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漫画の最終回が期待外れだったとき、自分はもっと面白い最終回を思いついていたのか?

漫画の最終回が期待外れだったとき

連載漫画を読んでいて、最終回が期待外れだったとする。

じゃあ、自分の予想した最終回は、実際の漫画の最終回より面白かったのだろうか?そもそもそんなに明確に最終回を予想してない。

たぶん、「読後感」だけ比較してるのだろう。

最終回の読後感を期待させるためには、実際の漫画の中に魅力が必要だ。これも結構すごいことだけど、最終回の読後感が微妙だと批判する人もいる。

このテーマは、2008年3月16日(日)のラジオ番組「伊集院光・日曜日の秘密基地」で、伊集院光さんと浦沢直樹さんが話している。

で、ここから先、これと似ているけど違うような、違うけど似ているような話を書く。

シゲチャンランドでかった「座布団くん」の凄さを理解する

北海道のシゲチャンランドで買ったお土産「座布団くん」だ。私のお気に入りだ。しかし最近、この「座布団くん」のすごさをより理解する方法を編み出した。

シゲチャン作:座布団くん

これは私が石にポスカとアクリル絵の具で顔を描いた「いしくん」だ。

柴田作:いしくん

「座布団くん」のすごさは、自分で「いしくん」をつくることで、もっと理解できた気がしたのだ。


似てるけど違うもの

自分が座布団くんのようなものを上手につくれないから、落ち込むのは違う。あくまで「座布団くん」のすごさを知るために、自分でもつくるのだ。

ガッカリするための「期待」と、より凄さを理解するための「期待」がある気がする

期待して、理想と現実を比較するようだと、ガッカリする。そうではない「期待」の使い方があるはずなのだ。

「畏敬の念」が個人と組織のレジリエンスを高める

凄さの理解とは、「畏敬の念」だろう。

畏敬の念を経験することは、ストレスレベルの低下と関連があり、最近の実験的研究は、これが因果関係ではないかと示唆している。つまり、畏敬の念は、ストレスの軽減を積極的に後押しする。

「畏敬の念」が個人と組織のレジリエンスを高める

アートとか、自然とか、そういうものに対して人間は畏敬の念を感じやすそう。でも、それ以外のものにも、畏敬の念を感じやすくなる方法がある気がしている。

なんかまだよくわかってないのだけど、ここにヒントがある気がしている!

今回は以上です!

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