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"『地球星人』を読んだりなんだりしながら"

つい先日"ロマンティック・ラブ・イデオロギー"という存在を知り、今まさに勉強中で

こちらの記事などを参考にしながら考えていた。

と同時に、村田沙耶香さんの小説『地球星人』を読み進めていた。これってまさに、そうじゃない?そこには知りたかった思想が描かれている。もやもやしていた部分が描かれている。決してやさしい物語ではないけれど、読んでいる時には何度も眉間に皺を寄せ、涙が溢れ、胸が苦しくなったけど。だからこそ、強く深く刻み込まれた。

【恋愛や生殖を強制する世間になじめず、ネットで見つけた夫と性行為なしの婚姻生活を送る34歳の奈月。夫とともに田舎の親戚の家を訪れた彼女は、いとこの由宇に再会する。小学生の頃、自らを魔法少女と宇宙人だと信じていた二人は秘密の恋人同士だった。だが大人になった由宇は「地球星人」の常識に洗脳されかけていて……。】という書籍紹介文に惹かれ購入したのが始まりだった。その頃、というか今まさに、恋?恋愛?恋人?と、次々に???が発生する事態だったから、救いを求めて手に取ったのだった。

世間一般的にタブーとされていることを、主人公の奈月は幼い頃から貫き通してきた。それは恋人である由宇との約束「なにがあってもいきのびること」を守るため。奈月は宇宙人の目を持っていてその視点から世界を見ている。その一方で、世間に洗脳されることを望んでいた。洗脳されてしまえば工場の部品として正常に稼働できるから。楽になれるから。

恋愛経験がないと言うと人は「なんで?」と問う。恋人がいると言うと人は「結婚は?」と問う。結婚したと言うと人は「子供は?」と問う。奈月ほどの残酷な経験はしていないけれど、私にも共通する部分があった。恋愛経験がないと言うとほとんどの人に突かれた。そこで味方してくれたのが姉だったから、本当に救いだったと思う。

ぼんやりとした記憶だけど、"恋愛"という存在に支配されている世の中を目の当たりにした数年前(たった数年前ということも驚きだが)、姉に相談したことがあった。
「恋愛したほうがいいって言われる」
『史帆は恋愛しなくても他に向ける愛情が強いから別にいいんじゃない?』
自覚はあった。姉に対して、義兄に対して、母に対して、仲の良い人に対して、関わる人に対して、愛犬や愛猫に対して、本当に強く愛を注いでいた。

仲の良い人は決して多くはなかった。ある日、すごく仲良くしてくれていた人に
『もっと友達つくったほうがいいよ』
と言われたことがあった。ショックだった。結局その人とは疎遠になってしまったけど、それはきっとひとりに対しての愛情が大きすぎるから愛が重たいと思われたのかもしれない。

人としての好きと恋としての好きの違いを私は知らない。基本的に関わってくれる人間のことはみんな大好きだし、本当に好きだし。動物も植物も同じように愛しているし、その考え方は今も昔も変わらない。だから恋愛に発展する理由がわからなかった。素敵だなぁと思う人との出会いはたくさんある。人として素敵だなぁ、って。そもそも自分が恋愛対象にならないと思い込んでいるから進まないのかもしれないけれど、やっぱり今も恋愛対象って?と疑問に思うし、恋?恋愛?の??は消えない。『地球星人』を読んだあとも消えたわけではなくより深く考えられるようになった、というだけで。

ロマンティック・ラブ・イデオロギーを知り『地球星人』を読んだことで、以前まで持っていた思想を取り戻すことができた気がする。そしてアップデートもされている気がする。魚座はロマンチスト(私は魚座)だからどこか世間一般的な恋愛結婚に憧れはあるのかもしれない。いや、その部分に関してはどうだろう。姉夫婦を筆頭に、私が出会う夫婦たちはみんなそれぞれのカタチをつくりあげていてとても素敵に見えるから、その影響で「夫婦っていいな」と思うことはあるけれど、いざ自分のこととして考えるとまったく自信はない。

だからもしかしたら、ロマンティック・ラブ・イデオロギーの【恋愛するパートナー】がいて【結婚するパートナー】がいて【出産のためのパートナー】がいる。というそれぞれを独立させた関係性にしたほうが達成できる可能性は高いのかもしれない。現時点で恋愛、結婚、出産についてどれもピンときていないから、とりあえずはデータ収集だけしておこうかと思うけど。

そんな中、新国立劇場で『貴婦人の来訪』を観たから、ますます考えることは山積みだ。「恋愛結婚です!」と嬉しそうに声を張って宣言したあの女性の表情が忘れられない。その言葉の破壊力もすごい。何をしても過去を消すことはできない。過去は過去のまま残り続けるし、それに影響された上で今の現状が産み出されている。今はすぐに過去になる。レーンの奥に流れていってしまった過去にはもう触れることはできない。変えることはできない。

じわりじわりと、気付かないうちに何かが変わり続けている。気付いた頃にはもう手遅れ。そんな日々を、私たち人間は過ごしている。手遅れになってしまったことと向き合い続けることはできる。どうにもできなくなったとしても、これから先を考えることはできる。人との関わり合いには常に愛を持って、非常識と言われようが異常と言われようが、しっかりと自分の思想と意志を持って、生き抜いていくしかない。