「実行者になっていない人が、正論をかざして実行したつもりになっている事例についてどう思いますか?」を考えてみた
お題をいただきました!ちなみにお題はこちらで受け付けております。
前座として最近あった話「フォーマットください」
最近あった例を書く(ちょっとぼかすけど)。何かしら法的に定められた対応すべき事象があり、その分野の専門家の人に話を聞くことになった。最終的に書類としてアウトプットする必要がある。ある専門家にお願いすることになった。
ここからの先の話は、お金は払ってサポートしてもらうことが決まったあとの話だ。
「概要はわかりました。何か作成する書類の参考になるフォーマット例はないのでしょうか?」と聞いてみた。すると「そういうのはないんですよ」という回答。「え?」と思いつつ、その場は、わかりました、ということになった。ただ、あとから同席していた社員と「フォーマットの例がないってことは、ありえない気がするんだけどな・・・」と話した。
その後具体的な事象についてこちらが材料を提出し、サンプル書類を先方にひとつ作ってもらうことになった。サンプル書類を見たときに「いや、内容が空欄でもいいから、この書類の枠組みだけでも先にもらえたら、理解が促進されて助かったのにな・・・」と思った記憶がある。その出てきたサンプル書類を見る限り、枠組みは他社でも使えるようなものに見えた。
相手の回答から判断するに、実際に似た書類作成を何度も経験していることは間違いない。かつ、別に悪気があってフォーマット書類を隠している感じもしない。
これについて、どう理解すればいいのかな、とずっと考えていた。私なりに「これだったら納得できる」というものが見えたので、仮説として書いてみたい。
何を自分の仕事と考えているか
先に結論的な図を書くと、専門家とのやりとり、3種類ぐらいは期待される役割がありそうだ。
たぶん、こちらが材料を提示した上でサンプルとして作ってもらった書類は、過去の事例を元に書類の形式もカスタマイズして作成されたのだろう。
私たちは、「別にそのまま使えなくてもいいから、パターンの一つとして、参考になる事例があるとありがたい」という意味で、「フォーマットありませんか?」と聞いた。つまり、「一般解は理解しました。ここから先、自分たちの個別解を考えるヒントをください」という意味で、フォーマットを要望した。図でいう「3」の役割を相手に期待した。
相手は、フォーマットという言葉から「どの会社の状況でも当てはめることができる、書類のひな形をください」と理解したのではないか。つまり、「一般解は理解しました。では、自分たちの状況にそのまま当てはまる個別解をください」という要望だと理解したのではないか。図でいう「2」だ。
私たちの具体的な状況もわからないのに、ばっちり当てはまる答えを用意できるわけもなく「そういうのはないんですよね」と回答したのも理解できる。ただ、具体的な材料を提示したあとでれば、相手側も今までの経験を元に個別解を提示できるわけだから、書類を作成できるのも理解できる。最初に感じた「なんで最初からこれを出してくれなかったのか」という疑問にも回答できる。
資格を取るのにちゃんと勉強して知識が必要で「専門家として間違ったことは言えない」というプレッシャーの中で仕事をしている人(○○士とか)ほど、回答はこうなりがちである気がする。そりゃそうだ。専門家がいってるなら間違いないと動いてしまう相手(=個別解そのものを相手に求めてしまう相手)もたくさんいるだろうし、適当なことはいえない。
私が専門家に求めているのはこんな感じだ。図でいう3の役割。
もらったお題に戻る
「正論をかざしている」「発言の切れ味が良い」人は、自分の仕事は一般解を言うことである、と考えている可能性がある。その人に「じゃあやってみてくださいよ」というと、「それは自分の仕事ではない」と言うのではないか(これは単に私の予想だけど)。
実行者としての「個別解」を考えている「正論を言い切れない」人からすると「そう言われても、具体的にいまある障害を乗り越えるヒントになってないけど、どうすればいいんだよ」と言いたくなる。つまり「発言の切れ味が良い」人も個別解を考えるべき役割だ、と設定していることになる。
お題をもらった人の状況において、「発言の切れ味が良い」人が、その話題について個別解を考える役割なのかはわからない。社内評論家はいらないと批判されがちだ。本当に別の部署の話題であれば、その人は個別解を考える役割ではない。「発言の切れ味が良い」人が実際に個別解を考える役割なのにできてないならば、レポートラインとして上司になる人が「いや、それはあんたも個別解を一緒に考えなさいよ」と言えばいい気がした。
でも、別の部署の話題のときに「切れ味がよい正論」を言われたらどうするか。
私はどこかのタイミングで切り替えたことがある。自分が実行責任を持てない他の部署の話題について「こうすべきだ」みたいな、相手側に自分と同じ結論を期待するようなことをしなくなった(つもり)。
「一般論からすると私からはこう見えるけど、そうじゃないんですか?」と相手の事情を知るための質問はするけど、相手には相手の事情があって、自分にはわからないんですけど、というスタンスで聞くことにした。実際に、私が考えているような疑問は、大抵相手は考えたことがあるし、自分に見えてない視点があることも多い。
もちろん、相手の回答を聞いても「それっておかしい気がするけどなあ・・・」と思うこともある。でも、とりあえず「相手からはその事象がどう見えているのか」が自分なりにしっくりくればOKとしている。
これを考えてみる。実行者とは、個別解を見つけること、とした。3つのパターンにわけた。
パターン1:自分の管掌範囲で「本来個別解を考える人が、一般解だけいって実行できてない」場合
まずは、その人が個別解を考えるためのサポート、障害を取り除く努力をしてみるだろう。外部から専門家を呼んできたり、いろんなサポートをする。それでも無理そうだったら、別の人に依頼するだろう。普通だ!この記事で書いた、経理部の採用の話とかもそれに近いかも。自分なりに学んだりして、一緒に考えていく。
パターン2:自分の管掌範囲じゃないところの人が、自分の管掌範囲について一般解を言ってきた場合
それは普通に「なるほど」と聞く。その人からはそう見えてるんだなと、ヒントになる。個別解を出せてない理由を説明した方が良ければそうする。説明の手間は前よりかけるようになった。説明のための資料は無駄なように思えるけど、当事者じゃない人にわかるように説明する責任があると感じているから、手間をかけるようになった。
自分の能力不足で「今はこれ以上無理です」という話をするときも多い。今後の改善ロードマップは出すようにしてるけど。今の会社はそのときに「いいからなんとかしろよ」的なコミュニケーションは発生しないので、ここまでやればなんとかなる。他の会社だと違うかもしれない。
パターン3:自分の管掌範囲じゃないところで、一般解を言う人がいて、個別解を考えてる別の人が言われて困っている場合
何もしない。何か出来るときはするけど、それは既に「自分の管掌範囲でやれること」の話になる。
肩書きがついたりして、かなり幅広い範囲で「自分にも関係ある」という立場になった。それでも「これは何も出来ないなあ」と思うこともたくさんある。それはもう今の自分の限界ということで、そのままにしておく。
でもこれまでも「自分の管掌範囲でやれること」が増えてきてるから、今はできないことでも、いつか何かできるかも、とは考えている。
まとめ
・自分の仕事が「一般解」をいうことなのか、「個別解」を出すことなのか、それぞれの認識を意識してみたら面白いかも
・個別解を出す側にとって、一般解だけいわれるとむかつくときもあるけど、自分が逆の立場になることもあるし、「そういうもんだよなー」的な受け止め方しかないのではないか
今回は以上です!ブログのお題がありましたらください!
誰かが書いてたけど、サポートしてもらったらそのお金をだれか別の人のサポートに回すと書いていて、それいいなとおもったのでやります!