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『ペンション』歌詞考察【岡村靖幸】 (日本語ロック/ポップの歌詞について②)

岡村靖幸の名盤「家庭教師」の最後を飾る曲、『ペンション』。
解釈が難しいと、いろんな考察がされてきた歌詞について、私も読み解いてみた。

「足が疲れちゃった」って君は拗ねてしゃがみこむ
でもこんな場所じゃおんぶ出来ないよ
雑誌を見て「このペンションの食事に連れてって」だなんて そんなに学校でも
話したりしたことないじゃん ぼくと…

曲がる順序 間違えて最終のバスに乗りそこねたけど 平凡な自分が本当は悲しい
君のために歌の ひとつでも作ってみたい

♪oh My baby 素敵だぜ いつか青春を振り向いた時
最高の夏、そして一番美しく心に灯したい

君が望むペンションに着いて名前を書く時 でもどうすればいいの 解らない
仇名から「さん」づけ呼びへの距離を測れないだなんて
ちょっぴりぼくより大人だね ねえリボン

曲がる順序 間違えて最終のバスに乗りそこねたけど 平凡な自分が本当は悲しい
君のために歌の ひとつでも作ってみたい

『ペンション』(岡村靖幸)、アルバム「家庭教師」より

まず時代背景。1990年リリースのこのアルバムには

ファミコンやって、ディスコに行って、知らない女の子とレンタルのビデオ見てる
『カルアミルク』(同上)

と、80年代カルチャーがガッツリ歌われている。
このころは清里に代表されるペンションブームで、若い男女のデート先として”雑誌”(an・anやnon-no)でさかんに紹介されていた(らしい)。

次にキャラクター。
”ぼく”は”そんなに学校でも話したりしたことない””君”にデートに誘われて戸惑っている。一方この”君”は積極的。”ぼく”は奥手で恋愛に慣れていなさそう。”君”はデートの場所を指定してくるほど”ぼくより大人”。この関係性を理解しておくことが歌詞解釈に重要だと思われる。

”君”の積極性から推測すると、”食事に連れてって”と誘いながら、より深い関係(食事だけでなく泊まってもいい)も場合によっては許容しそうではある。
同アルバムの『ビスケットLove』の”先輩のガールフレンド”もそうだが、女性のほうが性に積極的な状況は岡村靖幸の楽曲ではよく歌われる(そして男が”ぼくが欲しいのはそんなものじゃなくて”みたいなことを言って、より精神的な繋がりを希求する)。

そうなると冒頭の”「足が疲れちゃった」って””しゃがみこむ”という行動には“君”の演技の可能性も見え隠れする。二人はペンションでの食事を終えて日帰りするためにバス停に向かっている。”君”はこのまま帰りたくない。”ぼく”のそのためのきっかけを与えようとする。
でも”ぼく”は勇気を出せず”おんぶ出来ない”。”そんなに学校でも話したりしたことない”相手と、すぐにそういう関係になることに躊躇いを感じている。でも、”君”の気持ちには気づいている。

そして”曲がる順序 間違えて最終のバスに乗りそこね”という”平凡な”手段で、宿泊せざるを得ない状況にもちこんだ。わざと道を間違えるという見え透いた手段で、終バスを逃すことを選んだのだ。
でもそんなやり方は”ぼく”の本意ではなかった。本当は”歌の ひとつでも作ってみた”かった。
続く”oh My baby"からの一節は「本当ならば歌いたかった歌」だと思われる。歌詞カードのこの一節の前にある”♪”マークがそれを示している。この歌は”ぼく”の頭の中では歌われたかもしれないが、実際は口ずさんではいないのだろう。

時は戻ってペンションに着いたとき。宿帳に”名前を書くとき”二人の名前をそれぞれ書いていいのか”解らない””ぼく”に対し、”きみ”は”仇名から「さん」づけ呼びへの距離を測れない”と咄嗟に口にして夫婦を装う。今の時代ならそんな偽装は必要なさそうだが、これは時代なのか、それとも岡村靖幸の倫理観なのか。
”ちょっぴりぼくより大人だね”という”ぼく”の”君”への評価には、”ちょっぴり”というところに男としての微妙な矜持が隠されているようにも見える。女の子にリードされっぱなしであることには情けなさも感じている。でもそんな思いは口に出せず、彼女の後ろ姿を見て、髪をとめるリボンに心の中で話しかけてしまう。

本当は男らしくカッコよく思いを伝えて、”君”と一夜を過ごすことを自分から求めたかった。終バスを逃すというアクシデントに見せかけて、なし崩しに状況からつくるなんてしたくなかった。”君”のために歌いたかった。平凡な男なんて嫌だった。
でも、勇気が出なかった。

恋愛に対して基本的に受け身なのに、「男らしい積極性」にこだわる感じ。
身体的接触に焦がれるのに、それよりも精神的な繋がりを上位に置きたい思い。
そんな童貞感と初々しさと切なさ、ままならなさ。それらを大人になった現在の目線から、かけがえのない美しい日々として、いとおしむように歌う。
私にとって、岡村靖幸の詞はいつもそんなふうに響いている。
(つまり、あくまで個人的な解釈です)

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