見出し画像

【エッセイ】探偵は悪者

これは私が20を過ぎた年の頃の話。

当時、私は調査員として探偵事務所に勤務していた。


ぽつぽつとじれったい雨が私を気早な性格にさせていた。

ある男を待っている。
名前は大橋貴文(仮名)。年齢43歳、身長170cm前後の中肉中背。
はっきりとした目鼻立ちに、横に流された長めの前髪。
今日に限っては、三つ揃えの薄くストライプがかったネイビースーツに、小さめのドットが入ったボルドーのネクタイを持つ。
ここ港区という地に勤めるこの男が本日のターゲットである。

依頼者は大橋の奥様、依頼内容は言わずもがな不倫調査であった。

日没時間を過ぎ、辺りは薄暗くなっていた。街灯もちらほら点きはじめ、高々と立ち並ぶビルの出入口はどこも人の出が増えていた。

今か今かと大橋を待つ車内には私と職場の先輩Sさんが居た。
大橋が務める会社が入っているビルの正面へ視線を固めながら、私はSさんの背中越しに「まだですかね」などと余裕を漏らす。Sさんからの返答はない。

聞いていた終業時刻より早めに現着し、既にそこを見続けて一時間が経っていた。
通る者すべてを特徴と照らし合わせ、大橋か大橋以外かの二択で淡々と判別していく単調な作業である。
私は人間スキャン用ロボにでもなった気分であった。

変化しうる特徴を目印にしてはいけない。
服装や持ち物は捉えやすい反面、変えられてしまえば失われる個性である。
髪型でさえ聴取情報の正確性は時間経過とともに落ちていく。
言い出せばきりがなく、顔さえも整形されたとなれば分かるものではない。だが、それらの可能性は許容するほかない。

職場で名人と呼ばれた人物は、一度確認すれば二度目以降は歩き方で見えると語っていた。
分かるではなく見えるとは、私は興味本位で聞いた。
それは、目に入ってくる映像のなかでその者だけが浮かびあがる感覚だと。
その者以外の人間は背景となり、その他の情報にすぎないのだと。
もはや特殊能力である。真偽のほどは定かではないが、発言を裏付けるかのように張り込み、尾行においても、ほぼ100%の仕事ぶりであった。
徒歩尾行において、失尾することはまずない。
私のようなものには遠く及ばない領域である。敵には回したくないものだ。

19時を回り、なだれ込むように人が出てきた。
なかなか途切れない人波に、天候も相まり視界は悪さを極めていた。
このような小雨で傘をさすなと思わずにはいられない状況に、頭はショート寸前である。
「外、出るぞ」苛立ちを含ませた言いぶりでSさんが口を開いた。私の返事が届く間もなくSさんは車から降りる。
視線を外す機を与えまいと、身体をねじらせた体勢でドアから出るところを私は「はい」と言いかけた口のまま見つめていた。

どっしりと構えるビルには出入口が二つ。Sさんと私、左手と右手で分業していた。お互い視野が重なっているとはいえ、片方の出入口は穴であったに違いない。

Sさんが行ってしまってから少し遅れて私もあとに続いた。Sさんとは別のところに居を定めると再び視覚を研ぎ澄ます。
10分も経たないうちに雨の粒が目立つようになっていた。
傘をささずに立っているのは不自然である状況に、私は車の荷台に積んであったはずの傘を取りに向かうかと考えを迷わせていた。
そこに一通のメッセージ、「対象確認」Sさんからだった。
すかさず左手の出入口付近に視線を移すと、そこには二時間待ち続けた大橋がいたのだった。

扉の横手で立ち止まり、スマホを手に何やら話し込んでいる。
要件が終わったのかジャケットの内ポケットへスマホをしまうと、傘もささずタクシー乗り場まで一直線に向かった。
そのとき、少しの躊躇とこれから起こることへの期待が混ざったような悲しそうにも嬉しそうにもとれる表情を浮かべた大橋を見た。
その本意はどこにあるのだろうか。

私たちも小走りで車へ戻り、後を追った。
車は新宿の繁華街へ近づいていた。事前に聞いていた通りだ。
電車移動であったなら、Sさんは続けて尾行、私は現地へ遅れて車をまわす手筈になっていたが、予定通りであるに越したことはない。
次第に見慣れたホテル街に入り込む。
引かれた線からひと度も逸れない行動から奥様の理解ぶりが窺えるだけに、悲しいものである。
だがその一方で、無駄足にならずに済みそうだと安堵していた私を私は覚えている。

タクシーが止まった。支払いを済ませた大橋が車から降りてくる。
スマホを片手に俯きながら、周りを確認する素振りもなく慣れた歩を進める。
こちらへ向かって歩いてくる大橋だったが、止まる車には目もくれず足早に通り過ぎて行くのだった。
それでいい。それがいい。「少しぐらい警戒しろよ、」喉の奥のほうで鳴った音が消えた。

後をつけようとした矢先、大橋が立ち止まる。
目と鼻の先にあった街角で足を止めた大橋はようやく頭を上げあたりを軽く見渡していた。
しばらくして、女が来た。
大橋は優しさをほぐしたような笑顔を向けている。
「飯を食ってくれ」反射的に願ってもいないことを思わずにはいられなかった。
わかっている。食事だけで終わられては仕事にならない。そうではないのだ。
食事くらい。それくらい。あってもよいではないか。これではあまりにも。
期待に反して、今度は親し気な男女が再び車の横を通り過ぎる。そして、ホテルの中へ消えていくのだった。

