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世の中には、分解して理解する人とたとえ話で理解する人がいる。

柴田(@4bata)です。私はたとえ話が好きなんだと気がつきました。

考えたきっかけ:仕事で説明資料をつくるとき、「表」をつかっていい感じにしたいのに、文章が多くなってしまう

仕事で資料をつくるとき、人によって得意なパターンがある。「表」をつかう人、「文章」をつかう人。私は文章が多めになるパターンで、「表」はあまり使えない。なぜもっと表が使えないかを考えてみたくなった。

文が多くなる理由。「たとえ話」で説明したい。

「つまりどういうこと?」を説明する方法が、私にとっては「たとえ話」なのだ。以下実際の資料。いま働いている会社の「全社戦略(複数事業を束ねる側の方針)をどうするか」を、ある人にざっくり相談したときの資料の一部だ。

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各事業の成長を目的とした「全社戦略」をつくるとする。「成長の測定方法としてどんな指標がいいのだろうか、そもそも成長をどのように定義すべきか?」という相談を「地域経済を大手企業が回していて、生産性という指標上は活性化していても、シャッター街が増えていて住んでる側からは微妙、というケースを避けたい」というたとえ話で説明している。ちなみに自分でも何を相談したいのかよくわかってないので「たぶんこの辺の話をしたいという予想」というタイトルがついている。

たとえ話で理解するとは、どういうことか。

まず私の好きなエピソードを紹介する。

・ある地域の昔話として「天狗と村の女性が恋に落ちて、子どもをつくった」という話がある
・その昔話が伝わる地域は、江戸時代よりもっと前に、漂流した西洋人が住んでいたという歴史がある
・「西洋人と村の女性の恋愛話」が、口伝で伝わっている間に「天狗と村の女性の話」に変わったようなのだ

このエピソードから私が最初に受け取ったのは「人間は、面白い話として脚色してしまう性がある」というものだ。ちょっとしたウケを狙って、村人はいろんな人にこの話をしたのだろう。そのまま「面白い話」を500年ぐらい伝言していくことで「鼻の高い西洋人」が「天狗」になってしまった可能性がある。自分の経験で考えてみても、過去のエピソードを色んな人に話していくうちに、余計なところを除いた話に「編集」されることはよくある。

ここから展開していくと、桃太郎は、川に流れていた桃から生まれた話が元々何だったのだろう、という話も考えられる。「桃」が女性の例えの可能性はある。川で溺れていた女性が妊娠しているエピソードだった可能性がある。

他の受け取り方もある。会社において、役職が上の人に悪い情報が伝わらない、というエピソードがある。報告の度に悪い報告がマイルドになって、社長に到達するときには問題ない、となっているような話だ。

基本的にこのような「伝言ゲーム」は悪いこと、とされがちだ。上の天狗のエピソードを見る限り、「良い方向」の活用法もありそうだ。企業において、「伝言ゲーム中による伝達内容の変化」をプラスに活かす方法はないのだろうか、ということも考えていた。

分解して「表」で説明するケースもやってみたけど、結局たとえ話で理解している自分がいる。

ブログでも「分解シリーズ」を書いている。「管理」にも3種類の意味があるというとか。

・マネジメント・・・荒馬を乗りこなすようになんとかする
・コントロール・・・特定の水準を目指して制御する
・アドミニストレーション・・・環境整備など、最低限絶対にやるべきこと

これも個人的な理解は、以下の3つで覚えている。結局たとえ話だ!

・マネジメント・・・速度計やカーナビがない車で目的地にどうにかして行く
・コントロール・・・速度計やカーナビをつかって目的地に行く
・アドミニストレーション・・・車検など絶対やるべきものをやる

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株主と社長の関係性で企業文化が変わる話とか、休み方の3種類の話とかも分解系として書いてみた。でも、結局他の人に説明するときは、エピソードやたとえ話で説明してるなー。

「分解したときに失うもの」を意識することで、「分解して理解する」と「たとえ話で理解する」を使い分けられそう。

「分解」に関する魚の例え話がある。

「生きた魚」を解剖し、細かく調べた後、これらを縫い合わせて元の形に戻しても、最初の「生きた魚」の性質は復元できない(「まず、世界観を変えよ」 P34)

「分解して失うもの」とは、具体的に何だろう。上の本から引用する。

どれほど巨大で複雑な問題も、
それを小さな部分に「分割」し、それぞれを詳細に「分析」し、
最後にそれを「総合」すれば、必ず解決策が見つかる。
(中略)
しかし、実は、「複雑な問題」は、それを小さな部分に「分割」し、
どれほど徹底的に「分析」しても、その解決策は見つかりません。
なぜなら、この世の中には、一つの冷厳が「法則」があるからです。

物事が複雑になっていくと、「新たな性質」を獲得する。
(中略)
では、その「新たな性質」とは、何か。
そのことを教えてくれる言葉があります。

複雑なものには、「生命」が宿る。
(中略)
生きた魚を「解剖」すると「生命」が失われてしまうように、
複雑なものを「分割」し、「分析」すると、
新たに獲得された「生命的な性質」が、消えてしまうのです。
(中略)
企業や市場や社会などのシステムは、それは複雑になると、
必ず「生命的システム」としての挙動を示し始める。
それにも係わらず、我々は、これまで「複雑なシステム」に直面すると、
それが、あたかも「機械的システム」であるかのように、誤解をしてきたのです。(「まず、世界観を変えよ」まえがき)

複雑なものであればあるほど、「分解」だけだと限界がある。まあ、わかったような、わからないような。わからないのは、どういうケースは分解して考えてよいのか、ということだ。分解が得意なひとはたくさんいるので、全部任せるという方法でいくか?自分で頑張るのは諦めるか。いや、少しは頑張るけど、分解が得意な人にできるだけ依頼する。でもそれで仕事やっていけるのかな?もうちょっとなにかあるだろ!それではだめだ!もう少し考えてみた。

たとえ話で理解する人は、表は無理でも「ループ図」はつくれる。「ループ図」で「分解して理解する派」と会話するとよさそう

そういえば、私は表はつくれないが、因果関係のループ図はつくるのが好きだ。例え話などの物語は因果で覚えるので、それを図にすることはできるんだろう。あと、漏れなくダブりなく、とか無視していいのが良い。

仕事が忙しいときのループ図とか。

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短期の成果と長期の成果を両立させるループ図とか。

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ループ図は「構造化」なので、表とは違うけど、「分解」の要素がある。

これだと、表よりももうちょっといろいろ表現できるので、つくっていて安心感がある気がした。これなら「分解して理解する派」の人とも話せる気がした。

なるほどこれだ:追記

まとめ:これから資料には「ループ図」と「たとえ話」をつかっていこう

ありがとうございました。



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