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江之浦、湯河原、23時間旅

8月下旬、江之浦測候所に行ってきた。現代美術作家、杉本博司が建物や石などを配置して設計したランドスケープ。自然の借景も含めて空間丸ごとが、歩き回ったり座ったりして楽しめるアートになっている。仕事関係の人が2年ぐらい前にSNSに投稿していて、ずっと憧れていたのだ。

通常は午前の部、午後の部に分かれて見学を受け付けているが、夏に限って夕景の部もある。夕景のチケットを2枚、2カ月以上前の予約開始時刻から1分で買い、その日の2週間ぐらい前になってから、建築学科卒の友人を「そういえば」と思いついたふりで誘ってみた。都内から結構遠いのに、二つ返事で行くと言ってくれた。

根府川駅のホームから海が見える

根府川駅から無料バスが出ているので、駅で待ち合わせた。ホームから階段まででスカートの中に汗をかく。

根府川駅は「関東の駅百選」にも入っているらしい

中途半端に早く着いたから、駅を出て一人あてもなく西へちょっと歩いた。「釈迦堂入り口」の道標に誘われて脇道を下っていくと、自分が乗ってきた東海道本線の赤い鉄橋が見えた。

ちょっと下ったら鉄橋が見えて、近寄りたくなる
あとから知ったけど、白糸川橋梁っていうらしい

しばらく坂を下って、下りすぎた気がしたので、釈迦堂はあきらめて引き返す。下ってきたときより、坂は急勾配になっていたので、身体を前に倒して無理やり上る。坂の途中でピアノが聞こえてきた。わたしの知らない曲だけどミスタッチがなくて上手なのはわかった。

駅まで戻って、ひたすら汗を拭きまくる。改札前の券売機のあるところが、三方の壁にベンチがしつらえてあって扇風機が回っていて、いちおう待合室っぽくなっていた。

木造駅舎

待合室には何組かいて、中学生ぐらいの制服の男の子とわたしだけが一匹のハチを同時に見つけた。ハチはその子の顔をかすめるようにして飛び回り、避けようとして変な動きになったその子が「びっくりした」と中空に言ってこっちを見たので、ハチに気づいた同志のよしみで「好かれちゃったね」と応じておいた。若い頃だと微笑みはしても何も言わなかったんだろうなと思う。おばさんにはおばさんの使い道。

友人はすてきなワンピースを着て、手にはほぼ液状になったかち割り氷を持って現れ、バスが来るまでに飲み干してごみを捨てることができていた。バスが来て乗り込んだら「涼しい」「もう降りたくない」「上はちょっと涼しいかな」「変わらないかも」と、わたしたちの会話は暑さにまつわることに終始した。

着いて、やっぱり気温は下界と大差なかったけれど、ただもう、江之浦測候所はすばらしかった。日本のようなギリシャのような中国のようなマルタのような感じだった。江戸時代っぽさも感じたけど、余裕で紀元前みたいでもあった。広くて閑やか。目に入る全てが計算し尽くされていて、それが分かるのに、嫌味を感じなかった。

もとは室町時代の寺院の正門。最近では2006年まで根津美術館の正門として使われていたのを解体、修理してこの江之浦測候所に再建された。このように古今東西の門や階段やレリーフなどを持ってきて接ぎ合わせているので、いつでもない時代のどこでもない国のように見えてくる

所内を歩いて石や金属や土がわたしの足を押し返す感触は、どの一歩も漏れなく気持ちがよかった。建物に入ると涼しくてうれしいので、さっきまで暑かったのだと思い出すけど、外を歩き回っている間は暑くなかった。

円形石舞台。放射状に置かれた石は、京都市電の敷石だったそう
(見学者は受付ですばらしく出来のいいパンフレットがもらえて、そこに書いてある)
冬至の朝に海側から日の光をここまで導くための隧道
70メートルの隧道の先に相模湾

映画の効果音ならこんなにきれいに入れたりしないと思うほど、鳥が美しい声で鳴いていた。相模湾は波音までは伝えてこないものの、波が動いているのがちゃんと見えた。

測候所はところどころアドベンチャー感が少しあり、童心に帰れるのがまたいい。そういうものをあつらえると、とんまな感じになりそうなものだけど、ちゃんと適度な荘厳さが保たれていた。丘から海側へ突き出して行き止まりになっている鉄錆色の道は、海賊が捕虜を歩かせるのに使う船からせりだした板みたいなのに。木とつながる階段状の観桜台は、ちょっとツリーハウスを連想させるのに。

