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あなたのしおあじ

金曜日、「5時に夢中!」を見ていたら恒例の野沢直子さん帰国回で、何回か声を上げて笑った。笑ったセリフはもう覚えてないけど、「久しぶりに日本に帰ったら、みんな『塩味(えんみ)』って言い出してなんのことかと思った。塩味(しおあじ)じゃねえか!」みたいなことをおっしゃったのは覚えている。響きがちょっと玄人っぽい、こなれた感がある言葉は、わっと広まるんだなあと思って、わたしも気になっていた。

こなれ感が欲しい人たちに愛された言葉は他に例えば「とらまえる」があるけど(ないけど、そんな言葉)、あれは本格的に流行ってしまう前に、「変だよ!」と声を上げた人がたくさんいたのですたれた。これに比べると「えんみ」は間違いではないので、流行り始めも絶妙にさりげなく、気が付いたら定着していた。

「近しい」の誤用も、わたしは「えんみ」に近い言葉遣いだなと思っている。本来の意味は「親しい」だけど、単に「近い」の意味で使う人が増えた。「今、Aが言ったことに近しい感覚を僕も持っていまして」とか。「近い」って物理的な距離にも心理的な距離にも似ているという意味にも使えて働きものの言葉なのに、飽きたら悪いよ。

逆方向に変わってきた珍しい言葉が「予行練習」だ説を唱えてみたい。最近、若い人は「予行演習」のことを「予行練習」と言いがち。間違いではないらしいけど、わたしは小中学校で体育祭や卒業式の「予行演習」をさんざんやってきた世代なので、「予行練習」には違和感がある。

でも、それはそれとして興味深いとも思う。「練習」は誰しも小学校に上がる前からお箸や着替えやいろいろ日常動作を身に付けるためにしてきたはずで「演習」よりはるかによく聞いた言葉のはずで、「しおあじ」か「えんみ」かでいえば「しおあじ」な言葉だろうに、なんで今、「予行練習」なのか。それも体育祭やらなにやらの話でなく「いい予行練習になったんじゃないの」と、知ったふうに言うときに使われる。そこが「演」じゃないのは、本当に分からない。

この際だから他にも気になる言葉を。

質問する際の「どういった~なのでしょうか」の「どういった」のイントネーションが変わったのは、もう数年前からだけど、まだまだわたしは気になっている。昔は頭にアクセントが来たけれど、今は平板。相手に答えを要求する感じが強く出ないようにしたいのだろうな。

「~というふうに思います」もここ数年で頻繁に聞くようになった。これも押し出しが強くならないようにというのがもともとの意図で、今はただのクセになった人が多そう。インタビュー音源をNottaでテキスト化して編集するとき、「というふうに」「っていうふうに」を「と」に一括置換するとテキストが少し短くなって、ちょっとだけ気が楽になる。

「~といったところで」という謎の語尾、ビジネス系のプレゼンテーションで使う人がじわじわ増えてきた。「われわれのチームは、夏頃からアジャイル開発に取り組んできたといったところで。」のように使う。「取り組んできました。」とハキハキしゃべるとバカみたいに聞こえそうで心配なのだろうか。

とにかくみんな、ぼやかしたい。ソフトにいきたい。弱めたい。ひところ流行った半疑問形の使い手はめっきり減ったけど(それこそゴジムで北斗晶さんが使う印象。あそこまで使い続けてもらえると、なんだかすがすがしい)、気分はたぶん変わってない。

あと、noteで「~した話」など「話」で終わるタイトルが多いのも、どこか風味が似ている。何について書くかストレートに題にすることで、記事本文もすぐ本題に入りますよ、起承転結とかAメロBメロの後にサビとか、いにしえの様式にしないので読みやすいですよ、というニュアンスが漂う。歩み寄って微笑んでソフト。なんだ、いいことだな。今日じゃないけど今度まねしよう。

心象風景

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