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使命感はどのように生まれるのか

柴田(@4bata)です。「世界は贈与で出来ている」を読み、書きたくなりました!

考えたきっかけ:特に明確な理由なく、仕事を頑張っている人がいる

私もそう。仕事を頑張っているほうだろう(自己評価)。生きていくためだけなら、もうちょっと仕事の負荷を下げてもいい。仕事に「生活するため」以上の何かは求めていると思われる。

例えば学生に「柴田さんの働く理由はなんですか?」と聞かれたら、嘘は言いたくないので「他にやることもないので」と言う。自分にはしっくりくる回答だ。ただこれは相手の求めている答えではない。嘘をつかずにもっと相手が「なるほど!」となる答えを用意したい。今回そのヒントが見つかったので書く。

仕事の動機を考えるヒント:「等価交換」と「贈与」

最近読んでいる本「世界は贈与で出来ている」から。

等価交換とは、利害が一致していたり、共通の目的をもった者同士の協力関係だ。割に合うか、合わないかで物事を判断する。お金を介して行われることが多い。

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もうひとつは贈与。既に誰かにもらったことを理由に、別の誰かに渡す。

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「贈与のフォーマット」をヒントに仕事の動機を考える

「贈与」にはいくつかの特徴がある。これが面白いので紹介していく。

贈与の特徴1:はじまりは「既に受け取っていたこと」に気づくこと

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贈与は、受け取っていた過去の贈与に気づくこと、届いてた手紙の封を開けることから始まる(「世界は贈与で出来ている」第9章)
手に入れた知識や知見そのものが贈与であることに気づき、そしてその知見から世界を眺めたとき、いかに世界が贈与に満ちているかを悟った人を、教養ある人と呼ぶのです。(「世界は贈与で出来ている」第9章)

誰かに与えようと頑張るのではなく、「既に自分が受け取っていたもの」の大きさに気づく。すると必然的に「これだけ受け取ったのだから、何かを返さないと」という気分になる。自分が子育てをすることで、親から受け取ったものの大きさを知る、みたいなものか(子育てしたことないので想像)。

学生の「柴田さんの働く理由はなんですか?」の答えを「贈与フォーマット」で考えてみる。以下が嘘がまざってない答えになる。

学生「柴田さんの働く理由はなんですか?」
柴田「いろんな人に過去お世話になってるのは確かだから、誰かから求められてる限りは働こうかなと思ってやってます。」

個人的にはこの「ざっくり感」がしっくりくる。誰か特定の人への感謝の気持ちはあまりない。「世間に存在を許されている」という感覚があり、とりあえず何かやっておかないと釣り合ってないよね、という感じが働く理由だ。「他にやることがないので」というのは、「具体的な目的が設定されたやりたいことが何もない」という意味だったのかも。

贈与の特徴2:差出人が曖昧だったり、偶然受け取ったものを、誰かに渡すという感覚

使命感とつながってくる話。

し‐めい【使命】 自分に課せられた任務。天職。(広辞苑より

いま働いている会社の同僚が、つくっていたゲームの終了時に書いていたコメントを引用する。2016年のコメントだがずっと覚えている。

とうとう来年1月にクローズする[ゲーム名]で、ユーザーから数多くのありがたい投稿メッセージを頂けたこと。感謝するべきは我々の方なのに、ユーザーの方々から「作ってくれてありがとう」的なコメントを頂戴し、今後、死ぬまでゲームを作り続けても余るぐらいのガソリンが心に給油されました。

覚えていた理由は「死ぬまでゲームを作り続けても余るぐらい」というフレーズ。何かのギアが切り替わったんだな、これはどのような状況なのだろう、と気になっていた。等価交換文脈で考えていたから理解できなかった。等価交換では、感謝の声をたくさんもらっても、「死ぬまでこれで十分」となる感覚が実感できない。GIVE&TAKEでも論理的にはわかるんだけど、しっくりこない。

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贈与フォーマットならわかる気がした。ユーザからのたくさんの感謝の声をきっかけに、自分がこのようなゲームをつくれた環境や、いろんな人の存在にあらためて気づき、「既に自分が受け取っていたもの」の大きさに気づいた、という理解であれば、「死ぬまでこれでいける」という感覚になることもわかる。せっかくなので本人に事前に記事を読んでもらった。この解釈でまったく問題ない、自分もここまで言語化できてなかった、というコメントをもらった。

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誰から受け取ったかもわからないぐらい、いろんなものを既に受け取っている。だから、何か次に渡さなければ。仕事に関してこの感覚を持てるようになるプロセスが、使命感が生まれるプロセスなのだろう。


今回は以上です。「世界は贈与で出来ている」という本がとてもよくて、贈与に関して何度も記事を書いてしまった。今回の記事で、やっと自分の言葉で話せるようぐらい理解できた気がする。読んでいただきありがとうございました。

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長いおまけ:個人ではなく、会社の使命はどうか?

個人の使命感については、「贈与フォーマット」で説明できる気がした。会社の使命感はどうだろう。まず、会社のミッションとか、いろんな大義名分の説明に違和感を感じるポイントもこれで説明できる。

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大義名分は「社会貢献」として書かれる。つまり「贈与」というスタンス。「貢献」の動機(誰かから受け取ったから、誰かに渡したい)の説明が足りない場合、「等価交換」のフォーマットで認識されてしまう。すると、「社会貢献っていうけど、自分たちのためにやってるよね」という誤解を生んでしまう。

自己利益を見込んでの行為なのにもかかわらず本人の主観的には純粋な善意による一方的な贈与であると装うことを、僕らは偽善と呼ぶのです(そして、僕らはその違いを鋭敏に察知し、その相手が信頼できるか否かを瞬時に判定します)。(「世界は贈与で出来ている」第1章)

大義名分がその人達の本音なのか、一応つくってみた感じなのか、人は敏感に感じ取る。普段の業務は等価交換文脈で構わない。でも「会社のミッション」を説明するページについては、「贈与フォーマット」の説明のほうが違和感が少ない。

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会社の使命感はどのように生まれ、育つのか

企業規模が大きくなったり事業が増えると、ミッションが抽象的になる。社員の日々の具体的な業務とミッションの抽象度に乖離が生まれてくる。これをどうするか、という問いだ。

最初は会社の使命=創業者の使命とする。

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社員が増えると、社員個人個人にも動機がある。社員の日々の業務と、会社が世の中に提供したいものをつなげようとする。

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これも個人のときと同じで、会社のミッションと個人の業務をひも付けるには、「既に自分が受け取っていたもの」の大きさに気づく活動を社員とやったほうがいいのではないか。

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「既に受け取っていたもの」を社員全員でシェアできれば、それをどのように次に渡していくかは、それぞれで考えてもよさそうだ。社員それぞれの「受け取ったもの」を集めていって、抽象化された会社のミッションにすることができたら、いい感じになる気がする。


twitterの反応

そうか・・・。確かに管理部門は贈与の方向になるかも。等価交換できるほど成果と因果関係が明確ではない仕事もあるから。なるほど!

誰かが書いてたけど、サポートしてもらったらそのお金をだれか別の人のサポートに回すと書いていて、それいいなとおもったのでやります!