男女が視界から完全にいなくなったところで、車内はひとときの休息をむかえる。
慣れた手つきでカメラを触り、撮れていることを確認すると、Sさんは背もたれを目一杯倒した。
幾度と同じ場面を繰り返してきたのだろう。
こんなもんだとでも言うように、世の中すべてを諦めているかのような温度を感じさせぬ目は眠るように閉じられた。
そんな姿も私を悲しい気持ちにさせた。

いつ大橋が出てくるかもわからぬなかでは、軽率に目も離せはしない。
だが、どこか緊張の抜けた様で構えている私がいた。私も実状に気づいている一人である。

制限された状況でありながら、思考だけが悪あがきをいつまでも続けていた。
そんなはずはないと言わんばかりに説を立てては手放す。
確認するすべもなく、確認する必要もない説など立て損である。考えるだけ無駄というものだ。
事実が動くこともなければ、消えることもないのだ。
にもかかわらず。どうしてだろうか。思考が止まってくれないのだ。

何時間も姿勢を変えては居続けた。
空色は深さを重ね、次第にほどけていくのだった。


またある日では、事務所で調査報告書を作成していた。

私の思いが入り込む隙間などあるはずもなく、事実だけを淡々と並べる。
虚偽はない。事実だけで作られるそれは揺るぎない真実である。

手が冷たくなっていく。
作業としてこなせるまでに、いったいどれだけの。私は何を捨てればいい。
慣れる私が見えずに、見えないことが救いだったりする。

お昼時を過ぎた頃、中学生くらいの少年が事務所を訪ねてきた。
いや、なかば強引に押し入ってきたのだ。
自宅で報告書を見つけたと。調べてここへ来たと。
今の時代、そこまで驚くことではないだろう。

驚くべきは、少年から発せられる罵詈雑言が夏の蝉のごとく聞き流されるこの状況である。
なだめる一人を除いて、席から立つ者はいなかった。
だが、注意は皆少年のほうへ向いていた。
どうやら両親の離婚が正式に決まったらしい。
お前らのせいだとなんだと、まき散らされる罵倒が部屋の湿度を上げた。

そのとき私の中にあったのは、大人らしからぬものばかりであった。

何も知らないくそがきが。そうだ、言い訳などないのだ。お金をもらってした事である。そういう仕事なのだ。なにか文句があるのか。責められる謂れはない。もう黙ってくれ。

決して声となって外に出ることはない本音だろう。
怒りの裏にはどうしようもない罪悪感があるのだ。
心が痛むとはこういうことなのかもしれない。

少年は別室へ連れていかれたが、遠くなっていく声に耳を澄まさずにはいられなかった。

すまないと素直に言うことができたならどんなに楽であろうか。
言ってやればいい。その場しのぎをしてやればいい。
それでも誰も言わないのは、言ったところで何も変わらないことを分かっているからだろう。
ここで少年に寄り添えるのは本物の偽善者になれるものだけなのだ。
都合のよい逃げ道は用意されないのである。

子供は残酷だ。私は少年に敗北したのだ。


砕かれ、崩れ、失われていく。攻撃的になっていく。
こんなはずじゃなかったのに。こんな人間じゃなかったのに。
自分をなくす感覚が、恐怖が、わかるだろうか。

悪を攻撃するとき、その者もまた悪になるのだ。

正義の象徴とも言える警察ならばどうだろうか。
それでもやはり行き着く先は同じである。

詐欺が、病気に苦しむ妻の治療費を稼ぐためだとしたら。
窃盗が、空腹に苦しむ弟の食事を得るためだとしたら。

善行の末、妻や弟が亡くなったとして、人殺しと言われたとき、
あなたなら言い返すことができるだろうか。

いくつもの正攻法の選択肢があるなかで、どうにもならないことなどないと思うだろうか。
その選択を責めるだろうか。

責めることができるならば、あなたはこれまで苦難に出会うことのなかった強運あるいは環境の持ち主か、いずれにしても大幸せ者であろう。
恵まれていることに後ろめたさを感じる必要はない。
あなたはこれからも真っすぐに生きてほしい。

だが、大抵は生涯にどうにもならない場面の一つや二つあるものだ。
限界を見たものであるならば、この状況に口をつぐんでしまう者も少なくはないだろう。

当然のこと、犯罪は肯定されるべき手段ではない。
人を殺めてしまったともなれば殊更許されることではない。
これは極端な例である。
しかし、本質はそういうことなのだと私は思う。

笑う者がいれば泣く者がいる。従来ある言葉の通り。

正義の名の下に振りかざす力など、くだらない。
皆、等しく悪者なのである。表裏一体なのだ。

だからこそ、それが誰にとっての正義かを見失ってはならない。
誰かのためになっているならば、それを忘れてはならない。
その上で相手(自分)を認めなくてはならない。
自分だけが正しいことなどないのだ。

若き日の私は自分が世界の中心であった。
無下にしたものが数えきれないほどある。
後悔している。

想像力があればきっと少しだけ、
人は人に優しくなれる。


関連 ↓

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?