海賊船の板材ほど細くはない
止め石の手前まで行ける。いつも怖いものなしの友人が、これは怖がっていた。わたしは平気。ほかの人たちも、二派にきっぱり分かれていた
下から見るとこんな感じに。測候所の全てのものは、いかにもな角度で見てもきれいだし、他のものを見ようと歩いてきて振り返ったときの角度で見てもまた面白い
観桜台。これは登らずにおれない

やがて空が赤みを増していくと、どの場所のことも、もう一度、目に映したくなった。コロシアムのようなところに座ってゆったり楽しんでいる人たちも多く、そういうスタイルを自分も採用したいと思ったけれど、青空の下とはまた別の味わいになる風景を、あれこれ摂取したくなってしまうのだ。

だんだん夕景らしくなっていく
ギャラリー。中には海の写真が飾られていて、最奥(写真のずっと左側)は海に向かってせり出していてすてきなんだけど、外から見てもまた美しい。硝子板は柱の支えなしに自立している
向こうに見えるのは大島かな?

帰りのバスの時間が近づく頃に、ようやく観賞欲が収まってきて、なんとなくわたしも友人も空を見た。雲は流水紋のような形にたなびいていた。測候所をなんら代表しないこの空を、あとあと一番思い出しそうな気がした。

上りの道がひどく渋滞しているということで、帰りは真鶴駅へ送られた。駅前に路線バスが止まっていて湯河原行きだったので、それに乗る。わたしは湯河原のホテルを予約していた。友人はこの日のうちに東京へ帰るのだが、湯河原で一緒にご飯を食べてくれた。

湯河原は閉まっている店が多かったけど、その分、提灯の光が映える。
三日月も、バスで見つけた友人が教えてくれたぐらい、肉眼では存在感があった

観光地も休前日でもなかったらすぐ閉まってしまう。入店して30分ぐらいでラストオーダー、1時間で閉店だったので、わーっと食べて飲んだ。何を話したか覚えていないけど、友人も覚えていないに違いないから大丈夫だ。

ホテルの部屋に入ったらシャワーだけ浴びてすぐ寝た。8000円の部屋で、床が一部たわんでいた。

湯河原なのにシャワーブースしかない部屋に泊まったのは、翌日に近くの日帰り温泉を予約していたからだった。ホテルを出たら西へ、かんかん照りの道を汗かいて歩く。五所神社でご神木に手を合わせてまた西へ。

温泉まで行きはホテルから歩いて、帰りはバスで駅まで

早く着きそうだったし汗だくだったので、ドラッグストアに寄って汗を拭きながら店内を見て回る。ドラッグストアといってもスーパーのようなドンキのような店だ。ジンベエザメを海遊館へ運搬するトレーラーのトミカが売られていたので、それを買った。この旅初めてのお土産だった。

海遊館トミカを買ってもまだ早く、予約の40分ぐらい前に着いてしまった。どこか室内で待たせてもらえないか頼んでみると、平日昼間なので、前の予約が入っていないそうで、30分早めて入らせてもらえることになった。真夏の貸切温泉。気持ち良くて、途中ちょっと上がって効能表を見たりした。わたしには珍しいことだ。表に何が書いてあったか覚えていないけど満足してまた入って、湯船の中でワニ歩きを楽しんだ。

好きな言葉は「源泉かけ流し」です
みやかみの湯

駅まで戻ってミックスサンドを食べ、セットの飲み物はオレンジジュースにした。金目鯛の干物と、有名らしいラーメン店の焼豚切り落としを買って、踊り子に乗って品川まで。正味23時間ぐらいの旅行が終わった。

ひとが作ってくれるサンドイッチの卵のこういう感じ、スペシャル感ある
踊り子さんを待っている

8月は盆も何もないぐらい忙しく、遊ぶには遊んでも1日2時間ぐらい映画、音楽、演劇を一人で。その前後の時間は毎日ずっと仕事で、見たり聞いたりしたものの感想を書くこともできなかった。だから9月にはなったけど、旅行のことを今日は書けてほっとしている。ただただわたしのためによかった。

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