見出し画像

付き合わないけど誰にも取られたくない存在の人

っていうツイートを見た。
先日何の気なしにTwitterを開いていたとき、こんなツイートを見かけた。

ちょうど私にも思い当たる人がいたため、しばらくこの件について1人で考えていた。
この感情をなんて呼ぶのだろうか。難しい内容だ。

友情との相違点
件の感情を“感情X”とおき、まずは友情との相違点を考えていく。
友情にはないが感情Xに存在するものとして“嫉妬”があげられるだろう。
友人に恋人ができたとしても私はきっと素直に祝福ができる。
しかし感情Xの間柄にいる人に恋人ができたとき、私は嫉妬に狂い彼氏を亡き者にしてしまうかもしれない。
「私という存在がいるのに!どうして他の男を選ぶんだ!」と喚き散らかすかもしれない。
それくらい友情よりも深い間柄にいる関係なのだ。

恋慕との相違点
では次に恋慕との相違点を見てみよう。
感情Xにはなく、恋慕にのみ存在する感情として“異性として意識するか”があげられると考える。
あまりに仲の良い友人として過ごすあまり、異性として意識できなくなってきているのだ。
一緒にご飯に行ったりお出かけに行ったりはできるのに、いざ手を繋げるかと言われるとどうも違和感を覚えてしまう。それどころかうっすら気持ち悪ささえ感じてしまうのである。

では何と呼べば良いのか
とすると、この友情の極限とも呼べるような感情をどう表現すれば良いのであろう。
私は「恋」と「愛」の感情の僅かな違いに着目することにした。

恋から愛へ
恋と愛は似て非なる感情である。
その解釈については千差万別だとは思うが私なりの解釈を示してみる。
まず「恋」についてだが、恋とは自分の好きだという気持ちを相手に送りつける行為だと考える。要するに自己満足だ。
たまたまそれが双方から送られているために関係が成り立っているが、これが一方通行してしまうとたちまち気持ち悪い人ができあがってしまう。
次に「愛」についてだが、こちらは相手の幸せを願い、自己犠牲を伴ったとしても相手を想って行動することだと考える。
その結果相手が笑顔になることでこちら側も幸せな気持ちになることはあれど、初めから自身の満足感を得ることが目的で行われるものではない。
私は感情Xには「恋」を通り越して「愛」が幾分か含まれているのではないかと考える。だから恋仲にならずとも十分満足な関係性でいられるのではないだろうか。

感情Xの呼び名は
ここまでの話をまとめると、感情Xは「恋慕には到達しないが友情の極限に位置し、愛情を含んでいる感情」と表すことができる。
このことから私は感情Xを「友愛」と名づけたい。
そして最後に、友愛を友愛たらしめるためにやらなければならないことが一つだけある。
それは当事者の心理的成長である。本当に相手の幸せを考えているのであればたとえ恋人ができたとしても素直に祝福できるはずである。
もしできないのであれば素直に好きだということを認め、誰かに取られる前に告白するのが最善であろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?