へと向かう。そんなりらの訃報を、文脈がめちゃくちゃで涙声でよく聞き取れない状況の中、知らせることになった。義兄は言葉を詰まらせた。その理由にはふたつあって、りらが亡くなった衝撃と、電話越しの私が泣き喚きながら「どうしても今日中に帰りたい」と言っているからだったと思う。東京駅のど真ん中で、大勢人が行き交う中で、私は泣き喚き続けていた。
結局、今日はどうにも帰れないことを受け入れた私は、カルダモンと一緒に家へ戻ることにした。家に帰って、食器を洗ってシャワーを浴び、数時間後のフライトを待った。カルダモンは飛行機に乗ったことがない。それがすごく心配だった。りらは一度だけ飛行機に乗ったことがある。私が初めて上京(正しくは千葉県)した時に一緒だった。でも同乗していた大きな犬がずっと吠えていたらしく、もともとちいさなりらはもっとちいさくなってしまった。それもあって心配だったけど、今カルダモンと離れる選択はできない。だから、私のわがままで飛行機で帰ることを選んだ。
夜、家族のグループLINEが久しぶりに鳴り響いた。姉が撮ってくれていたりらの幼い頃の写真や動画を共有し、みんなが口を揃えて「別の犬じゃない?」と言った。りらは家に来た当初、今では想像もできないほど……うん。
なぜりらを家族にしたいと思ったんだろう?と、私はよく言っていた。チワワが好きというわけでも、黒い犬が好きというわけでもなくて、だけど会った瞬間に、この子!と決めたらしい。すぐに父をお店に呼び説得し、その日中に連れて帰った。今でも思うのは、りらと私が出会うために、幻のペットショップは存在したんだということ。りらとは前世、今世、来世でも、ずっと一緒なんだと思う。理由があって家族でい続けているんだと思う。理由はなんだっていい。ずっと家族なんだ。
寝ずに朝を迎えた。朝日が眩しかった。久しぶりの羽田空港は少し楽しそうだったけど、それどころではない。いつもと違う雰囲気を察したカルダモンを抱きかかえて受付に向かった。空港で働く人たちはみんな優しい。前日に、涙を止めない私を相手してくれた駅員さんも優しかったけど(とても困らせてしまいました、ごめんなさい)、目がパンパンに腫れた私を相手してくれる空港の人たちもとても優しかった。
青森空港は離着陸が難しいらしい。狭いのか短いのか、理由は詳しくわからないけど。私は読書で気を紛らわせながら、悪天候で大きく揺さぶられる機内で、ひたすらカルダモンにエールを送り続けた。りらにも「忙しいとこ申し訳ないけど、今だけカルを見守っていて」とお願いした。
到着してすぐに、人と人を素早くすり抜け、くるくる荷物がまわってくる場所に辿り着いた。立っていたここで働く人らしき人にどこでカルダモンに会えるか聞き、待っていてくださいと言われ、そわそわしながら待った。二時間ぶりに会ったカルダモンはとてもおとなしかった。いつもはお喋りなのに全然鳴かない。キャリーから出してとも言わない。疲れちゃったのかな。でも確実に生きている。生きていてくれて、ありがとう。
実家までの車内では、母に会えた少しの安心感からかカルダモンのキャリーを枕にして目を瞑っていた。やっと帰ってこれた。やっとりらに会える。だけど会ってしまったらどうなるだろう。怖かった。
呼吸をしていないりらと初めて会った。ただいまと言っても反応しないりらと初めて会った。目が大きいから瞼が閉じ切っていなくて、まるでただ横になっているだけのように見えた。「まだ生きてるんだよね」「ねえ、りら」「帰ってきたよ」「お願い起きて」「戻ってきて」そんなことを無責任に言うことしかできなかった。りらは頑張って生き尽くしたのに。どうしてももう一度会いたくてどうしてもまた会いたくて、どうしても。
保冷剤を取り替える時だけ、抱くことを許された。火葬は明後日だから、それまでどうにか冷やし続けなければいけない。だけどずっと抱っこしていたい。いつもみたいに、抱っこしながらご飯食べたり、抱っこしながら映画を観たり、抱っこしながら歯磨きしたり。全部、抱っこしながらだったから。だから、ご飯を食べる時はタオルケットを丸めてそれを抱きしめた。まるでりらがいるみたい。だけどりらじゃない。穏やかな寝息が聞こえない。
りらという名前は私が決めた。等身大のリラックマを誕生日プレゼントにもらうくらいリラックマが大好きで、だから、そこから取って"りら"にした。実家はリラックマグッズで溢れかえっている。今はりらもその子たちと同じ、息をしていない。体温がない。リラックマを見るたび寂しい気持ちになった。でも、今はりらもその子たちと同じ、リラックスしてのんびりと過ごしているはず。りらは正義感が強く、ダメなことはダメ!と、妹たち(わっち、トトハ、カルダモン)に教え続けてきてくれた。異変があるとすぐに吠え、私たちに知らせた。任務を終え、ゆっくり休んでいてほしい。どこかでまだ吠えている気がする。それがりらの信念ある生き方だった。
なぜりらが動かないのか、今でも全然わからない。
火葬の日の朝、目が覚めても居間に行くのが嫌だった。午前11時という時間は決められているから私が駄々をこねても何も変わらない。仕方なく居間に行きいつもより温度の低い「おはよう」を交わす。母に「嫌だ」と言って抱きつく。しばらく抱き合う。りらの棺桶にも「おはよう」を伝え、さらりと通り過ぎる。
