スカートを穿く
実家に帰省した時、
母にポリアモリーの話をしたのだけど
母はすんなりとそういう世界を受け入れた
ポリアモリーという言葉は知らなかったけど
その存在は前に何かで聞いたことがあったらしい
「生きることへの真剣度が高い気がする」
みたいなことを言っていたかな
たくさん話したから
全てを今すぐ思い出せないけど
▷ポリアモリーについてはこちらも合わせて
読んでいただけると嬉しいです
ポリファミリーの子育てについても話した
時間がある人が子どもをみる
子育て担当がいたらその人に対価を支払う
全員に血の繋がりがあるわけではないけど
大切な人の大切な人を大切にするために
そういうカタチで子育てしているらしい
それが一般的であってほしいけど
いまだにそうではないから
こんな話になる現状自体どうなのと思いながら
子育てについて、母から実体験を聞いた
懐かしそうに、だけど今でも
その感情は新鮮であるかのように話し始めた
「お姉ちゃんが中学生の時、
学校って軍隊みたいだなと思ったの」
ある日の朝、姉がスカートを折って穿いて
「これどう?」と見せたらしい
母は「可愛いじゃん!」と言って送り出した
そしてその日のうちに母は学校に呼び出され
「スカートを短くしてはいけません!」と
自分より若い女性教師に怒られたらしい
母は「可愛いじゃないですか」
と言ったけど
「いいですか!これは十年後も変わりませんよ」
そう言い返されたらしい
膝よりちょっと上のラインで穿かれたスカートは
認められることはなかった
七年後、私が当時の姉と同い年になって
同じ中学校に通っていた時も
スカートを折って穿くと怒られた
きっとその三年後も変わっていなかっただろう
短いどうこうよりも
母と姉が同意見で「この穿き方が可愛い」
となったのなら
それでいいんじゃないかと思うけど
学校教育というものは
とても難しく、寛容には働けないんだろうなあ
だからもし子どもができても
学校には頼らない教育をしたい
「なんで君にはパパ/ママがいないの?」
悪気なく言う子どもは多いと思う
それはその子が、パパとママがいる家庭で
育ってきたから仕方がないのかもしれない
でもそういう時こそ親の出番で
私なら、そうだな
「じゃあなんで、君にはパパ/ママがいるの?」
と聞くかもしれない
どこにも当たり前なんて存在しない
それぞれにそれぞれのカタチがある
そしてどれも間違ってはいない
子どもの頃からたくさんの世界を見てほしい
そして学び、感じてほしい
経済力さえあれば未婚の母になりたい
想い合いさえあれば血の繋がりなんて関係ない
私は父と母と姉がいる環境で育って
その中でも、父子家庭、母子家庭、
血の繋がりがある親がいない人と出会い
その時なにを感じたかは明確に思い出せないけど
私は私、あなたはあなた、と思っている
そして私もあなたも日々変わってゆく
何を見て何を感じ何を思うのか
それで人生は構築されていく
だからこそ子どもの頃からの経験は
とても重要だと思う
インナーチャイルドに深く影響するかもしれない
親という存在がなぜこんなにも大きいのか
支配させてしまっているのか
限りある世界だと認識させてしまっているのか
私に親の経験はない
子の経験はあるし、今でもそうだ
だから親になってみないとわからない
と言われるかもしれない
だけどもし親になる日がくるとして
その時まで、ずっとずっと考え続けたい
正解のない世界で生きるために
大切にしなければいけないことを
新しい命が誕生した時に
胸を張って共に生き始められるように
スカートを穿くのが私は好き
女だからとかじゃなく
楽だからスカートを穿いている
ワンピースも同じ理由
スカートを穿くのに抵抗があった時期もあった
女っぽいかな、なんか嫌だな
そういう目で見られないように生きてきたから
スカートを穿いているだけで
「私は女です!」と大声出して
街を歩いているように感じてしまう
今もその感覚は抜けていないけど
でもやっぱりスカートを穿くのは楽なんだ
ブラジャーも同じ理由でつけていない
仕事の時はさすがにつけるけど
これから夏がやってきて薄着になって
どうするべきかを悩んでいる
悩ませないでくれ
スカートやワンピースが
ジェンダーレスになってほしいと願う
少しずつ、男性がスカートを穿くように
なってきているみたいだけど
ファッションは自由なんだから
ジェンダーレスな存在であってほしい
見た目で判断できることなんて何一つない
理由を知ろう、生き方を考えよう
本質を感じよう、あなたのことを思う
男と女、親と子ども
この世界に永遠に残される課題
愚かで美しい、人間の世界