しばらくソファに座り込んでいたけど、目の前に見える掛け時計が午前8時半に辿り着こうとしているから、胸の中がざわざわしてきて、もう!と思って、りらの棺桶の隣に座った。座っているだけじゃ嫌になって棺桶を開け、撫で始めた。ただひたすらにずっと撫でた。無心で撫でた。しばらくすると母が来て、その様子を隣で見守った。私が「もう泣けなくなっちゃった」そう言うと、途端に涙が溢れた。全然まだ泣けた。いつもよりそれは強く流れ続ける。りらがいなくなることがよくわからない。冷やし続けていればずっと一緒にいられるんじゃないの?なんでりらは動かないの。ねえ、朝だよ。おはようだよ。今ならまだ間に合うから、起きて。
火葬場までの車内ではずっとりらを抱っこしていた。その日はとても良く晴れていて、鮮やかな青空の中でふんわりとした雲たちが踊っていた。りらはドライブが大好きだった。窓からの景色を見せながら、最後のドライブを、父と母と私とりらで、した。ずっと泣いてばかりいた。母は運転しながらすすり泣いていた。母が「ごめんね」ばかり言うから「りらがもうごめんって言わないでだって」と少し強めに私が代弁した。母はミーの時もペロの時もアンの時もりらの時も、最期を看取ってくれた。りらに対しては「もっと長生きさせられたかも」とずっと後悔の言葉を呟いていた。
動物の死に様に正解はなくて、みんな最期の様子はまったく違っていたけど、きっとその時その瞬間が寿命だったんだと思う。そう思うことでしかやっていけないというのが正直なところで。だからね、だから。お母さん、息を引き取る瞬間もりらを抱いてくれていてありがとう。抱っこが大好きなりらだったから。病院通いしてくれたこと、工夫してお薬を飲ませてくれたこと、最期までりらのことを考え尽くしてくれて、たくさんありがとう。
ついに火葬場に着いてしまった。まだ時間があったから車の中でひたすらりらに「ありがとう」を伝え続けた。抱きしめて、頭を撫でて、鼻筋を撫でて、首元を撫でて、手を握って。あたたかな光が差し込む中、りらのことだけを想った。ふと顔を見ると、りらの目に涙が浮かんでいた。間違いなくそれは涙だった。私の涙だった。本当にもうりらは動かないんだ。いくら抱きしめていても、実感がない。今にも起き出しそうで、しっぽを振ってくれそうで、全然わからなかった。母がそろそろ、と言うけど、全然わからなかった。
棺桶の中にりらを寝かせ、大好きだった人参とブロッコリーを大胆に入れ、おやつも持たせ、花束を添えた、ブロッコリーよりもちいさく見えるりらは、やっぱりまだ生きているみたいで、棺桶を持って火葬場に入ってからも、理解が追いつかない。
一人の年配男性が迎えてくれた。とても物腰が柔らかい人で、だけどその人は仕事を進めなければいけなくて、棺桶を台に置くよう言った。従うことしかできない私はずっと泣いていた。声を抑えることもせず泣いていた。お線香をあげて、手を合わせて、りらの棺桶はまた違う台に乗せられた。その台がどこに向かうかは知っている。とにかく嫌だった。いなくなってしまうと思って嫌だった。私はひたすら泣き続けて目を瞑ることもせず見送った。母は深く深く頭を下げていた。父は手をあわせて南無阿弥陀仏を唱えていた。みんな泣いていた。それだけりらは愛されていた。愛している。
待っている間、外から煙突を眺めた。ゆらゆらしていてとても熱そうで不安になった。だけど空を見上げるとやっぱり青くて、どの雲もりらのように見えてつい写真を撮った。りらが空を走りまわっているようだった。やっと、楽になれるんだよね。きっとアンとミーが迎えに来てくれているから、迷うことなく辿り着けるね。持たせたおやつはみんなで食べてもらうとして、だけど人参とブロッコリーは、アンとミーのお口に合うかな。りらはベジタリアンで、野菜が大好きだった。アンとミーは、かにかまおやつが大好きだった。野菜はひとりじめしちゃってもいいよ。
寒くて戻ると、例の男性は「触れる温度になるまで、あと25分ほどお待ちいただきます」と説明してくれた。そのあと、私たち家族にいろんな話を教えてくれた。ペットロスで二年半毎日お墓に通い続けた人がいたこと。とあるお家で産まれた二頭のうち一頭が生後三日で亡くなり、そのちいさな命の証を焼かなければいかなかったこと。野良猫が出産後すぐに育児放棄してしまい四頭一緒に命を落とし、だから最期まで四頭一緒にいさせてほしいとお願いされたこと。「すみません、たくさんお喋りしてしまって」と謝られたけど、お話してくださったことが嬉しかった。私にこの仕事はできない。とても愛の大きな人だと悟った。
りらの骨はとても可愛かった。これが首の一番上の骨で、これが喉仏で、これが顎で……と、細かく説明してもらいながら、泣かずに骨を拾うことができた。だって、本当に可愛い骨だったから。ちゃんと骨のカタチをしているのにとてもちいさくて、愛おしかった。細かい骨は拾ってもらうことになり、お皿に入れられたそれを持ってきた男性は「ご覧になりますか?」と言ってくれて、その説明も受けた。「これがね、しっぽなんです」と言って並べられた骨は、ぶんぶんと振られることをあらかじめ決められて発達したかのように、何個も連なっていた。「あとね、これは爪です」爪を支えていた骨。もうどれもこれも全てがりらだった。りらは生きた。しっかり生き切ったんだ。
家に帰り、ずっと抱きしめていたりらのお骨を動物たちの仏壇に置いた。これが私たち人間の使命。まだまだ振り返るとりらがいる気がして、実家にいるとりらがいる気がして、ぽっかりとあいた穴は切なくぶるぶる震えるけれど、これからはいつでもりらが隣にいてくれるんだと思って生きていくしかない。りらのように勇敢に、またここから生きていくよ。